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高橋ユキ『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)

新聞の書評欄で知った高橋ユキ『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)を読んでみた。
2013年7月に山口県周南市の山の中の限界集落で、5人の住人が危害を加えられた上で殺害され、2軒の家が放火された。逮捕されたのは同じ集落に住む男性だった。
集落全体の住人が12人、そのうち5人が亡くなり、1人が逮捕されたことになる。
狭い狭いコミュニティの中で、一体何があって、このような惨事が引き起こされることとなったのか?

キャッチーなキーワードが幾つかあり、当時は多くのマスコミが飛びついた。逮捕された男が、逮捕時には罪を認めていたのが、裁判の途中で無罪を主張するようになり、並行して責任能力の有無の鑑定も行われる。
男は、近隣の住人の噂話に翻弄され、周囲の人から嫌がらせを受けていると思い込み、凶行に至ったとされたが、では、どんな噂があったのか? そのルーツとして、この集落にあったとされる夜這いの風習が関係するのか? 下世話な興味が醸し出される舞台装置。
あまりに狭いコミュニティなので、亡くなった方以外の住民は仮名で、年齢や職業もぼかして書かれているが、若い人はいない。住民の移動手段は? バスの便などもない。勿論お店もない。生協の共同購入で消費財を入手していて、商品を分けるために集まった家で、加入していない人のうわさ話も盛んに行われていたらしいことが作者の取材の中で見えてくる。また、犯人男性だけでなく、他の住人も迷惑行為を行っていたという証言も出てきた。それを淡々と語る住人達。
あまりにコミュニティが狭く、集落を出て行った人の消息まで、怖いくらいに細かく知れわたっていたりする。中学卒業後、集落を出て、成人後は関東で仕事をしていた男は、老いてきた両親の面倒をみるために戻ってきて、家を建て、当初は村おこしなどにも意欲的にしていたが、熱意が空回りし、他の住民にうとんじられるようになる。両親が亡くなってもそのまま集落の中に住み続け、妄想が増大してしまったのか?

取材の過程は丁寧に描かれ、獄中の犯人との手紙のやり取りなども紹介されるが、薄気味悪さが漂い、なかなか読者の納得するな筋道は見えてこない。まだ生きている人への配慮もあり、村の古老は持って回ったように「集落全体の大きな問題があってそこからこの事件を始めとするすべての問題が起こっている、しかし、生きている子孫に影響を及ぼすといけないので事件から10年は真相については話せない」と言う。その間にこの人が亡くなってしまったら真相は闇に眠ることになるのか?
結果的に10年たたないうちに、話してくれた「真相」は思いもかけない、氏神様のたたりというものだった。何それ? 作者はあっけにとられるが、その後、丹念に郷土史の資料をあたり、更に神社の祭礼に参加させてもらったりする。

遠く東京からたびたび取材に通い、口の重い関係者から談話をとり、犯人とも謁見し、更に集落全体の歴史なども確認する。山の中の限界集落。携帯の電波もキャリアによっては入らず、インターネットにつながっている人も殆どいない。インターネットの噂や陰口も人を傷つけ、時に死に至らしめることがあるが、今もってそういうネットワークがない、一見プリミティブな社会の中にも、人を死なせてしまう暗い力が働いている。

周南市の一部となる前の須金村(その後都濃町、徳山市となり今は周南市)にはWikipediaによると1950年時点では4680人もの人口があったという。「つけびの村」の舞台である郷地区では、人口がどんどん減ってはいたが、1965年時点ではまだ115人の人が住んでいた。急速に人が去っていき、老人たちが細々と農業などして残っている集落。小学校も閉校し、その跡地に地域住民向けの施設が作られているが、どのように機能しているかははっきりわからない。かつては多くの人が集まった地元の神社の祭りも、行うのが難しくなってきている。
静かに衰えていく、山間の集落が、この本の本当の主役のようだ。

犯人の言動などから見て、彼は統合失調症を発症していたのではないか、と作者が取材した精神科医は語る。しかし、裁判では、彼には責任能力があった、という判決が下り、死刑判決が確定する(現在再審請求棄却に対する抗告中らしいが)。

この地域が抱える問題は、この地域だけの問題ではないのだろう、と思う。殺人にまで至らなくても、緩やかに人が減っていき、衰えていく集落が全国にどれだけあるのだろう。日本は都市部だけの国になってしまうのか? 見えない未来に思いを致し、ため息をつく、そんな読後感。


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