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寺地はるな『ガラスの海を渡る舟』(毎日読書メモ(408))

寺地はるなが昨年発表した『ガラスの海を渡る舟』(PHP研究所)を読んだ。寺地はるなの小説に出てくる登場人物たちは、所謂機能不全家族で暮らしていた訳ではないが、家族相互のコミュニケーションの前に大きな壁が立ちはだかっている、そんな印象。読んでいてとても息苦しい。

舞台は大阪。祖母が持っていた土地に、祖父がガラス工房を作り、作品を作って売ったり、ガラス工芸教室を開いたりして生計を立ててきた。祖母が亡くなり、祖父も後を追うように亡くなり、一旦畳んだ工房を、羽衣子と道の妹兄が工房を再開する。兄の道は、かなり重度の発達障害を抱え、妹の羽衣子は、そんな兄を理解出来ない、したくないと思ってずっと生きてきた。父は家を出て、母は料理研究家として、東京と大阪を行ったり来たりの生活。羽衣子は、ずっと兄にかかりきりだった母への愛着の気持ちと、その代わりのように自分を可愛がってくれた祖父母に応えたい気持ちを抱えている。道は、曖昧な表現を理解することが出来ないが、それをストレートに相手に伝え、これまでに友達を持ったことがない人生。しかし、柄図工芸作家としての才能は道の方が顕著で、羽衣子は、そこに嫉妬し、苦悩する。
ふとしたきっかけで、道は、ガラスの骨壺を作ることを目指すようになる。墓地に入れる骨壺と別に、自宅に置いて故人を偲ぶ骨壺として、ガラスの骨壺は一定の需要があることがわかってきて、羽衣子も、死者を悼む、ということをについて、思いを巡らせ、また、兄の抱えてきたものについても考えるようになっていく。
その道程は全くまっすぐでなく、多くの外部的な障害に翻弄され、道の言動にいちいちにイライラしつつ、羽衣子が道とのコミュニケーションを持てるようになっていく様子が、ゆっくりと、じわじわと描かれる。道もまた、人を傷つけてしまうストレートな物言いをしてしまいながら、自分を取り巻く環境について考え、傷つき、また、人と関わることについて、自分なりのやり方で腑に落ちるようになっていく。
これは、全くストレートでない成長の物語だ。読んでいて、ひりひりと苦しく、道にも羽衣子にも感情移入を出来ないまま、でも、二人の歩み寄りにより、ガラス工房が何か大きな果実を生み出すことを期待せずにいられなくなる。
物語には具体的な年月の表記があり、コロナ下、自分たちの人生がどのように翻弄されたかの記録にもなっている。
最近、入試問題とか模擬試験とかで、寺地はるなの文章が使われることが多いと聞く。文章がしっかりしていて、複雑な感情のひだを読み解かせるのに適しているのかな。切り取られた文章の中で、問題に向かい合う人は、羽衣子に、道に、どんなふうに向かい合うのだろう。

#読書 #読書感想文 #寺地はるな #ガラスの海を渡る舟 #PHP研究所 #ガラス工芸 #骨壺


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