見出し画像

教師残酷物語 第2話「鬱病」(下條先生29歳/英語科)

「生徒から嫌われるんじゃないか……と思うと、もう怖くなっちゃって……。“恥ずかしい”ですよね、良い大人なのに。教員生活7年目で……。」

 下條桜子先生(29歳/高校英語科)は軽度の鬱病と診断され、現在は休職中だ。明るめな髪色に小綺麗な白シャツ。そしてカラフルなネイル。こうした姿からはちょっと想像しにくい……。ハキハキとしたしゃべり方で、笑顔も多い。目を真っすぐ見て話す態度から、一見すると、気さくなアパレル店員か美容師のようにも思える。おそらく生徒にも人気な先生であろう。いや、正確に言うと、人気な先生で「あった」だろう。

「インスタは旅日記みたいになってますね。とにかく夏休みとか春休みとか、長期休暇になると、海外のどこかに行くんですよ。ただの趣味ではあるけど、その経験を授業でちょっとずつ話すんです。それで、少しでも海外に行こうって気になる子が増えたらいいなぁ、って。」

 大学時代にはボストンに留学していた経験もある。生徒には、若いうちに価値観が変わる経験を持ってもらいたい。そのためのツールとして英語を習得して欲しい。それが彼女の教育理念だ。話し方から察するに、性格は素朴で、前向きな人生観を持っている。しかし、それが裏目に出たのだろう。

 下條先生は勤続5年目で、学年の生活指導の係にあてられた。日本の中学高校は教員の様々なチームによって組織されている。わかりやすいのは、教務部や進路指導部、生活指導部、総務部、広報部などの校務を担う各分掌のチームだ。これは専任教諭であれば誰もが割り当てられる役割分担の組織である。ほかには各教科のチームや部活動のチームがある。そして各学年の担任団のチームもある。教員は様々なチームに所属し、縦に横にと多彩な連携をとって学校運営を支える。
 その中で彼女は、5年目で高校1年生の担任、分掌は教務部、部活はバスケットボール部の配属となった。彼女は、勤続1年目では副担任のポジションで、担任業務のノウハウを学んだ。その後高校1年、2年、3年の担任を務め、高3を無事卒業させた。それで再度高校1年の担任となった。ただ、新たに彼女は高校1年の担任団の生活指導リーダーにもなった。

「勿論、生活指導部所属の体育科の先生にもサポートは入って頂きました。学年主任の意図や学校側の私に対する期待も理解していました。しかし、人には向き不向きがあるんですよね……。」

 上層部は勤続5年目の彼女を成長させようとして、学年の生活指導リーダーにあてた。学年の担任団の中にも様々な役目や役割がある。修学旅行のセッティングをする係や進路関連のイベントを取りまとめる係など内容は様々だ。その中の1つに“説教役”として、担任とは別に生活指導係というポジションがある。正確に言うと、生徒の生活態度や社会規範を積極的に育成・促進する役目と言うべきだろう。担任1人では手に負えない問題生徒の指導をサポートしたり、学年全体の集団規律を向上させたりと、業務内容は多岐にわたる。が、何にせよ、生徒への叱責を担当する以上「嫌われ役を買って出る」ことに違いはない。

「他学年では、たぶんあり得なかったと思います。私みたいな20代の若手が生活指導のとりまとめっていうのは……。しかも、私は女性で、英語科で、教務部ですし……。普通は体育科の生徒指導部の先生とかがやるんですけどね。」

 慣例としては、やはり屈強で強面な体育教師が担うようだ。キレイごとを抜きにして言えば、やはり問題生徒への指導や集団への指導には、ある程度の“威圧感”が必要なのだろう。しかし、下條先生に“それ”があるようには思えない。おそらく上層部はそれを見越して彼女を抜擢したのだろう。役職としての責任を持たせることで、飛躍的な成長を願って(狙って)いたのだろう……。しかし、生徒からしたら、それはむしろ“茶番”に見えていたようだ。

「結局、生徒は私の言うことなんかききませんよ。見てるのは、私の後ろに控えてる体育教師の顔色です。てか、子どもたちも馬鹿じゃないんで、さすがにわかります。私がただの“お飾り”的な生活指導教師だってことは……。だから、むしろ影で馬鹿にされていました。『虎の威を借る狐』みたいに見えてたんでしょうね。体育の先生を後ろに控えさせて、えらそうにしてる、調子づいた女って感じ? クラスの生徒からはそんな風にディスられてたみたいです……。」

 彼女の勤めていた学校は1学年500名近い生徒が在籍している。全校集会の時に彼女は、入学したての生徒500名の前に立って注意や叱責をする。そして数名の問題生徒には放課後個別に叱責や指導を行なう。その立ち振る舞いを担任クラスの生徒も見ている。

 下條先生には、下條先生なりのクラス運営や生徒との接し方がある。しかし、立場上自身のクラスの生徒を甘やかすことはできない。例えば、スカートの長さや髪型、ネクタイやリボンの付け方など、かなり些細なことでも校則に違反するなら、彼女は注意せざるを得ない。

「内心、見た目の指導とかどうでもいいと思ってました。スカートが短いだの、ヘアゴムは黒・紺・茶じゃなきゃダメとか、マジでいらない校則です……。けど、言わなきゃならないんです。他の先生はそんな細かい所スルーしてても、私は言わなきゃならなかったんです……。でないと、自身のクラスの生徒にも、他のクラスの担任にも示しがつかないんで……。」

 確かに、全校集会で制服をちゃんと着こなせと言っておきながら、自身のクラスの生徒が乱れていては示しがつかない。1学年にクラスは13個ある。担任団の中では彼女はまだ若年層だ。立場上は同僚でも、やはり年上の多いチーム内では、周囲の目線は気になっていただろう。それが悪循環を生み、彼女の心を灰色にさせた。

「前年度うまくやってきた分、へこみましたね。なんで高3相手ではうまくいったのに、高1はダメなの?って……。全然クラスがうまくいかないんです。嫌われてましたね。勿論、教師は嫌われるのも仕事のうちなので、それは仕方のないことなんですが……。けど、なんで私だけこんな“貧乏くじ”引かなきゃいけないの?って思ってました。こっちだって怒りたくて怒ってるわけじゃないのに……。」

 学校の先生は常に1人対大勢の構図で働く。それは“権威”が備わってこそ成立する構図だ。もしくは強靭な“精神”があってこそ成立するものだ。
 彼女の根底にあるのは“多様性”のマインドだ。彼女に適した生活指導の方法は、時間をかけた“傾聴”だ。そう彼女は自己分析している。しかし、学校から求められた生活指導は“傾聴”とは程遠い“強要”ベースの方法だ。それが彼女の心と彼女のクラスを“ねじれ”させた。

「最初は2学期はじめくらいだったと思います。ただ体がだるいって感じでした。けど、次第に朝起きられなくなり、欠勤させてもらうようになりました。そして欠勤すると、ますますダメになりました。体調が悪いわけではないのに、とにかく動くのが億劫になって……。」

 結局、下條先生は管理職と相談の上「休職」という形をとることになった。しかし、もはや学校に復帰することはなかった。年度末に退職した。ただ、幸いなことに別の学校に勤務することができた。心機一転やり直しを決意していた。が、しかし、新たな職場も3ヶ月ともたなかった。

「“恥ずかしい”話なんですが、生徒が怖いんです……。ただ誤解してほしくないんですが、新しい職場は非常に良い所でした。ただ、私がダメだったんです。なんか嫌われたらどうしようって……。前の職場でのことを思い出しちゃって……。冷静に考えたら、前の職場の生徒もたぶん、私が気にするほど私のことを嫌ってなかったと思います。ただ、もうそういうんじゃないんです。フラッシュバック? 嫌な記憶と嫌な感覚だけが、“波”みたい流れてくる感じで……。」

 気になったのは、何度も使われる「恥ずかしい」という単語である。はたしてそんなに「恥ずかしい」ことなのだろうか。いくら権威を持っていても「1人対大勢」で働くのは大変だ。大人であっても「大勢」に嫌われるのは怖い。当たり前の心理だ。しかし、下條先生はその感覚を「恥ずかしい」と言う。
 本来の彼女はきっと対人能力・コミュニケーション能力が高いはずだ。でなければ、世界各国を旅できるわけがない。しかし、現在は「旅日記みたい」と表現していたインスタもほとんど更新されていないらしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?