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川上弘美『某』(幻冬舎)

川上弘美の『大きな鳥にさらわれないよう』を読んだのは、つい最近だった気がしたのに、もう1年以上たっていた。今回の『某』は、前作に較べSFっぽさは薄いがそれでも歴然とSFだった。普通の人間とちょっと違う人たちの物語、ということで、途中から、筒井康隆『七瀬ふたたび』を思い出したりしながら読んでいた。

(結構ネタバレしちゃうので、これから読む方は注意です)

突然、病院の受付にいるわたしは、問診票を前に途方に暮れる。そこに書いてあることは理解できるのに、問われていることには何も答えられない。名前も、性別も、年齢も。記憶喪失の人の物語なのかと思ったらそうではなく、その瞬間にこの世に現れた不思議な生き物らしい。病院の先生に言われるままに、アイデンティティを形成するために、自ら名前と性別と年齢と属性を作り、女子高生となったわたしは高校生活に入っていく。同級生と交流しながらも現実感が掴めないまま数か月過ごし、今度は先生の方針で男子生徒に変身する。男子生徒として、また別の生活を送り、数か月でまた別の人格に変身することを先生に勧められ大人の男性になり、という、両性具有の軟体動物かよ、というような変身譚が続き、そこでわたしが思い出したのは川上弘美の旧作『ニシノユキヒコの恋と冒険』。ニシノユキヒコ自体は一人の人間だけれど、ニシノユキヒコについて女性たちが語る彼の姿はそれぞれに全然違う。物語の傾向が昔に戻った感じ? と思いながら読んでいたが、幾つかの変身を経て、彼/彼女は自分の同類に出会う。姿も年齢も変えられるこの存在には寿命はないのか? 生殖は出来るのか? どうやって誕生するのか? なんだかやっぱりSF的展開になってきたよ、と思い、でも、川上弘美のSFだから論理的な説明はない。そして、冒頭に書いたように『七瀬ふたたび』的な切ない孤独感。

人間ではない存在の物語、と思って読むから、読者はそうした異形的存在は他者を愛することが出来るんだろうか、という偏見を持ってしまう。最初のうち、主人公は感情の起伏が薄く、他人なんてどうでもいい、と思って生きているように見えたのでそういう印象になってしまったのだろうか。でも、誰かの生活に深くコミットしていくようになってきても、読者は、それって本当には愛してないんでしょ、と思ってしまう。でも、じゃあ、今わたしが「愛」だと思っていることは本当に愛なのかよ、なんて、それは誰にもわからない。自分が信じていればそれが愛だというのなら、この小説の某たちの感情だって、愛情だって言えるんじゃないのか。

なんだか寂しい物語であったが、最後の光景は不思議なくらい白く明るかった。

#読書 #川上弘美 #某 #大きな鳥にさらわれないよう #ニシノユキヒコの恋と冒険 #七瀬ふたたび #幻冬舎 #SF

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