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『統合失調症の一族 遺伝か環境か』(毎日読書メモ(516))

あけましておめでとうございます。本年1回目の投稿は、昨年末に一気読みした、ロバート・コルカー『統合失調症の一族 遺伝か環境か』(柴田裕之訳 早川書房)の感想など。2022年9月に刊行され、当時、各紙の書評で取り上げられた本だが、手に取るまでに1年以上かかってしまった。色々な意味で衝撃的な本だった。

まず、表紙が印象的。タイトル画像に、表紙の一部を使わせてもらったが、amazonのリンクから、表紙全体を見てほしい。

これは1961年に撮影された写真らしい。
ギャルヴィン一家が弧状の階段に上から年の順に並んでいる。父、母、十男を抱いた長男、以下二男~九男。みな正装している。カトリックの家庭で、毎週きちんとした格好で教会に通っている。まだ生まれていない二人の娘も含め眉目秀麗。母は20年の間に12人の子どもを産み、全員を母乳で育て、一人として虚弱児、早世する子どもはなく、オペラを愛した母は、子どもたちに音楽教育をほどこし、また、みな、様々なスポーツ競技の花形プレイヤーだ。父は空軍士官として、アメリカ国内を転々とした末、コロラド州コロラドスプリングスに居を構える。地元の名士として、名だたる文化人とも交流し、また仕事の合間に学業を究め、博士号を取得する。

ハヤカワ書房のnoteで、プロローグ(本書pp9-21)が公開されている。

謝辞、原注、訳者あとがき等を含めると全502ページある本のごくごく冒頭だが、ここを読むだけで惹きつけられる。そして、その後に、一族ーギャルヴィン一家のプロフィールが書かれている。何しろきょうだいが沢山いるので、読んでいる途中で何回もこの家族のプロフィールを参照しながら読んだ。
父 ドン 1924年生まれ
母 ミミ 1924年生まれ
長男 ドナルド 1945年生まれ★
二男 ジム 1947年生まれ★
三男 ジョン 1949年生まれ
四男 ブライアン 1951年生まれ★
五男 マイケル 1953年生まれ
六男 リチャード 1954年生まれ
七男 ジョー 1956年生まれ★
八男 マーク 1957年生まれ
九男 マット 1958年生まれ★
十男 ピーター 1960年生まれ★
長女 マーガレット 1962年生まれ
二女 メアリー(リンジー) 1965年生まれ 

全45章に分かれた章立ては、ギャルヴィン一族のたどった足取りと、アメリカにおける統合失調症研究の前線をかわるがわる取り上げ、統合失調症の症例集めの中で、遺伝的要素の大きさを検証するために集められた症例として、十二人いるきょうだいのうち、なんと50%にあたる六人が統合失調症と診断されたギャルヴィン一家が、統合失調症研究の中で果たす役割について、丁寧に描いち得る。

そもそもドンとミミは、なんで十二人もの子をなしたのか? 最後はドクターストップで子宮摘出手術を受けさせられたが、その数多い出産の末期には、既に何人かの息子たちが統合失調症の症状を見せ始めていたのに、それでも子どもを産み続けたミミ。
毎日が合宿のような男10人きょうだいのマッチョさ、暴力性。一番年少の娘たちに襲い掛かる苛烈な運命。読むだけで心が痛くなる。
幼少時には発達障害的な診断は受けておらず、普通に教育を受け、スポーツにも音楽にもひいで、多くの息子たちは大学にも通っている。ただ、どの息子も、父にはかなわない、と思っている。家を出て暮らし、結婚して子をなして、そんな日々の中で、徐々に異常行動をするようになってくる息子たちがいた。
薬物治療、入院、退院して実家に戻ってきて、他のきょうだいや両親に暴力的な言動をとる。そんなに家族に症状をけどられていなかった息子の一人は、他の家族から見ると唐突に大きな事件を起こし、家族全員の心に大きな傷を残す。家庭内で暴力を止められず警察を呼ぶことになったり、心休まる瞬間のなさそうな日々が、主に末娘リンジーの視点で描かれる。
表紙見返しに「息子がまた一人、精神に異常をきたした」と書いてある(本文からの引用)。結果的に発症しなかった子どもたちも、誰もが皆次は自分の番かと恐怖にふるえ、配偶者との間に子どもを作る前に、病院に相談に行ったりしている。
それでも息子たちをかばい続ける母ミミ。篤志家の手に拾い上げられ、家庭から脱出した長女マーガレットは、家族から早くに距離を置くことができた結果として、逆に自分は家族から捨てられた気持ちになり、他のきょうだいの救済に対して積極的に動けない。一方、家族の中で恐ろしい体験を重ねたメアリーは、自らの力で一家を脱出するまでを文字通りサバイブして、その間に母がしてきたことも見つめ、長じて、遺伝学者や医学者の調査研究に積極的に応じ、自宅と病院を行ったり来たりしている兄たちのケアにも驚くくらい積極的に関与する。
家族の不思議を感じさせる。
どの家族も他の家からは見えない不思議な家族関係を築いているのだと思うが、逃げ出して当然としか思えない家族でも、それを維持しようとする気持ちが働くのだという驚異。

副題にあるように(といっても日本語訳の副題で、原書にはこの副題はない)、統合失調症はおかれた環境によって発症するものなのか、それとも遺伝によって避けられないものなのか、という問いがこの本の中にずっと貫かれている。そして、ギャルヴィン一家の症例からもわかるように、遺伝的要素は無視できない大きさではあるが、発症のきっかけとなった出来事を読み解くと、彼らに降りかかった出来事にも大きな因子があるようにも見える(同じことが起こっても発症しない人の方が多いのだろうとは思われるが)。
そして、巻末に来て、最近の研究成果を見ているうちに、統合失調症、そしてきょうだいの一部が診断された双極性障害(躁鬱)は、一つの病名として、健常と病気、と二分して診断される「結果」ではなく、様々な症例といわゆる健常と言われる状態との間はスペクトラム的に融和していて、その時によってその面的なスペクトラムのどこにその人がいるか、ということを考えて治療していくものである、という知見が得られてきている、ということが語られる。
発達障害も、スペクトラム的に症状が広がっている、と言われるようになって久しいが、精神障害と言われる症例もまた、白黒で分けるものではなくなってきているようだ。
一方で、患者に投与される薬の開発は困難で、大手製薬会社も積極的に研究を進めてはいない一方、遺伝的に発症の可能性がある胎児に対して特定の化学物質を投与(というか要するに妊婦が摂取するということだ)することは一定の成果を見せている、という話題も出てくる。
長期的なスパンでしか結果の出ない研究なので、研究の歩みも遅々としたものだが、ギャルヴィン一家をはじめとした多くの先例をもとに、今後の研究が進むことを願ってやまない。
そして、今も存命のギャルヴィン家のきょうだいたちにもかなう限りの幸せがありますように。

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