毎日読書メモ(82)『タピオカミルクティーで死にかけた土曜日の午後 40代女子叫んでもいいですか』(辛酸なめ子)
気軽に読んで、ハハハ、と笑いたいな、と思って、図書館で目に付いた辛酸なめ子『タピオカミルクティーで死にかけた土曜日の午後 40代女子叫んでもいいですか』(PHP)を借りてきた。タイトルと表紙のインパクト半端ない。テーブルの上に置いていたら家族がみんな食いついてきた。
今まであんまり辛酸なめ子って読んだことなくて、確か『女子校育ち』(ちくまプリマー新書)しか読んでないかも。しかし『女子校育ち』が代表作になるのか? Wikipediaで著作のタイトルざーっと見てみたがピンと来ない。
で、これは平成末期~令和の初めにかけて、雑誌に連載していたエッセイで、普段の生活の中で発生した、叫びたくなるようなことについて、縷々語っている。叫びたくなる、というのはつまり、どちらかというと嬉しくない、困った事態の話が多く、それを回避したい気持ちとかが書かれていて、思ったよりスカッとした読後感ではなかった。一方で世代論的なところでは(作者の方がわたしより一世代若いから一緒にしたら怒られそうだけど)親近感もあり。
なんだろう、もっと自分の好きなものがはっきりしていて、それを偏愛するとか、暮らしの中で見つけた小さな幸せ、とかそういうものを自分は求めていたのかな、ということが読んでみてわかった。学び?
読んでいて、彼女にはあまり趣味とかそういうものがないのかな、と思った。で、心の隙間をチャネリングとか、スピリチュアルなもので埋めている印象。視点が自分と違い過ぎて、ある意味新鮮な気持ちで読めた。
一方で、肉体的に「叫ぶ」という行為の難しさについて書いていて、そこはすごく共感。叫び、という音声を発するのは結構難しい。大学に入った年に、サークルの先輩や同級生ととしまえんに行って、ジェットコースター乗って、叫んでいる人を見て、怖いと(あるいはテンション上がると)叫んじゃうのかな、と思ったのだが、わたしは何も声が出なかった。乗り物酔いがきつくて気持ちがそっちに行っているのもあったと思うが、何回か絶叫系の乗り物に乗って慣れてきても、声を出すところまで神経はいかなかった。叫びってもっと本能的なものだと思っていたのだが(個人差?)、少なくともわたしの場合は「叫ぶぞ」と決めて、準備しないと出ないものだということがわかったよ、叫び。
だからこそ、きちんと声に出して叫ぶことはカタルシスを得られる行為になりうるんだと思った。努力してカタルシス?
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