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毎日読書メモ(151)『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』(千葉雅也・二村ヒトシ・柴田英里)

哲学者千葉雅也・AV監督二村ヒトシ・彫刻家柴田英里の鼎談『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』(角川書店)を読んだ。2017年から2018年にかけて、5回にわたって、欲望(主に性的な欲望)と、主体的に生きることについて語り合っている。

欲望の様々な形とか、社会的なムーブメントについて語られていて、知らないことが多く、1ページずつ引っかかりながら読む。LGBTQ+の、Q+の部分とか、全然知らなかったな、と思う。勿論この本読んだだけではまだ何もわかってないのは変わらないのだが。ポリティカル・コレクトネスという言葉のはらむ危険性を語り、それを超越した「超」ポリコレの追及。別々のフィールドで活躍する3人は、それぞれに自分の見識を語るが、本書の中には驚くくらい対立がない。ラディカルだけれど、「傾聴」で出来ている本だな、と思った。

フェミニズムという動き自体は決して悪いことではないのだが、フェミニストの言動がしばしばヒステリックにとらえられがちなのは、自他の境界線が不明確になり、誰かの主張に同化して声を上げがちになっていることだという指摘。勿論フェミニズムだけでなく、アンチとか、ヘイトとか、様々な大声への違和感、反感は、主張する人たちの自我が失われた状態で溶解しているからなのか。自分という存在とその欲望を明確に持ち、意識しないと、文明は衰退する。

基本的に、どんな形の欲望を持つことも自由である、但し、他者を傷つけない範囲において。単純化して書けばそれだけだけれど、現実はもっと歪んでいて不幸である場合が多い。一人一人が、自分をきちんと見つめようとすれば、事態はずっとずっと楽になる筈なのに。

エンパシー、他者の靴を履いてみる、というキーワードは今年のトレンドだったけれど、理解しようとすることは大事だが、それはその人と同化するということではない、ということを、肝に銘じておかなくてはいけない。

本の一番最後の部分を引用してしまうとネタバレになるか? (p.270)

二村 普遍的な正しさだけを求めようとすると結果的に、より陰湿な暴力が生まれる。誰にも共感されえない固有の秘密や無意識を、人間は持つ必要がある。
柴田 それが「もっと引きこもれ」ということですよ。

自分の欲望は、宝箱に鍵をかけて、大切にしまっておいて、ここぞというときに出してみなくてはね。

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