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舞台「エレファント・バニッシュ」@世田谷パブリックシアター

2003年と2004年、サイモン・マクバーニー演出の演劇「エレファント・バニッシュ」が世田谷パブリックシアターで上演された。村上春樹の「象の消滅」(短編集『パン屋再襲撃』所収)と「パン屋再襲撃」(同)と「眠り」(短編集『TVピープル』所収)の3作を原案としていて、大好きな高泉淳子が出演しているので見ない選択肢はなかった。そして、ブレイク前の堺雅人に感銘を受け、吹越満もこの舞台をきっかけにソロ舞台まで見るようになった。

2003/6/7
前から楽しみにしていた「エレファント・バニッシュ」、こないだテレビで吹越満のインタビューも見て、期待満点、パンフも500円だったので速攻で買う(ちょっと期待していた村上春樹のあいさつ文とかはなかったが)。来る途中の電車で読んでいた文庫本の『パン屋再襲撃』の続きを読みつつ開演を待つ。2階の1列目のほぼ中央。2階なので舞台はやや遠いが、眺望は最高。
開演前から舞台中央に置いてあった白い箱は、思ったとおり冷蔵庫だった。電機メーカー広報部の僕(吹越満)が、キッチンで一番大切なのは統一性、ととうとうと語る冒頭から、短編「象の消滅」の世界が始まる。僕の独白が終わると、いきなり、舞台には他の出演者が押してくるテレビモニターや、障子や襖やそれらに投影される映像や、色んなイメージと音であふれ出す。舞台上の役者の動き以外に、モニター上の動きや声も混じり、なので、肉声の比率が低く、アンプからの音が多くなったのが、ちょっとさびしかったが、見た目は現代美術のインスタレーションっぽく、実験演劇、という雰囲気なのだが、物語は村上春樹の原作をそのままなぞって、進んでいく。象が行方不明になった新聞記事を読む吹越満の手元をモニターで拡大すると、読んでいるのは今朝の朝日新聞。結局、物語の最後に行き着く直前で、一旦舞台が暗転したと思うと、今度は「パン屋再襲撃」の物語が始まる。これも主人公は吹越満演じる僕だが、僕が僕自身を説明する分身(高田恵篤)を持ち、この分身は、お腹のあたりにバーを入れ、舞台の中をくるくる回って飛び回るのだ(TDSのマーメイドラグーンシアターのアリエルのショーをイメージすればそれが一番近い。ほんとにアリエル同様くるくる回るのだ)。物語は、宮本裕子演じる妻と僕がマクドナルドを襲撃するという、これも原作どおりの展開。客席から笑いがもれるのは、原作自体に書いてあるストーリー展開そのものであるところが興味深い(ここでいいわ、とマクドナルドを襲撃するのは原作どおりで、芝居自体におかしみがある訳ではないぞ)。強奪したビッグマックを頬張って、それから妻が眠りに落ちていった後、暗転した舞台は、今度は日本では『TVピープル』に所収の「眠り」の物語が始まる(演出者サイモン・マクバーニーが読んだ英語版"The Elephant Vanishes"では同じ本の中に収められている)。これは高泉淳子のモノローグで進むが、他の出演者たちも高泉と同じパジャマ姿になり、分身のように、色々なしぐさをする。モノローグで進行する重苦しい物語で、舞台もなんだか沈んだ雰囲気、しかも原作どおり、救いのない恐怖の状態で物語りは終わる...。思えば、村上春樹の小説は謎解きをしない。超常現象を描いても、それの理由付けをしないまま物語は終わってしまう、その辺の不気味さが、今回取り上げられた3作品にも現れている。そして、舞台はまた、「象の消滅」の世界に戻り、象の話をしたばかりに、ぎごちなくなる僕と女の子の様子が描かれる。絶えず舞台の中を動きまわるセット、黒子も兼ねて押し歩く出演者たち。大小の画面の中に映し出される町並み、人、象。不思議な感触を胸のうちに残す。14時開演、15時50分には終演で(休憩はなし)そんなに長い舞台ではなかったが、眠くなることもなく、充実の時間だった。

2004/6/27
サイモン・マクバーニーの演出による、村上春樹の短編集をもとにした「エレファント・バニッシュ」、昨年見に行って(上記)不思議な味わいに感銘を受けたが、再演が実現され、昨日が初日。昨年同様、2階の1列目の席だった。パンフレット買い(昨年の記録では500円だったのが、今年は600円。昨年は出演者の声みたいなのの扱いが大きかったが、今年は村上春樹の翻訳者ジェイ・ルービンとか、野田秀樹とか筒井ともみとか、間接的な関係者の寄稿みたいのが多い。キャストは昨年とほぼ同じだが、堺雅人(今年は「新選組!」で忙しくてそれどころじゃないのでしょう)の役は瑞木健太郎という役者さんに。物語の基本枠や基本装置はほぼ昨年通りだが、細かいところで、これは昨年とちょっと違う感じかな...みたいなところも。パンフに名前が出ない程度で、企業協賛があったのか、幾つかの企業名商品名が不自然にセリフの中に含まれていたり、今年も「僕」(吹越満)が象の消滅を知る新聞は今朝の朝日新聞だったり(宮部みゆき『ICO』の広告が出ていたよ)。パン屋再襲撃で僕の分身が空中をくるくる回る趣向とかは昨年と同じ。こうして追体験して、村上春樹の世界の中から、とりわけ無機質な感じが抽出されて舞台になったのをしみじみ感じる。まだ公演2日目で、装置にトラブルがあって(照明の電源が足りなくて、その準備にあたふたしている、と、マクバーニー本人が舞台に上がって、半分日本語で説明、途中から立石涼子を通訳にし、そのうち場もたせを立石に任せ、立石がアドリブなのか脚本のうちなのか、ちょっと支離滅裂なことを言い出し、急に、グラスにインクをたらし、インクがじわじわ水全体に広がってしまうと、それをもとに戻すことは出来ない→時間をさかのぼることは出来ない、という話になり、そこからいきなり舞台が始まったのだった。この導入はなんかすごく印象的だったが、でも偶然の産物、なんだと思うだんけど。

最近の舞台なら、ウェブサイトに色々な情報が掲載されそれがアーカイブされているのだが、15年以上前だと、もう、世田谷パブリックシアターのサイトにも「エレファント・バニッシュ」に関する情報は全然残っていない。家のどこかに買ったプログラムや当時のチラシが残っていると思うんだけど、見つけられない。トップ画像は、当時の観劇の記録を残している個人のブログからお借りしてきました。

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