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サラ・ピンスカー『いずれすべては海の中に』(毎日読書メモ(440))

今年2回目、朝日新聞のSF小説新刊紹介コラムで池澤春菜が推していたのをきっかけに読む本(1回目は『プロジェクト・ヘイル・メアリー』)。サラ・ピンスカー『いずれすべては海の中に』(市田泉訳、竹書房文庫)。作者名も知らなかったが、これが作者初の著書(短編集)だが、長編『新しい時代への歌』(村山美雪訳)が、先行して同じ竹書房文庫から刊行されているようだ。
13編の短編がおさめられていて、「オープン・ロードの聖母様」は『新しい時代への歌』の後日譚的な物語になっているようだが、あとの作品はすべて独立した物語。それぞれに独自の設定を持っていて、どの作品もふくらませれば1つの長い物語、あるいは連作短編が構築できそうな豊饒な土壌を持っている。物語の種、という意味で豊饒だが、それぞれの世界観は、大抵がうっすらとした滅びの予感を帯びていて、かなり切ない。

「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」は、事故で失った腕のかわりに取り付けられたロボットアームが、自分のことを、主人公が行ったこともないコロラドのハイウェイだと思い込んでいる、その思いが主人公の頭の中に流入してくる不思議な物語。
「そしてわれらは暗闇の中」は、人の妄想の中で生まれ育った赤ん坊が夢の外に出てきて、同じような妄想を抱えた人々をカリフォルニアの海岸にいざなう、幻想的な物語。
「記憶が戻る日」は、退役軍人が、戦地での悲惨な思い出を年に一度だけ思い出すその日について、家族の視点で語る。
「いずれすべては海の中に」は、滅びかけている陸地を捨てて船で航海をしているお金持ちたちに音楽を提供していたミュージシャンが船を離れ、陸地に漂着して出会ったものを描く。おそろしく、切なく、力強い。
「彼女の低いハム音」は、政治犯になりかけた男が、娘を連れて国境を越える際に助けてもらった「新しいおばあちゃん」の物語。
「死者との対話」は、精巧なミニチュアハウスを作り、そこにAIを仕込み、その家で実際に起こった事件についてのデータをAIに読み込ませることで事件の真相を浮かび上がらせる、おどろおどろおどろしい模型の開発現場の人間模様を抉り出す。
「時間流民のためのシュウェル・ホーム」は、タイムトラベラーがやってくる瞬間を何度も見ては本当に巡り合える瞬間を夢見る恋人たちの物語。
「深淵をあとに歓喜して」は老夫婦の愛とすれ違い、そのすれ違いのきっかけとなった事件からのリカバリーを決意する老妻の愛の物語。
「孤独な船乗りはだれ一人」はセイレーンとアンドロギュノスの寓話のような物語。
「風はさまよう」は何世代もかけて地球から別天地を目指す巨大宇宙船の物語で、新井素子の小説とか、萩尾望都『十一人いる!』などを思い出しながら読んだ。地球からの隔絶、おそろしいブラックアウトを乗り越えようとする人々の営み、世代間の価値観の衝突。フィドルが奏でる音楽。どれだけでも展開できそうな物語世界。
「オープン・ロードの聖母様」は、パンデミックで人々の密集が忌避されるようになった世界でなお、ライブ会場での演奏を続ける、アナログなバンドを描くロードノベル。自動運転車や電子決済にも背を向けて、主人公ルースはどこまで行くのか?
「イッカク」は、鯨(実際はイッカク)になった車を運転して、ボルティモアからサクラメントに向かう、これも一種のロードノベル。旅の目的は? 旅の中で見えてくるものは?
「そして(Nマイナス1)人しかいなくなった」は、沢山の並行世界から、集まってきた多数のサラ・ピンスカーたちが、ベースはきわめて似た性質を持ちながら、世界が分岐するごとに違った生を生きるようになっていたが、クオントロジスト(量子物理学者?)になったサラ・ピンスカーたちの力で一堂に会し、その会場で殺害されたどこかの世界のサラ・ピンスカーの殺害犯を、保険調査員のサラ・ピンスカーが探す、ハードSFにして推理小説にもなっている不思議な物語。殆どすべての登場人物がサラ・ピンスカーで大混乱。最近、タナカヒロカズさんが一堂に会した人数がギネスブックに載ることになった、という新聞記事を読んだが、パラレルワールドのサラ・ピンスカーは、名前が一緒というよりも、世界が分岐するごとに少しずつ離れて行ったが、元は同一のサラ・ピンスカーだったのだから(しかしそんなことを公表したら世界は大混乱になるので大西洋の孤島で、秘密裡に集まって、そこで殺人事件と来たら密室ミステリだよ)なんだか眩暈のする小説であったよ。

と紹介しても何がなんだかだと思うけど、構築された世界観が独自で、切なく、時に美しい。クジラの絵の表紙(イラスト:カチナツミ)も美しい。

しかし、SFを読んでいると、独自の造語に、訳者(日本人作品のだったら作者だね)がつけた独自のルビが面白いのに、目が疲れてきたときに遠近両用コンタクトレンズのピントが合わなくなってくると、細かい字が全然読めない。辛い。R眼になったら、SFは電子書籍で読まないといけないんだろうか、と、本とは全く関係のない切なさも感じる今日この頃である。

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