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#14 ダイアローグの部屋

新企画「蒼馬の部屋 -dialog-」

【募集】一緒に現在の状況をふまえた「創作論」について「ツイキャス」でお話しませんか?
・詩・短歌・俳句・小説・絵など、創作に関わっている方を募集します。
・いま、どんなことを考えながら書いたり描いたり作ったりしているのか、そんなことについてお話ししたいと考えています。
【日時】水曜日 夜21時ごろから30~1時間程度
【連絡方法】
①この記事のコメント欄
②Twitterアカウント @ssk_aoma のDM

以下、この企画を思いつくにいたった経緯。

モノローグからダイアローグへ

ここまで2週間ほど、ひとり部屋で感じている些末な感覚を言語化する試みをしてきた。人が、部屋に閉じこもることで、身体や精神、行動や創作にどのような変容をもたらすのかを観察して、毎日毎日ポツポツと水泡のようにわき起こる問いのようなものを書いてきた。

もちろん、それらの問いに答えるには、一日では到底語りつくせないものもあるから、わからないことには言及しないことにしてきた。いまは、そういう問いを抱えるしかない。これは、ぼくが知らず知らずリルケの言葉に従っているからかもしれない。

あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを。そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように、愛されることを。今すぐ答えを捜さないで下さい。あなたはまだそれを自ら生きておいでにならないのだから、今与えられることはないのです。すべてを生きるということこそ、しかし大切なのです。今はあなたは問いを生きて下さい。そうすればおそらくあなたは次第に、それと気づくことなく、ある遙かな日に、答えの中へ生きて行かれることになりましょう。おそらくあなたは御自身の中に、答えの中へ生きて行かれることになりましょう。
(リルケ『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』新潮文庫)

「今はあなたは問いを生きてください」。これは、人生の先輩として、詩人の先輩として、若い詩人に向けた実際の手紙の言葉だ。ぼくはもう10年もまえになるか、失意のうちにこの本を読んで生きていく力をもらったことがある。ほかにもリルケのあたたかな言葉がそこかしこにある本なので、迷いのなかにいる人はぜひ手にとってもらいたい。

そして、問題は「問い」に答えようとしないこと。この姿勢だ。リルケは何度も何度も念を押すように言う。

あまり自分自身を観察しすぎてはいけません。あなたの身に起こることから、あまり早急な結論をひき出してはなりません。単純にその起るがままにさせて置きなさい。

日々、問いは生まれてくる。「問い」はもちろん、答えていくべきものだ。それは客観的にも主観的にも答えが与えられることが求められていく。しかし、答えを急いだところで、その場しのぎな答えが得られるだけだろう。リルケだけでなく、ドゥルーズも次のように言う。

目的は諸々の問いに答えることではなく、抜け出すこと、そうした問いから抜け出すことである。多くの人々は、問いを何度も蒸し返すことによってしか、その問いから抜け出すことができないと考えている。「哲学についてはどうでしょうか、哲学は死んでしまったのでしょうか、それは乗り越えられるのでしょうか」。これではとてもやりきれない。問いからうまく抜け出したと思っても、絶えず問いに舞い戻ることになる。そういう仕方では抜け出せないのだ。問いから抜け出す運動はつねに考える人の背後で、あるいはその人がまばたきする瞬間になされている。抜け出すこと、それはすでになされているのであって、もしそうでなければ決してなされることはないだろう。
(ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ『ディアローグ ドゥルーズの思想』河出文庫)

目的は、「問い」に「答える」のではなく「問い」から「抜け出す」ことにある。たしかに、結局同じ「問い」に帰ってきてしまうことになる。リルケの言う「答えのなかに生きる」というのは、「問い」から「抜け出す」ことなのかもしれない。

そういう意味で両者は同じことを言おうとしているのかもしれない。

いま、これを書いているのは、この本を参照したからではなく、なぜ問いに答えようとしないだろうなあと思ったときに、この二書が思いついたからだった。妙なつながりと共振があるもので、「問い」を抱えるということで、それは「まばたき」を行っているようなときに、ふと何かがあらわれるものだ。

毎日、このような文章を書いていると、自分でも思いもよらないものに辿りつくというか、「経由」することがある。ああ、あのときのがここで出てくるんだなあという気づきがいまのぼくにとってはおもしろい。

話は変わるが、ロックバンドのサカナクションの山口一郎さんが、インスタライブで日々、さまざまな人と対話をしている。目的はぼくにはわからないが、著名人や音楽家、あるいは一般の視聴者とも対話を繰り返している。

すこし見たところでは、山口さんは話を聴く側で、ああいう状況だ、こういう状況だという話を聴いて、そうか、というかたちで、コメントはするにせよ、何かを決めようとはしない物言いにすごく好感というのか、共感するところがあった。

こういう「考え方」もあるのだなと思った。

昨日の記事でぼくは、創作者が物を書くとき、これから描くべき「日常」はなんなのか。現在書けている人がいるのならば、どういう意識で、(あるいは意識しないで)書いているのか。これまでの「日常」を描き続けているのか、あるいはこれからの「ニューノーマル」を描こうとしているのか(いや、描かざるをえないというか描いてしまっているのか)、そういうところが非常に気になるといった話をした。

こればかりは「モノローグ」で考えていても、どうなのかな、どうなのかな、で先に進まないところがある。気にしても仕方のないことなのかもしれないけれども、どういう考えがあるのかは参考にしてみたい。というより、ともに先に進んでみたい。

そこで、リルケ、ドゥルーズ、山口一郎と来て、ぼくは「ダイアローグ」をしてみたいと思っている。単純に、人と話したいというのもある。でも、ただ雑談するのではなく、何か、一つの「問い」のようなものを生きていきたい。

ぼくはずいぶんまえに「蒼馬の部屋」というツイキャスをやっていたことがある。これもほとんどモノローグに近いのだが、結局自分のなかの「問い」にかえっていくことがあって「抜け出す」ことができなかった。

そこで、ふたたび「蒼馬の部屋」を立ち上げて、ダイアローグをしていきたいと考えるようになった。まずは一緒に話してくれる人がいるかどうかなのだが、これを機に探してみたいと思う。

もし、これを読んでくださっているなかで、いまとこれからの「創作論」のようなものについて一緒に話してくださる方がいらっしゃれば、どのようなかたちでも声をかけてくださると嬉しいです。

今日は、そういうことを考えついたというあたりでやめにしておこう。

ということで、考えついた新企画です。そもそも、お話ししてくださる方がいらっしゃるのかが問題ですけれども、もし、ご興味のある方はどうぞよろしくお願いいたします。

新企画「蒼馬の部屋 -dialog-」

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マガジン『部屋のなかの部屋』
このマガジンを書くようになってから、さまざまな方からコメントをいただくようになりました。まず、このような文章を毎日お読みくださってありがとうございます。読者が一人でもいると思うと書いた甲斐もあります。おそらく、似たような状況のなかで生きていますので、同じようなことを考えている方も多いと思います。ぜひ、その感覚に向き合っていきましょう。

在宅勤務でひとり部屋に引きこもった生活の様相を記録しています。そこから「言葉」がどう変容していくのか、アフターコロナにむけた「詩」の問題を考えています。今のところ毎日更新しています。ぜひフォローしてください。

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