見出し画像

内科を考える医師・医学生の方へ、医局人事を離れた内視鏡専門医より

ご覧いただきありがとうございます。
私は約10年目の医師で消化器内科を専門としています。
noteでは主に消化器内視鏡専門医の試験対策情報を発信しています。


専門医関連の情報に興味をもっていただいた医学生の方や進路に迷っている研修医の先生方、あるいは転科の可能性を考えている先生方にむけて私の経験が今後のキャリアにつき考える参考になればと思いこの記事を作成しました。
きっかけはある後輩の先生が内科医師として急性期病院勤務を続けることに迷っていて、私のこれまでの勤務について聞かれてお話ししたことです。その時は取り留めもなく自分の話をして終わりましたが、その内容が急性期病院だけを見てきた先生にとっては参考になる部分があり「同期とも共有したい」と言って頂き少し短い文章にまとめました。そこに加筆して本記事としました。

内科専門医試験などに関する具体的なお話はなく、どちらかというと進路に関する抽象的なお話です。
自分語りやポジショントークと思われる部分も多々ありますが、私が現在の環境に至る背景や経緯も含めてお伝えすることでどの部分を読む方ご自身の参考とするかより明確になればと思っています。

まず私のこれまでの経歴について、事実ベースと感情面でそれぞれどういった変化があったかをお伝えします。数字は一部ぼかしています。


医学生~10年目までの経験(事実ベース)


 私は都内の大学卒業後に東京近郊の総合病院で初期研修を行いました。3年目で大学病院の内科ローテ、その後都内の急性期病院→大学病院消化器内科→都内の急性期病院と勤務し現在は急性期病院を離れた環境で勤務しています。後期研修中に結婚しています。
 急性期病院では上部・下部の治療内視鏡(ESD等)がメイン、胆膵含めた緊急内視鏡も行っていましたが体調不良を契機に現在の病院に転勤し、現在は一般病床で入院患者さんを受け持ちながら上部・下部の内視鏡を担当しています。
 内科認定医を取得できる世代だったので、急性期病院と大学病院の症例および在籍年数で消化器病専門医と消化器内視鏡専門医を取得することができました。大学病院や急性期病院で新しい内科専門医制度に関わる先生方の苦労を目の当たりにし頭が下がる思いです。もちろん旧制度で内科認定医~専門医を取得するまでの道のりも二度と同じことはしたくない程度に辛いものではありましたが、やはり旧制度のもとで専門医を取得した私の感覚は既に古い世代のものと自覚しています。

 私の経歴はいわゆる「ドロップアウトした医師」と言われるような経過だと思っています。運よく専門医を取得できた点をみればうまく逃げ切った人間の自分語りと思われるかもしれません。きっと同じようなお話はSNS等で何度も見たことがあるかもしれませんし、よくあるこれといって特徴のない医師の感想かもしれません。

 私が誰かの参考になればとこの記事をnoteにまとめた理由が2つあります。
 ひとつが、つい最近まで自分が「今のキャリアを選ぶとは想像していなかった」ことを伝えたい、という理由。
 そしてもう一つ、これからの医師には「常勤先以外での仕事をぜひ持ってほしい」という思いです。

 さて、ここからはくどいようですが上記経歴の中で自分がどんなことを考えていたかを少し詳しくご説明します。

医学生~10年目までの経験(感情面・心理面の変化)


 私は小学生の頃から医師になりたいと思っていて、自分のキャリアややりたいことについて考える時間は長かったと思います。
 今も根底では「身近な人の助けになりたい」という気持ちがあって仕事をしています。少し穿った見方をすると、真に人のためを思ってというより「人の助けになる」ことを通じて自分や自分の家族に及ぼされる良い影響のために仕事をしている側面があります。やらない善よりやる偽善、という割り切った気持ちもあります。もっと金銭的報酬を高めていきたいと思う時期もありましたが、どちらかというと元来必要以上の金銭より精神面での満足を重視する志向です。
 研修医の頃から「勤務医を続けるか開業するか」という点をかなり意識していました。開業の可能性も考え内科、皮膚科あたりに当初興味をもっていましたが手技やペインクリニックに惹かれ麻酔科とも迷い、最終的には内視鏡の手技が何より好きになり消化器内科を選びました。「身近な人を助けたい」という点で希少な疾患を扱う科よりも家族が困ったときに直接助けることができるようなcommon diseaseを多く診る診療科に進みたいという気持ちがありました。

 研修医の頃は重い防護服を着る胆膵内視鏡を敬遠したりしていましたが、医師4年目で胆膵内視鏡の奥深さにも魅せられ内視鏡全般がどんどん好きになりました。オンコールの緊張感はありましたが、それよりもオンコールに呼ばれるやりがいが勝るくらいで内視鏡手技が上達しできることも増え充実感がありました。
 一方で結婚してから現在に至るまでパートナーと過ごす家族の時間が大好きな私は当直やオンコールで家族と離れる時間やゆっくり過ごせない日曜・祝日がつらいという気持ちもありました。

 多くの医師がそうであるように3年目(大学病院)は人生で最もきつい年で、200連勤は当たり前、昼食はエレベーターを待つ時間にポケットにいれたソイジョイを摂るだけのような1年間でしたが、4年目、5年目と年次が進むにつれて研修医の先生がついてくれたり外勤にいける研究日が増えたりして体力的には年々楽になっていく感覚がありました。ERCPやESDも機会に恵まれ人より早くできるようになり、自分は開業より内視鏡技術の最先端で第一線にいることが向いていると思うようになっていきました。

 心理面で志向が変化してきたのは医師5-6年目で急性期病院から大学病院に戻った頃です。学生や研修医の頃からの同期も多く急性期病院で一通りの手技ができるようになり楽しさはありましたが、3年目の大学病院ローテ時と比べて医局に属する医師の実態がより見えるようになりました。人格、経験、知識において尊敬する医師もいる中、そういった医師の存在に頼り自身は過去の業績にあぐらをかいて知識や技術をアップデートしない医師も多々いると感じました。私の出身大学は内視鏡より研究にeffortが割かれる環境で内視鏡治療を軽んじられているような空気もあり、市中病院の方が内視鏡技術の優れた医師が多かったという点も印象的でした。だからといって失望する気持ちばかりでなく、ただ人間の能力には限界があることを実感したという感覚です。内視鏡、研究、家族、さらに後輩の育成まで十分に関わるなんてどんな人間でも物理的に難しいんだな、と。

 私は元々家族と過ごす時間のプライオリティが非常に高く、中途半端にeffortを分散させるべきではないという思いが高まってきました。大学病院や大学院で家族関係が良好な方があまり多くなかった点も影響したかもしれません。

 大学病院で生じたもう一つの気持ちとして、内視鏡技術を極めるタイプの先生はある種の自己主張や自己顕示欲が強い方が多いとも思いました。私にとって消化器内科は内科の中でも比較的おおらかで明るい人間が多い診療科で現在も消化器内科全般大好きなのですが、内視鏡を極める世界は息苦しいと感じるようになりました。

 さらに大学病院で研究に一部携わったことで元々興味の薄かった研究に対する志向が一層低下しました。ここは元々もつ気質の影響が大きいと思いますが、研究においてはかなり早い時点で強い研究志向を持ち行動に移していないと中途半端な結果しか残せないと個人的に考えています。

 そんな中で大学病院から再度急性期病院へ転勤し、手技や経験面ではさらにできることが広がり楽しさはありましたが同時に停滞感もでてきました。新しい知識や挑戦が徐々に減り、過去に先輩医師が話していた「臨床で頭打ちな感覚もあって研究に力を注いでいる」という言葉を身をもって感じるところがありました。研修医1~2年目のときには7、8年程度で頭打ちの感覚に至るとは思えませんでしたが、体感的にある分野で臨床能力40点から70点に上がっていく感覚が80点、83点、84点…と緩徐になる感覚となり、以前はできていてもしばらく触れないと臨床能力が下がる分野も当然あり、急性期医療の中に身をおくだけで勝手に成長するわけではないと感じました。

 ある当直明けの外来中に緑内障関連の発作がありました。前述のように精神面や体力面で3年目、4年目に比べてだいぶ楽になったと思っていたので当初はあまり深く考えず眼科受診し経過をみていたのですが、その後も当直明けに同様の事象が複数回ありました。私自身はそれでも状況を軽くみていましたが、家族に「勤務内容を見直したほうが良い」と真剣に言われたことを契機に自分の身体についてよく考えました。視野に関わる症状もあり、当直業務との関連があり得ると眼科医師から告げられ同じような勤務を続けることは内視鏡に長く関わる上で致命的になり得ると考え、急性期病院を離れることを決めました。大学の先生方に色々と相談に乗って頂きましたが、自分としては大学に依存しながらある種の負い目を感じて過ごすより自分の就職に自分で責任をもった方が気が楽と思い医局人事を離れる形となりました。

 いわゆるネームバリューのある大学だったので、せっかくその大学をでて約10年在籍した場所を離れることにはかなりの迷いがありました。それでもやはり「自分の身体は自分でしか守れない」という気持ちと、大学病院に一定以上身をおき「自分で研鑽を続ければ臨床能力を保てる」という感覚があったことが医局を離れる自信に繋がりました。この時点で必要な専門医試験の書類申請まで済んでいたことも大きかったです。


 急性期病院を離れてからの心理状態については正に今現在の自分についてなので、ここまでの経緯に比べるとより客観性に欠けた記述となることに注意して少ない記述に留めたいのですが、想像していた以上に「自信がつく」状態です。急性期病院を離れた方の意見で「孤独」「暇すぎる」「できる検査や治療が少ない」「何のために仕事しているのか分からない」といった内容を聞いたことがありますが、高い診断能と苦痛の少なさを兼ねた内視鏡検査を追求しながら病棟・外来では急性期病院の後方病院として役割を担える現在の職務がこれまでで最も自分に合っています。医師が少ないため不測の事態に備えて余裕のあるタイムスケジュールになっている環境があり基本的に時間に追われません。これまで経験に基づいて行っていた治療について文献を参照する時間も十分あるためむしろ臨床知識がupdateされます。何より職場に恵まれ、他の急性期病院で経験を積んだ若いスタッフが多いため寧ろ特定の大学の関連病院で自大学の風習に浸かるよりも勉強になる機会が多いです。週5.5日勤務だった急性期と比べ週4.5日勤務で金銭的報酬は1.5倍程度となり、当直・オンコールがなく時間的にも金銭的にも恵まれています。

 もちろん良い面ばかりではなく、今は本当に運よく職場に恵まれただけでこの先の就職については何の保証もない状態です。現在の環境は急性期病院の医師の存在があるからこそ成り立っているもので5年後、10年後には社会環境も大きく変わり私のような医者がまともな職場にいられるか分かりません。若さも大学のname valueもなくなり就職先に困っている可能性は十分にあります。
 ここからは蛇足になりますが、業務に余裕ができたことで自分の今後について考える時間が増えました。私は偶然今の職場の理事長と話しやすい環境だったこともあり、理事長の承認を得て勤務医として勤めながらクリニックを開業しました。訪問診療のみのクリニックだと書類申請すれば自宅の住所地で開業可能です。そちらの収益を増やすか模索する中で、現在は医業以外に優先したい仕事を複数始め収益に繋がっています。医師が医業だけに従事していると十分なリスク管理ができない時代になっていると個人的に考えています。保険診療から得られる報酬は今後縮小傾向になる可能性が高く、個人的には勤務医をベースとして続けながら医師ならではの事業を展開し、状況に応じて勤務医の業務を調整する働き方が現時点でベストだと思っています。

 今になって振り返ると「ただやるべき仕事を進めれば未来がある」という感覚で臨床を続けていた自分は徐々に視野が狭くなっていたと感じます。医者10年目の自分が考えていることなんて5年後にはまた変わっているかもしれませんが、これが現時点での感覚です。

 長くなりましたがここまでの内容を振り返り改めて、内科を少しでも考える学生の方、研修医の先生方に勧めたいことをまとめていきます。


内科を少しでも考える医師・医学生の方へ


 上記の通り私自身医局人事を離れる約半年前まで今のような自分の状況をほぼ想像していませんでした。状況や情勢が変われば自分の中で当然と思っていた未来はすぐに不確実なものになります。医師という職業になった時点である程度の安心が保証されている面はありますが、だからと言って周囲と同じように淡々と仕事をしているだけだと予期せぬ分岐点に立ったときに満足な判断ができなくなる可能性があります。内科を選択する医師は一定の負荷の対価として安定を得る感覚が強いかもしれませんが、そういう方にこそ想定外の変化に備えてもらいたいと思います。


①今の自分が思い描く未来を「想像以上に不確実なもの」と認識してください。徒に不安になるということではなく、様々な身体的変化や環境変化に対して柔軟に対応するためにより「想定の幅を広げる」ことを意識してみてください。

②柔軟さを鍛えるため「思想をアップデートしていくこと」を続けてください。知識や経験のアップデートは容易にできても思想はアップデートが疎かになりがちです。過去の自分が設定した「目標」に囚われないでください。初志貫徹し継続することは力となり強さになりますが、ただ愚直に継続することは特に医師のキャリアの中で楽な方向に逃げているだけの可能性があります。研修医時代に想像できる5年目医師像・10年目医師像は実際と乖離がありますし、やりたいことは変わります。確信のように思える気持ちを過信しないでください。周囲の方にどう見られるかでなくご自身が何を重視しているかに基づいて自分の志向をよく見極めてください。思想を更新するためには新たな場所、新たな人との関わりが重要なので、ぜひ少しでもいいので今の常勤先以外での仕事をしてみてください。

③柔軟に動くため、資格は心強い土台になります。現時点で継続可能な環境で取得できる資格はなるべく早めに取得準備しておくことを強くお勧めします。消化器であれば消化器病学会や内視鏡学会など、入会は極力早めにしておきましょう。1年でも早くご自身のキャリアを自由に決められるというメリットは数万円の出費を遥かに上回ります。SNSでは専門医資格について色々と問題提起もされますが、個人にとっての精神的・金銭的メリットは非常に大きいです。

④身体負担は思っている以上に大きいと十分注意してください。精神は慣れていても身体に異常をきたした時は是非立ち止まって環境を見直してください。

⑤診療科を選択する時点で想像する以上に「報酬」と「時間」は自身でコントロールできます。職場を変えればオンコールも当直も拘束時間も全く異なります。研修医のときに見える医師の姿にとらわれすぎず、是非SNSなどを通じて様々な医師の意見を覗いてみてください。選んだ結果よりも、十分に考えた時間が後々納得できる選択に繋がります。


ちなみに、医局人事を離れたあとの就職についてTwitterでお話ししたことを追記します。
私は医局と関係ないパート先の事務長から紹介で現病院に就職しました。
毎年いろんなところでパートしておくのが一番いいツテになります!

パートで事務長等とコミュニケーションとっておくと「話しやすい」「自分を(少なくとも表面上)尊重してくれる」など重要な部分が分かるので就職後のイメージが湧きます。
面接だけでいきなり就職は、リスクも心理的ハードルも高いです。
私は医局関連で6か所(ほぼ全て内視鏡)、非関連で4か所(クリニック2か所、訪問診療、健診センター)ほどパートして良い事務長に会えました。


最後に

冗長で説教っぽい文章となってしまいましたが、私の経験を参考にしてくださった後輩の先生のようにご自身のおかれた状況について考える方にとって少しでもお力になれたら嬉しいです。

最後まで目を通していただきありがとうございました。


Drゆい

Twitterアカウントはこちらです。

Youtubeチャンネルはこちらです。

【関連ページリンク】
消化器内視鏡専門医試験【2022年7月版】対策と過去問 (本ページ)
内視鏡専門医試験対策ノート①【2022年7月版】
内視鏡専門医試験対策ノート② 2022年2月過去問復元(総論+上部)
内視鏡専門医試験対策ノート③ 2022年2月過去問復元(下部+胆膵)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?