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毎日読書メモ(169)『新リア王』(高村薫)

過去日記より高村薫『新リア王』(上下・新潮社)の感想を拾ってきた。

福澤彰之シリーズ、と呼ばれる『晴子情歌』、『新リア王』、『太陽を曳く馬』の第2作目。高村薫の読書は全力格闘という感じ。どの本も1回ずつしか読めていないので、消化不良な部分があって悔やまれる。もう一度読めるかな。

2006.3.2の日記より:今日から高村薫『新リア王・上』(新潮社)読みはじめる。愛ルケ(渡辺淳一『愛の流刑地』)の前に日本経済新聞に連載されていたが、挿絵に倒錯疑惑かなんかが発生し、その後、新聞社側と何かトラブルも発生して、連載が打ち切られてしまったこの小説は、レンブラントの絵の装丁で、新潮社から単行本になった。『晴子情歌』(上下、新潮社)に続く、大河小説(全3部になるらしい)の第2部。晴子の息子彰之の元を、彰之の実父福澤榮が訪れ、榮を取り囲む政治的状況について、そういった世界と無縁の息子に、問わず語りに語る。福澤家に近い部分だけ、架空の名前になっているが、あとの部分は政財界の実名を出した小説で、だからこそ新聞連載で問題が発生したのかもしれない。込み入っていて、なかなか進まない。返却期限までに読めるのか?

2006.3.14の日記より:読み始めの時にも書いたが、これは『晴子情歌』(新潮社)に続く、大河小説の2作目(じゃあ3作目の主役は誰になるんだろう?)。70代半ばの老いた代議士。分刻みのスケジュールをこなし、各方面に目配りし、如才なく、自分の王国を築き上げている老王。その王国は盤石に見えたが、実際には、政争の具として、その一角を崩され、それでもそれまで築き上げてきたものによって、見た目は状況を維持したかに見える。しかし、王は結局、自分が若い頃からずっと、何も信じていなくて、やっていることは自分の理想の実現ではなくて(そもそも理想とは何?)、でも王国を維持しようという強い意志でここまでやってきたが、その王国は誰にも絶対的な信奉を受けてはいなかったことを、最初からある程度わかってはいたつもりだったが、あまりにも完膚なきまでに幻想を打ち砕かれることとなる。その経緯を、虚実ないまぜた1970~80年代の政治史の中で、モノローグとして語る。最初は、父と同じくらいの存在感を持っていた婚外子彰道は、だんだんたよりなくなっていき、最終章ではフェードアウトに近い状態。王=福澤榮の孤独だけがこれでもかこれでもかと描かれる。でもそれは悲哀ともちょっと違う。代議士も秘書達も息子や妻や支持者たちも、それぞれに孤独で、自分の分を見据え、その場その場で最良の選択をしているつもりで、でもそれはすっきりともしていないし、誰も信じていない。誰も幸福そうに見えず、でもそれよりよい生き方も見つからない。更にこの人たちの上に、日本という国を動かそうとする人の意思がある。その中で、現在のリア王は道化たちに向かってひたすら語り、物語は終わって行く...。救いがない、というのともちょっと違う、不思議な物語。自分の20年前のことを漠然と思い返しつつ、こんな人もいたのだろう、と、考える。

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