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毎日読書メモ(188)初めて読んだ村上春樹は「シドニーのグリーン・ストリート」だった

昨日、サントリーホールで、クリスチャン・ツィメルマンのピアノリサイタルを聴いた。2019年の秋に、ブラームスのピアノ四重奏曲を演奏したコンサートから2年、ようやくまたツィメルマンが日本に来てくれた。
曲目は、J.S.バッハのパルティータ第1番と第2番、休憩の後はブラームスの「3つの間奏曲」、そしてショパンのピアノ・ソナタ第3番。ピアノの色々な姿を見せてくれる、心躍る演奏会だった。
ブラームスの「3つの間奏曲」は、村上春樹の短編「シドニーのグリーン・ストリート」(『中国行きのスロウ・ボート』所収)の中に出てくる曲だ。

「います」という札がかかっている時、僕はだいたい事務所のビニールのソファーに座ってビールを飲みながらグレン・グールドのレコードを聴いている。僕はグレン・グールドのピアノが大好きだ。グレン・グールドのレコードだけで三十八枚も持っている。
(中略)
でも今のところ僕はまだ私立探偵で、シドニーのグリーン・ストリートにある事務所のソファーに寝転び、客が来るのを待ちつづけている。スピーカーからはグレン・グールドのピアノが流れている。ブラームスの「インテルメッツォ」、僕のいちばん好きなレコードだ。

村上春樹全作品1979~1989(3)短編集 p.184/p.203

わたしが村上春樹を発見した!、と思ったのは、大学1年生の秋、『1973年のピンボール』が講談社文庫になった時だった。慌てて、既に講談社文庫になっていた『風の歌を聴け』を買い、その次に、単行本で刊行されていた『羊をめぐる冒険』(講談社)を読み、それから『中国行きのスロウ・ボート』(中央公論社)を読んだ。読み進め、最後に「シドニーのグリーン・ストリート」にたどり着き、そこで、あ、この話は昔読んだ、と気づいた。
わたしが生まれて初めて読んだ村上春樹は、『1973年のピンボール』ではなく「シドニーのグリーン・ストリート」だったのである。
この短編は、中央公論社から刊行されていた文芸誌「海」の臨時増刊「子どもの宇宙」(1982年12月)に掲載された。この「子どもの宇宙」が、カラーページを多用した面白い本で、高校生のとぼしい小遣いで買い求め、夢中で読んだのを記憶している(「海」は安原顯が編集長をつとめていた文芸誌だったが、1984年5月で終刊となった)。
村上春樹という作家を知らないで読む「シドニーのグリーン・ストリート」は、何を言いたいのかよくわからない不思議な話で、私立探偵の僕が羊男の依頼を受けて、羊博士が盗んだ羊男の耳を間一髪救出する、という、後に繰り広げられた羊的世界の先駆となる作品だったが、高校生のわたしは、???、と思い、『中国行きのスロウ・ボート』の中で再会して、そこで色々なものにつながった気持ちがしたのであった。
グレン・グールドは『風の歌を聴け』の中でも名前だけ出てくる。「僕」はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番のレコードを買うときに、バックハウスとグールドの二者択一でグールドを選ぶ。
「シドニーのグリーン・ストリート」の中でこよなく愛されているブラームスのインテルメッツォ、グールドのCDを買ってからは、何回も何回も聴いた。心を揺さぶられる、美しい音の流れ。

普段はあまりピアノリサイタルには足を運ばないので、インテルメッツォ(3曲なので、厳密にはインテルメッツィ)の実演に接したのは昨夜が初めてだった。あまりにも繰り返し、グレン・グールドの演奏を聴いてきたので、テンポの違うところがあると、あ、こういう風にも表現できるのか、といちいち驚いたりもしたが、ツィメルマンの端正で、流れるようで、かつ、激しく鳴らすところは心の底までびりびりするような演奏に、心が震えた。

私立探偵の「僕」はツィメルマンのレコードは聴いただろうか。「風」シリーズの「僕」はどうだろう。昨夜のコンサートプログラムには、「本格的な演奏家としてのキャリアは、数々のコンクールに優勝した後の1975年に始まる」と書いてある。1973年のベートーヴェン国際音楽コンクールで優勝後、1975年の第9回ショパン国際ピアノコンクールに史上最年少(18歳)で優勝したことは、もはやツィメルマンの履歴書の中では特記することではないかのようだ。もう半世紀以上も、ツィメルマンはコンテンポラリーであり続けている。

取りとめもなく、コンサートの歓びと昔話。
トップ画像は早稲田大学国際文学館村上春樹ライブラリーの壁の羊男。


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