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3章-(6) アンソニー・バビントンの陰謀!

● イギリスの教育を受けた人なら、たいていの人が承知している歴史上の    出来事なのだろう。帰国後、辞典で調べても見つからず、ツヴァイクの  『メアリー・スチュアート』に、詳しく載っているのを見つけた。中身が  わかってみると、ほとんど無実に近い罪で、あれほど残酷な処刑を受けたのだと、私は痛ましさに呆然としてしまった。

● エリザベス女王の意をうけて、メアリー女王を何としても「エリザベス   女王暗殺陰謀事件」に巻きこんで処刑に持ち込むため、国家の警察長官     ウォルシンガムが立案、着々と実行して、それにまんまとひっかかったのが、あわれバビントンの若殿だったのだ。

●『時の旅人』の作者アリソン・アトリーが、自らの故郷の近くに実在した殿様と、近くに幽閉されたメアリー女王に、強く心惹かれ、心動かされたのはムリもないと思った。せめて物語の中ででも、殿様兄弟をフランスへ逃がしてやりたかったのだ。そして彼らが永遠の命に繋がっていることを、確認して自らを慰めたかったのだ。

● アンソニー・バビントンは、チャートリーのリッチフィールドの所領で、妻子と幸せに暮していた。熱心なカトリック信者の熱狂的青年貴族で、メアリーのためならいつでも犠牲になる、と女王に手紙を送っていた。ツヴァイクによれば、「小姓としてシュリューズベリー家に使えていた頃、女王を愛するようになったというのは、ロマンチックな尾びれをつけた創作にすぎない。実際は女王とは一度も会っておらず、奉仕の喜び、熱烈な信仰、女王の冒険への歓迎の気持ちに駆られて、奉仕していたに過ぎない」という。

●  アンソニー自身も、最初の「陰謀」の中身は、女王が近くの森で狩をする時を狙って奇襲し、女王を連れ出して監禁から自由にしてあげよう、というだけのものだった。友人達と秘密同盟を作り、フランスにいるメアリー女王の腹心モーガンとも連絡を取り、なんとかフランスへ女王を送り届けたかったのだ。エリザベス女王殺害だの、夢にも思っていなかった。

● ところが当時の英国の警察は、国民のあらゆる情報を握っていた。フランスのモーガンの官房にも、ウオールシンガムのスパイ(=ジフォード) が入り込んでいて、バビントンとメアリーの秘密書簡は、すべて筒抜けであった。ウオールシンガムにとっては、バビントンのような「純粋で無邪気で、愚かさを備えたロマンチックな理想家」を使えば、メアリーはすぐに彼を信用して、手に入れたい女王自筆の「エリザベス女王暗殺計画承諾書」を、いずれ入手できるだろう。その目的のために、巧妙なわなが次々にしかけられる。

● バビントンの秘密結社には、いつのまにか警察スパイが送りこまれ「メアリーを救い出すだけではダメだ。エリザベスを狙え」と駆り立てる。メアリーからの励ましの手紙が必要だ、とフランスのモーガンの元へも部下を送り、バビントン宛ての激励手紙を、女王に送らせるよう、モーガンに働きかけ説得する。

● 一方、メアリーの幽閉先にも奇妙な変化が起こっていた。寛大なシュリューズベリー伯爵が解任。峻厳極まるアミアス・ポーレットが保管人となり、初めは引き締め一辺倒だったのだが、急に戦術が変わり、陰鬱な要塞の「タットベリ」から、美しく安らげる「チャートリー」への女王移転となる。

● しかも、数ヶ月ぶりにメアリーの元へ、フランスから暗号手紙が届く。 メアリーは最初警戒するが、その入手方法の巧妙な手口を知ると、安堵して文通再開に心をときめかす。その入手経路とは、毎週届くビールひと樽の中に、コルク栓のついた木のビンを浮かせ、空っぽの木のビンの中に暗号手紙が入っていたのだ。これを思いついたのが、ウオールシンガムの部下で、フランスのモーガンに、スパイとして張りついていたジフォードだった。

● メアリーからの手紙はすべてジフォードが横取り、解読して盗み読みし、何食わぬ顔で木のビンに戻していた。いっこうに「エイザベス暗殺計画」の文字が現れないため、ウオールシンガムは焦り、バビントンへの働きかけをさらに促す。バビントンに対して、ジフォードが「女王の信頼に応えるには、計画をうちあけること。エリザベス暗殺のような危険な冒険は、メアリーの承諾を得てから動くべきだ」と、忠義面して迫る。

● 少しずつ暗殺計画の方へ、そそのかされ続けていたバビントンは、この「わな」にあっさりとひっかかってしまう。メアリー宛てに、計画の細部 まで打明けた手紙を送ったのだ。10人の貴族と100人の共謀者で奇襲を行うと。ジフォードはこの手紙を入手すると即、写しをとって本国の内閣へ送り、7月10日ビール樽でメアリーに送り出す。セシル首相とウオールシンガム長官は、固唾をのんでその返事を待つ。

● メアリーの方は、決して書面で言葉を与えぬように、と秘書に諫められていたが、計画がいかにも魅力的で、実現できそうに思われ、ついに17日、返書を送る。待ちきれないウオールシンガムの秘書が、チャートリーに直接押しかけ、メアリーが散歩中に解読してしまう。「エリザベス暗殺同意文」はついに、ウオールシンガム側の手にわたった!

● 謀反人の1人が逮捕され、拷問のためロンドン塔へ送られる。バビントンは露見したと気づき、食糧も持たず、同士サヴェージと聖ジョンの森へ逃げ込む。10日間ひそむが、飢えのため友人宅にかけこみ、逮捕される。ロンドン中の鐘が鳴り渡り、かがり火と祝賀行列でエリザベス女王の無事が祝われる。それはメアリーには、決定的な没落を意味していたが、まだこの時は知らず、希望を抱いて乗馬を楽しんでいた。

● 捕まったバビントンは、牛馬での「四つ裂きの刑」。残る9人の仲間は、絞首刑では軽すぎると、6人(そのうち2人は少年で、空腹のバビントンにパンを与えた、という罪で)は、3時間の拷問の後、生きながら切り刻まれる「苦痛延期の刑」が宣告された。若者達の苦悶の叫びのあまりの残酷さに、ロンドンッ子たちが怖じ気づいたほどだった。そして残りの者の処刑を速めたほどだったという。

● ツヴァイクも「若いロマンテイックな人間の信じやすさを、悪事に利用   した点で、最も不愉快な事件」と断罪、批判している。なんと酷い、なんと卑劣な! 言葉に表しきれないほど悲痛な思いに駆られる。

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