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山本文緒『ばにらさま』(毎日読書メモ(374))

遂に、山本文緒最後の作品集となる『ばにらさま』(文藝春秋)を読んでしまった。書店の店頭で見かける、強烈な少女像(タカノ綾)の表紙の印象が強かったが、本を開いて見ると、中表紙は、この図柄、『プラナリア』の装丁と一緒だ...と懐かしくなる(装丁・大久保明子)。

もてない青年にすり寄るようにすがってきた、真っ白な少女の本音と打算を描く「ばにらさま」、倹約生活を送る専業主婦の何故?、を最後にがらっと明かす「わたしは大丈夫」、地味で堅実な舞子と、美しくエキセントリックな胡桃の不思議な関係を描く「菓子苑」、ヴァイオリン弾きのポーランド人青年との浜松の恋を描いた近未来SF的(でも実際はSFじゃないな)「バヨリン心中」、仕事場として買った、雪国のリゾートマンションで20×20でフォーマットした文書に原稿を書いている主婦作家が遭遇した出来事(虚実ないまぜか)を描く「20×20」、中学時代の同級生の葬式に行って、エンディングノートに書かれた遺品を託されることになる「子供おばさん」には、まるで山本さん本人の死を予見したような不安感を覚えさせられたが、この作品は2011年の東日本大震災復興支援チャリティ同人誌「文芸あねもね」に発表された作品の再掲なので、書いた時点では自らの死を予感はしていなかったのではないかと思うが、「もし私が死んだら、葬儀は味気ない葬儀場なんかではなくて、参列者の正座がつらくてもお寺でやってもらいたい(中略)花だって辛気臭い菊じゃなく華やかなものを飾ってほしい。薔薇はあまり好きではないので色とりどりのチューリップとか。あの世への旅装束もせっかくだから持っている着物の中で一番高いあの草木染めの訪問着にしてもらおうか。いやそれとも年甲斐もなく買ったボッテガ・ヴェネタのサマードレスがいいかな(後略)」(p.202)などと書かれたのを読むともう、滂沱の涙である。
山本さん、自分が思うような送り出しをして貰えたかな。

2008年から2015年にかけて発表された作品で、最近の作品ではなかった、という意味では、『自転しながら公転する』(感想ここ)が最後の作品だったのか? 色々な出来事があって、作品を発表できないでいる時期も長かったので、こうして振り返ると、残っている作品は思ったより少なく、切ない。

どの作品も、人間のバランスの悪さとかエキセントリックさとか、それをどう包容するか、逆に他人の毒を浴びていた自分もまた別の毒を相手に浴びせかけてしまうところとか、巧みに描いていて、他山の石、みたいな気持ちで読んだり、思いもかけぬくらい同調してしまったりする。同時代人として、しかも比較的わたし自身と近い環境で生きていた人への共感もあって、彼女の見つめてきた風景は、わたしも知っている風景だ、と思う。

未だに、さよならだと思いたくない気持ちでいっぱいだが、かつて読んだ作品を、折を見て読み返してみて、彼女を偲ぼうと思う。ありがとう。

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