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【教師残酷物語】第9話「育休」(今藤先生40歳/英語科)

「日本って『子育ては夫婦でやる』って価値観がないんですかね? たぶん、ボクが女だったら、こんなに悪く言われてないでしょう? ボクが“男”だからですよね? こんなにボロカスに言われるのは……。」

 今藤健吾先生(40歳/高校英語科)は、一見すると先生らしからぬ先生だ。ボサボサの髪に無精ひげ。ヨレヨレの黒シャツにしわのついたスラックス。足元はクロックスの模造品。スーツにネクタイ着用の他の先生と比べると、だらしない……。担当教科は彫刻や陶芸などを扱う美術科。と思いきや、実際は英語科だ。

 今藤先生は中高をイギリスで暮らした。だから、英語の発音はALT(Assistant Language Teacherの略で外国人講師のこと)と同じように流暢だ。いや、むしろ、英語のほうが得意のように見える。日本語では、時折どもったり、頻繁に「アレなんですよ」と無意味な指示語を入れたりする。正直、社会性に欠けている。しかし、ALTの外国人講師や日本語が苦手な帰国子女の生徒とは英語で円滑に会話ができる。そこに彼の存在意義がある。

「うちの学校にはアメリア・カナダ・オーストラリアの外国人講師がいます。けど、英語科の先生たちは日本語で会議するんですね。英語科の先生だけの教科会議なのに。だから、日本語が苦手な外国人講師は困るんです。そこで、彼らは『英語で会議をしてくれ』ってお願いしたんですよ。けど、多くの英語科の先生は、そう言われても日本語で話してます。」

 日本の英語教育の実態はわからない。が、英語の先生の中には、海外での居住も留学も経験していない人が一定数いる。それが悪いとは言わないが、生徒に英語を教える先生たちである。その方々が、英語で外国人とコミュニケーションをとらない。少々心配になる話だ。
 しかし、そんな状況だからこそ、彼のような存在は貴重だ。日本人教師とALT外国人講師との橋渡しとなっている。しかし、彼が担当している授業は英文法だ。リスニングやスピーキングではない。どうにもミスマッチな配置のように思える。が、組織には様々な事情があり、全体のバランスをとる必要があったのだろう。仕方のないことだ。

「正直、文法の授業は誰が担当しても、あまり変わりません。授業のクオリティが上がることもなければ、下がりこともありません。だって文法ですから。『法則』や『規則性』がありますから。けど、スピーキングの場合はそうもいきません。やはり発音はネイティブとそうでない人とでは差が出てしまいます。」

 当然の話だろう。だから、今藤先生は気兼ねなく育休の申請ができた。年度の途中で職場を離れる。そのため、臨時の代行講師を探さなければならなかったが、担当クラスに大きな損害を出すような話ではない。だから、管理職も難色を示すことなく承諾した。

「ボクが出産するわけではないのですが、どう考えても大変じゃないですか? だから、とにかく妻とは一緒にいて、産後はできる限りのサポートをしようと考えていました。それって“普通”じゃないですか? 制度的にも可能ですし……。何でそれでボクが非難されなきゃならないのか? 非難するなら、そういう制度を作った管理職なり組織なりを非難すべきですよ。」

 彼は2学期の途中で育休に入る予定であった。定期テストが終わったタイミングで、臨時の代行講師と交代する予定であった。しかし、奥さんの出産予定日が早まった。そのため、彼は定期テストの10日前から有給を使って、育休を早めさせてもらった。臨時の代行講師は定期テスト後からの勤務予定である。だから、定期テストまでの1週間分の授業を誰かが担当しなければならない。また、彼の担当クラスで実施されたテストの採点を誰かが請け負わなければならない。
 結果は、英語科の先生たちが分担して受け持つことになった。試験前の慌ただしい中、仕事が増えるのは嫌なものだ。また採点の量が増えるのも嫌なものだ。誰だってやりたくない。仕事が増えた分の手当があるわけでもない。ただの“貧乏くじ”だ。

「申し訳ないとは思っています。けど、間違った判断だとは思いません。英文法の授業と妻の命と、天秤にかけたら当然『妻の命』です。だって、英文法の授業はボクでなくともできますし……。採点は大変でしょうが、気合でなんとかなります。ボクが向こう側だったら『仕方ないな……』と思って引き受けますよ。」

 今藤先生の普段の勤務態度や周囲との関係性についてはわからない。だから、もし日常的に彼が良くなかったとしたら、周囲からの協力は得られないだろう。“しかし”である。
 社会には「仕方ないな……」と思われることが度々ある。社会的に許容されるべき事情というものだ。例えば、育児や介護、闘病や治療などである。ほかにも冠婚葬祭や急な事故対応なども考慮されて然るべき事情だ。プライベートな問題であったとしても、世の中には社会的に許容されるべき事情がある。
 こういった様々な事情を包括して、近年では「多様性(ダイバーシティ)の尊重」という考え方が普及している。ほかにも「ワーク・ライフ・バランス」や「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)」といった言葉もキーワード化しつつある。

「迷惑をかけているのは自覚しています。けど、『育休をとるな』とか『育休を早めるな』という非難は違くないですか? ボクの人格否定や勤務態度への非難だったら、わかるんですけど、今回は“妻”と“子ども”のことなんで……。驚いたのは、中年女性の先生たちから強く言われたことです。若い女性の先生は何も言ってきません。むしろ、応援?というか、快く負担を引き受けてくれました。」

 出産と育児を一通り経験してきた女性教諭から「育休をとるな」という批判は理解に苦しむ。むしろ、出産と育児の苦労を経験している分、事情を理解してくれるのではないか。それが彼の言い分だ。けれども、残念ながら事態はむしろ逆だった。「男性教諭よりも女性教諭」「若年よりも中年」「外国人よりも日本人」から非難を受けた。

「ALTの外国人講師からはお祝いと励まししかされなかったですね。まぁ、ボクの場合、普段から親密にコミュニケーションがとれてるせいかもしれませんが……。しかし、中年女性の先生たちは“粘着質”でした。グチグチとボクのことを『非常識だ』とか『男は出産に立ち会わなくていい』って言ってきました。内心、『男とか女とか、関係ねーだろ。ボクと妻との問題だ!』って思ってました。」

「性別」の問題ではなく、「個人の生き方」の問題だ。そこに男女の区分はない。それが彼の言わんとすることだ。

 なお、留保すべきは、管理職など組織の上層部は今藤先生の育休を認めている点だ。有休消化によって育休を早めることも認めている。勿論、認めなければ、明確なハラスメント行為となるため「認めざるを得ない」という側面もあるだろう。しかし、彼は管理職からは何も苦言を呈されなかった。
 苦言を呈されたのは、現場の女性年長者からだ。組織全体から見れば、“中間”に位置する女性たちと言えよう。これは憶測に過ぎないが、もしかしたら、彼を非難した中年女性たちは、過去にひどい扱いを受けてきたのではないか。1人で出産に臨み、産後の苦労も1人で乗り切ったのではないか。いわば、「自分がそうであったから」彼と彼の奥さんにも「自分と同じ境遇」を強いたのではないか……。
 だとしたら、皮肉なことだ。教育の現場で、ある種の“苦痛の連鎖”が生じている。もしくは“苦痛の再生産”と言ってもいいかもしれない……。

「皮肉っすよね。生徒には『みんな仲良く!』『困った時は助け合おう!』って教育しておいて……。てか、もしボクが女性だったら、どうなってたんですかね? 同じようなこと言われてましたか? たぶん、言われてないと思うんですけど、もし言われるようなら“地獄”ですよね?」

 近年では「マタニティハラスメント」と言って、妊婦に対する嫌がらせを示す言葉が広まってきた。しかし、「パタニティハラスメント」というイクメン(育児を積極的に行なうメンズ)に対する嫌がらせを示す言葉はまだまだ広まっていない。
 “呼称”には文化や価値観を醸成する力がある。しかし、いつになったら、この英語は広く世間に浸透するのか……。

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