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(私のエピソード集・3) 二度目の大手術

8月にE宅に泊まり、9月新学期が始まってまもなく、入院することになってしまった。その時の住まいは、調布の深大寺近くのアパートを、大学4年時の担任だった渡辺教授に、自宅前に建つアパートを紹介されて、4月から妹と2DKの部屋に住んでいた。

 妹は岡山の栄養短大を卒業後、上京して、都心の杉野ドレメ洋裁学園に通い始め、部屋代は私が、食事作りを妹が担当していた。

 9月のある日、激烈な痛みでうずくまる私を見て、妹はお向かいの渡辺教授の助けを求めた。先生の計らいで、杉並にある病院を紹介され、そこへ緊急入院となり、手術を受けることになった。右腹部癒着による腸閉塞と診断されて・・。

 一回目の卵巣のう腫の時の、手術跡をなぞるように、同じ箇所を20センチ以上切られた。倉敷の母が珍しく上京して、数日間看病してくれた。

 この時、博士論文に取り組み中のEが、毎日欠かさず、見舞いに来てくれた。時には一日に二度現れることもあった。母は仏頂面で、気に入らない様(さま)を丸出しにして、挨拶は無視、口もきかなかった。

 私の寮生時代の仲良しだった栄子と千穂が、見舞いに来てくれた。その時も来ていたEと顔合わせして、彼が帰った後に二人は驚いたように言った。「Sさんが本命じゃなかったの、どうなってるの?」

 とりわけ千穂は、私に連絡なく、引っ越したSのアパートを、私がストーカーみたいに、探し回っていた時期を知っていたので、         「彼にあなたの入院を伝えてあげる。偶然私のアパートの、お向かいのアパートだったんだから、すぐに行ってあげる」 と言えば、栄子まで、一緒に行くわ、と言い出した。

 私は一生懸命ことわった。彼は修士論文に取り組中で、連絡しない約束になってるから、お願いだからと、ことわり続けた。母の目の前で、EとSが鉢合わせする場面が浮かんで、気が気ではなかったのだ。

 でも、ふたりは実行してしまった。気をきかして、というより、めったにない場面に加われることに、興味しんしんだったのかもしれない。

 そしてある日、本当にSが病室に現れた。幸いにも、Eはまだ来ない午前中だった。何を話したか、何も覚えてはいない。会えて嬉しいというよりも、私は派手な大柄の花模様の布団の中で、気詰まりでならなかった。

 彼がそれまでに言った幾つもの、気になる言葉が、心のとげになっていて、自然な明るい会話などできなくなっていた。それはEとの場合とは、真逆の関係と言えた。

・君はよく笑いよく泣き、感情的だね、ついていけないよ(どうすればいいの、私は? これが私なのに)

・コンプレックスを感じるよ。君の方が優秀なんだろうなあ  (浪人したからって、卑下することないのに)

・いずれ僕のことを書くんだろうなあ。君は書く人だから(絶対 一生書きたくないわ)

・君が2、3歳年下ならなあ。(半年年上のくせに、それじゃだめなの?)

・男と女の闘いだね(愛ってそんなものなの?)

 そんな思いを、口に出せる雰囲気ではなかった。

 Eとなら、私は素のままでいられる。私が何を言っても、すぐに同意か、または反論し、面白がってくれる。まだ短いつきあいなのに、Sとの違いははっきりしていた。

 ところが、同じ病室内で、黙って見ていた母が、Sの帰った後、あの人ならEより断然いいよ、あの人に決めなさいよと言い出した。

 そう言うだろうとわかっていたのは、Sは、私の大好きな父に似ている点があったのだ。Eよりは体格が良く、がっちりしていて、色白でもあった。あの人なら話を進めてもいいよ、と言う母に、            「末っ子とは結婚しないと決めてるの!」と言い捨てて、母を黙らせた。

 父は偉丈夫なのに、末っ子の気分が抜けず、気が小さくて、しっかり者の母に支えられていることが多かった。Sは5人兄姉の末っ子で、未だに帰省すると、母親の膝に寝ころんで、くつろぐ話をしていた。

 Sと知り合ってもう5年経つのに、実際に会ったのは10数回ほどだった。私が母からの見合い話に、困っていると知った、大学4年のある日、彼は自分も候補のひとりにしてほしい、と控えめなプロポーズをしてくれた。憧れの人だったので、私は舞い上がるほど嬉しかった。

 でも、多くて月に一度ほど会うたびに、育った環境の違いや、考え方の違いを思い知らされ、心がチクチクする。それなのに、惹かれてしまうのは、どうして? と自分でもわからなかった。

 彼は申し込んでおきさえすれば、それで私の気持ちを引き留めておける、放っておいても大丈夫と、考えていたのか、それとも、Eと比べると、情熱の薄い人だったのかもしれない。

 千穂と栄子は、私の心がEに傾いていることに気付いて、二度とSを訪ねることはなかった。

 3週間で退院、高校にも復帰したが、その年の秋から冬にかけて、私の肌はひどく荒れた。幼い時からの皮膚異常の体質が、手術のせいで、いっそうひどくなっていた。手触りはガサガサ、風に触れると、ひび割れが痛んだ。自分でも気持ち悪いほどなのに、こんな体で結婚するのは申し訳なくて、Eにそう言いながら、泣いてしまった。

「そんなこと、気にしなくていい。それは君の本質じゃない」と、きっぱり言ってくれた。誰にでもある、弱点のひとつにすぎない、気にするな、と本気の声だった。それがどんなに有難かったか。この人となら幸せになれる、と心から信じられた。

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