効率ばかり求めるなら、生まれた次の日に死んだ方がいい
僕が好きな養老孟司さんの言葉
「効率ばかり求めるなら、生まれた次の日に死んだ方がいい」
近年、効率ばかりが人に求められ、お金がないと生きていけないくらいの
消費依存、お金を稼ぐ能力が人を判断する基準になっているが、
「経済はなぜ存在するのか」「経済成長は目指すことなのか」をもう一度考えた方が良いと思っている。
人はもっと非合理で、感覚的な、社会的生物であり、
お金になる価値だけを生み出すためだけに僕らは生まれたわけじゃない。
哲学
僕が考えたところ、
「楽しさを共有したり、共に喜び合える人との関係性の中で生じる関心の持ち合いが明日も生きたいという原動力を生んでいるのではないか」
そう思った。
お金で一時的な人からの関心は買えるが、一時的で終わる。
持続的には続かない。
だから僕は、
お金にはならない価値や感覚的な行動、利害を目的としない人とのつながりなど。
これまでお金にならないため無意味とされてきた、目を逸らしてきた、
心の声に向き合わせ、自発的に行動する様に促す。
僕のビジョン
”つながり”と”たのしさ”が生まれる町づくりによって、
自分らしく生きられる社会を創造することだ。
つながり :困った時に頼れる自立した者同士の関係
たのしさ :自発的行動に付随するオリジナリティを加えられる喜び
自分らしさ:効率主義が排除してきた、心の声
原体験
僕が自分らしさを引き出していきたいと考えたのは、
一般教養の勉強をしない異質な学生(不登校)になった時、誰も関心を持ってくれず、
なぜ不登校になったのか理由も聞かずに、否定されたり、無視されていた経験があるからなんだ。
当時は信頼していた周りの大人から否定され続けた。
けれど、隣人の名前も知らないくらい交流のない地域に住んでいたので、
世界が狭く、
ただ、否定を受け続けることしかできなかった。
この先、自分らしさを捨て、自分を消した状態でお金を稼ぎ、生きていかないといけないと言う絶望感があり、死にたいと思っていた。
けれど、実際僕らが触れることのできていない世界は僕らの知っている世界の何千倍も広い。
もちろん受け入れてくれる人も沢山いる。100万くらいの給料でも普通の人の数倍、幸福に生きている人もいる。
そのことに不登校の終盤・今の高校に入ってから気付かされた。
何を作りたい?
だから僕は、今まで高校生が触れれなかった世界に触れさせてあげ、
”自分の本当の価値や可能性に気付くきっかけとなる場”を作りたい。
町、国という広さまで、
その様な場を複数作っていくことが僕の使命だと考えている。
これまで触れてこなかった、
目を逸らしていた物事には、見たくない醜さも存在していると考えている。
(弱さや否定されてきた思い出など。)
でもそういった物事に関心を持ち、自分の意思でそこに向き合ってみるときに楽しさや、楽しさを共有できる繋がりが生まれる。
結果として、繋がりや楽しさは万物への関心・感謝へと繋がり、
今発生している様々な問題の解決につながってくるのではないかと考えている。
抽象的ですが、事業内容(仮)
・衣食住を自足するという選択肢を持ってもらう
・違うコミュニティに所属した普段で合わない人との関係性
└コワーキングスペースに隣接したカフェを作ることで学生を”勉強で良い点取る”ことだけが自分の価値じゃないことに気付いてもらう
・お金にならない価値と向き合う
・地域コミュニティ→崩壊→生態系の復活
こういったことをやっていきたい。
今回はビジョンを書くことでまとめようという目的のもと、書いたので
整理されていないかもですが、ご了承ください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?