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宮本輝『灯台からの響き』(集英社)

前に、『灯台はそそる』という本を読んだ(不動まゆう著・光文社新書)。タイトルに共感。灯台はそそるよね。旅行に出て、灯台の近くに行けそうだったら行く。昇れるものなら昇る。巨大なレンズをしげしげと眺める。周りに他に人工物のないような海と陸の境目にすっくと立っている。毅然とした美しさ。今や全国の灯台はすべて無人化されてしまったが、かつてはそこに灯台守が暮らしていて、人の歴史も感じさせる。
しかし、オタクと言えるほど灯台を愛好するのはかなりの体力勝負らしい。海岸から海を渡った岩場に立っている灯台の足元まで行くために海を渡ったり、ぬるぬる滑る岩場を歩いたり。船をチャーターすることも。或いは繁茂する藪を必死で漕いで、草の葉や棘に傷めつけられながら、だれもいない灯台にたどり着いたり。

宮本輝。2018年に自らの父の一生を描いた大河小説「流転の海」シリーズをとうとう完結させ(感想はこちら)、その最終巻『野の春』が最近文庫本になったので、なんとなく周囲でも宮本輝の話が聞こえたり。

そして、昨年9月に刊行された『灯台からの響き』を読んだ。2019年~2020年初頭にかけての新聞小説。
板橋で父の代からのラーメン店を営んでいた牧野康平は、2年前に妻蘭子をくも膜下出血で喪う。妻と2人で営んでいたラーメン店を、人を雇って継続するのは無理だ、と店をたたみ、無為に過ごしつつ、膨大な量の読書をしていた康平は、『神の歴史』という本を読んでいる途中に、昔妻に届いた灯台の絵が描かれたはがきがはさんであるのを見つける。「わたしはあなたのことを知りません」という妻の返事を、康平自身がポストに投函したので、記憶には残っていたが、知らない、と言った相手の葉書を捨てもせず、何故、夫がいつか読むであろう本の中にはさんでいたのか。問いたくても妻はもういない。
描かれた灯台がどこのものなのかもわからないまま、康平は突如、灯台めぐりの旅を思い立つ。幾つかの旅のなかでの出会い、発見、それと、子どもたちとの対話、商店街の仲間たちとの交流などが縄をなうように一体となっていき、蘭子が家族に語らなかった過去、そしてはがきの差出人がそのはがきを送るに至った経緯が明らかになっていく。

宮本輝の近年の小説(近年、というのは21世紀に入ってずっと、くらいのスケール)は、「流転の海」シリーズを除いては、一種のテンプレート小説みたいになっている印象。
何かに打ち込んできた主人公。家族関係、友人関係のゆらぎ。それまでまったく意識していなかった新しい世界への導入。その理解を深めるための努力、そして旅。そして精神的な再生。
小道具的なファクターの取材が丁寧で、きちんと書き込まれているので、勉強するような気持で読み進められる。
誰かが抱えた秘密が、物語の推進力となったりしているが、主要登場人物にはまず悪人はいない(そこが「流転の海」と違う)。なので、物語の本筋はちょっと弱いのだが、大団円の着地点がどこにあるんだろう、と思いながら読み続けることになる。
そうやって、何十年も輝ちゃんワールドと付き合ってきた感じ。
今回の小道具は勿論灯台、そして、ラーメンのだしをとる過程。森鷗外『渋江抽斎』、スマホの操作(主人公康平は62歳で、スマホの基本的使用はしているが、やはり若いものとスピード感が違う、という過程が色々なシーンで描かれ、連載時既に古希を過ぎていた作者が、スマホときちんと向かい合って小説の中に描いていたことがよくわかる)、そしてコミュ障。
昔ほどこれでもかこれでもか感はなくなり(前は上下巻の小説が多く、こうした小道具の情報量がもっともっと多かった)、謎解き的な着地も、ちょっと弱いな、と思ったりしたが、見たかった灯台を見てからのラストシーンは静かに心に染み入る。

これから、コロナの時代がやってくるが、宮本輝はそれをどのように描くのか。まだまだ書き続けてほしい。
(今は「文學界」で「潮音」という歴史小説を連載しているようだ...富山の薬売りの話らしい)(「すばる」には「よき時を思う」という小説を連載している。これが現代小説かな)


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