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【教師残酷物語】第5話「セクハラ」(田口先生26歳/家庭科)

「耐えられない、というわけでないんですが、エスカレートしたらどうしよう…って感じでしたね。そっちのほうが不安? と言うか、怖かったです。お尻触られるくらいは耐えられますけど…。“色々”やばくなりそうで…。」

 田口柚香先生(26歳/中学家庭科)自身は、事態を“セクハラ”と捉えているようだ。が、話を聞いてみると、事態は“性犯罪”といった次元のように感じる。少なくとも、足・尻・腹を触るのは“痴漢”行為と同等である。なぜ、そんなことが教育の職場で起こるのか。しかも私立の中高一貫の女子校で……。

 田口先生は中高一貫の女子校を卒業したあと、短大を出て、通信制で教員免許を取った。飲食店のアルバイトしながら勉強し、25歳の頃に母校の非常勤講師の職に就いた。ふくよかな体形をしているが、愛想が良く、笑顔が絶えない人だ。少し明るめの髪の毛は、長く繊細に揺れる。色白で、目が大きく、愛嬌がある。健康で、育ちの良さが垣間見える。男性からも女性からもモテるタイプだろう。ただし、40代後半の既婚者男性からモテたいとは思わないだろうが……。

「●●先生は私が高校2年の頃の担任で、今は中学3年の担任をしています。私は中3全体の家庭科の授業を担当してるので、当然●●先生のクラスも行きます。」

 田口先生が高校2年生だった頃のクラス写真を見せてもらう。化粧をしていない幼さが残る彼女とクラスメイト、そして担任が写っている。担任は短髪の色黒で体格が良い。体育科の先生と思いきや担当は数学。日焼けしているのはテニス部の顧問だからだ。彼は教室に標語としてマザー・テレサの言葉を掲示している。

「今でもテレサの言葉は教室に貼ってありますよ。私も授業するので教室に入りますから。『気をつけなさい』シリーズとか貼ってありますね。良い言葉だと思いますよ。けど、今は“別の”意味で捉えちゃいますけど。」

「気をつけなさい」シリーズとは有名なマザー・テレサの格言である。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
「車で送ってくれるのは有難いんですけど、そのお礼?みたいな形で足とかお腹とか触られるって、どうなんですか? 男性ってそれくらい払って当然だろ?くらいに思ってるんですかね? それともジェネレーションギャップなのか、私には感覚がよくわかりません……。」

 学校は自然豊かな丘の上にあるようで、冬などは特に人気がない。そのため、危ないからという理由で車で自宅付近まで送ってくれる。しかし、その対価として女性の身体に触れてもいい慣例など、男性社会・男性文化の中にはない。世代間による価値観の違いがあったとしても、40代・妻子持ちの既婚者男性が、20代の女性の身体に同意なしに触れていい理由などどこにもない。
 男性はセクハラや痴漢で訴えられた場合のリスクを考えないのだろうか。

「たぶん、私が教え子で卒業生だからじゃないですか? 今だに主従関係にあると思っているんだと思います。私が引っ込み思案な性格なのも知っててやってんのかな……。」

 田口先生の話では、他にも家庭科準備室でお尻を触られたことがあると言う。家庭科準備室は原則として家庭科の先生しか滞在しておらず、その日は彼女1人だけだった。クラスの生徒のことで話があるという理由で訪問され、その話の終わりに冗談っぽくお尻を触られたと言う。

「まぁ、よろしく頼むよ、って言いながらお尻を触ってきたんですが、『よろしく頼む』ことと『お尻を触る』ことの関係性が全くわかりません。……はじめは『そーゆーもんなのかな……』って我慢してたんですけど、それが習慣化するというか……。さすがに多くない?って思ってます。彼氏とかならまだいいんですけど……。」

 たとえ彼氏であっても「職場」でのスキンシップは良くない。公私混同である。

 しかし、なぜ彼女は相談しないのか。学校には校長・副校長(教頭)といった管理職がいるはずだし、他にも先生はたくさんいる。しかも彼女は卒業生でもあるため、コミュニケーションをとれる先生は多いはずだ。女子校だから、普通の学校と比べて、女性教員の数も多い。けれども、今のところ彼女は誰にも相談していない。

「家庭科の先生って、本当に募集がないんですよ。英語や国語といった主要教科と違って、学校全体からみたら授業数が少ないんです。そうすると、人員も少なくて済むわけです。だから、家庭科とか美術とか音楽とかって、ホント空きが少ないんです。その空きが出るまで、私は2年待ってましたから。2年間、色々な所に採用試験を受けに行きましたが、全部ダメでした。だから、今の職場で専任になりたいんです。」

 専任への登用に必要な条件はわからない。が、彼女の話からは「空き」さえ出れば、自分が“繰り上げ”されるようである。それまでは問題を起こしてはいけない。それまでは我慢だ……。それが彼女の心理である。
 また彼女は元来温厚な性格なのだろう。昔から揉め事が嫌いで、争いをするくらいなら、自分が身を引くタイプであった。だから、相談するのも普通の人よりハードルが高い。それに彼女のケースはどう考えても明らかにセクシャルハラスメントか痴漢行為の被害である。そのため、管理職へ相談したら、間違いなく加害男性の教師は懲戒を受けるだろう。もしくは社会的地位が下がるか。……下手をしたら、逆恨みされる可能性、危険性もある。専任へ登用されるまでに、彼から陰湿な嫌がらせや悪い噂なんかを流されては困る……。非常勤講師という非正規雇用の立場である彼女にとって、それだけは避けたい事態である。

 ただ、話を聞いていると、彼女は自分が被害者になることだけでなく、加害者になる可能性の方も恐れているようだ。

「飲み行こうって言われたことも何回かありますね。勿論、断りましたけど。相談のってやるよって……。私は●●先生が既婚者だって知ってるので、奥さんから訴えられるのも怖いです……。」

 実際問題として言えば、奥さんから訴えられる可能性はかなり低いだろう。しかし、彼女はそれすらも危惧している。“育ちの良さ”が“人の良さ”として裏目に出ているようだ。そして、それが少々自尊心を傷つけているようにも見える。

「もう断る理由を『彼氏がいるから』『彼氏が許してくれないんで』ってしたんです。そしたら、誘いはなくなりましたけど……。」

 実際のところ、彼氏はいないらしい。おそらく女子校育ちで異性には奥手な性格なのであろう。また非常勤講師と言えど、暇ではない。勉強することも多く、授業の準備には時間がかかる。と言うよりも、彼女は時間をかけて準備をしている。「一人前の教師になりたい!」という想いも強いのだろう。授業を“する”ことよりも、授業を“工夫する”ことを心掛けている。恋人が欲しくないわけではないが、今は仕事だ。だから「彼氏がいる」という嘘には、彼女の心をひっかくような痛さがある。

 近年では、セクハラやパワハラで訴えられたくないために、部下への接し方に困惑している中高年男性が増加している。そんな世間の風潮を彼は明らかに逆行している。しかし、職場での彼はいわゆる“熱血教師”タイプであるらしい。マザー・テレサの格言を掲げるくらいだ。きっと教育熱心な先生なのだろう。実際に田口先生も在校生である時はそう感じていた。しかし……。
 今は「気をつけなさい」というマザー・テレサの言葉を“別の”意味で捉えていると言う。どういう意味か……。
 教師として、女性として、彼女の「運命」が明るくなることを願うばかりだ。

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