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『オリーヴ・キタリッジの生活』『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』(毎日読書メモ(416))

エリザベス・ストラウト作、小川高義訳『オリーヴ・キタリッジの生活』(ハヤカワepi文庫)、『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』(早川書房)を読んだ。
昨年、『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』が刊行されたときに北村浩子が「週刊文春」に大変魅力的な評を書いていて(魅力的、というか、評者がどれだけこの物語が好きか、という愛に溢れていた)、初めてこの本の存在を知ったのだが、1冊目の『オリーヴ・キタリッジの生活』が文庫化されているのを知ったので、まずそちらを読み(しかし文庫本でも1000円以上したさ)、最近になって、『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』を読んだ。

アメリカの東北端にあるメイン州の架空の町クロズビーに住むオリーヴ・キタリッジと、彼女をめぐる人々の物語。連作短篇の形をとっていて、中学校の数学教師として、町の多くの人に知られたオリーヴとその夫ヘンリー、息子クリストファーのままならない家族関係を中心に、町の人々の姿とか、オリーヴ、とヘンリーが遭遇した恐ろしい立てこもり事件の顛末とか。オリーヴが主役の物語、夫ヘンリーが語り手の物語、町の人々の物語の中で、名前だけキタリッジ先生が出てきたり、道の向こうからオリーヴがやってくるのが描写されているだけの物語もある。
大柄で武骨なオリーヴは物言いも単刀直入で、元生徒たちや町の人々にけむたがられたり、実の息子ともうまくコミュニケーションが取れていなさそうであることが、文章の端々から見て取れる。読んでいて切ない。一方で、これってこの主人公が特殊なのではなく、きっと誰もが、自分が歩み寄ろうとしている人と、何らかのディスコミュニケーションを感じることがあるであろう、その姿をある意味残酷なまでに如実に描いているだけなのだ、という気持ちもしてくる。
親しい人とだって、100%理解し合えている、という実感を持てることなんて、ほぼないのではないか。その、隙間を見つめ、苦悶する部分が、オリーヴやその周囲の人たちの物語の中に見える。ある意味残酷であるけれど、全然特殊なことではないよな、と読み進めるにつれ思う。
そして、理解し合えていない人との人間関係に疲れるオリーヴの生活の中で、はっとするくらいきらめく瞬間がやってきたり、ささやかな出会いが深い愛情や友情につながったりする、その機微が胸を打つ。
『オリーヴ・キタリッジの生活』が発表されたのが2008年、期待していなかった続編『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』が発表されたのが2019年、確かに北村浩子ではないが、老境に入ったオリーヴの新しい人生を読むことが出来たことは本当にかけがえのないことであった。北村浩子の評を一部引用する。

続編ではあるが、どちらを先に読んでも問題ない。今作を読んでから前作を手に取ると、ヘンリーと暮らしていた中年期のオリーヴが別人のように思えるかもしれない。彼らのような「ごく普通の人々」を真ん中に据えた物語のひとつひとつから、こんな声が響いてくる。人は必ず変化する。そしてすべての人の生は書かれるに値するものなのだ、と。

https://bunshun.jp/articles/-/43834

両作を読み終わってからこの部分を読んで、まさにその通り、と深くうなずく。
時の流れは容赦なく、オリーヴはヘンリーの死後、ジャックと結婚し、更にジャックとも死別する。老いてきて、一人で暮らすのが難しくなってくる、その描写も、残酷かつ冷静で、オリーヴのモノローグを読みながら、どんどん気持ちがオリーヴに寄り添っていく。巻末のオリーヴの様子を見ればもうこれ以上の続編はないのだな、とわかるけれど、訳者解説によると、これまでに発表してきた色々な物語の登場人物たちは少しずつ別の作品とつながっているとのことなので、この物語の中で出てきた人たちと、どこか別の場所で出会うこともあるのかもしれない。

『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』の巻末で、オリーヴはタイプライターでそれまでに自分が思って来たこと感じたことを打っている。

「自分がどんな人間だったのか、手がかりさえもない。正直なところ、何ひとつわからない」

『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』p.427

オリーヴと一緒に長い時間を、2冊の本を通じて共に歩いてきた最後に、この一節を読むと、オリーヴの、そして自分自身の人生って何だったんだろう、いや、現在進行形で何なんだろう、と思う。
でもそれは、絶望ではない。

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