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Mal sehen, was dann kommt.

人間への感謝と文句が同じくらい溜まってきました。
この閉鎖された生活の中でも人間と関わっている証拠ですね。
適当に記録します。


下の階の人(妙子さん・仮名)が本当にできた人である。
わたしが仕事をほぼ失い、暇そうにしているのを見かねて(?)
「ねえねえ、材料費プラス10€払うから私たち(妙子さんと旦那)に夕飯作ってくれない?」
と持ちかけてきてくれた。

えええええ〜?いいんですか?????という気持ちである。
一人じゃ食べきれないからって試せないでいるレシピがまだまだいっぱいあるので、材料費がもらえて、食べ切ってくれる人がいて、さらにお金までもらえる…?
これはもう、わたし、生きててもいいっぽい感じしますね…?

というわけで、おとといは
・春野菜のあんかけ焼きそば
・鶏とFenchel(セロリみたいな野菜)のスープ
・くるみのムース
というメニューを提供させていただいた。

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(わー!エンデちゃんってばお料理じょうずー!)

材料費はわたしと同居人(ドイツ人のおばあちゃん)の分まで入れて、8€。

妙子さんの旦那のフランク(仮名)も、美味しい〜!と骨までしゃぶっていたらしいし、妙子さんにも「美味しかったし、自分じゃ作らないものだから珍しくて楽しみで嬉しい!またお願いできる?」と言ってもらえた。
というわけで明日も夕飯デリバリーサービスをする。
これはめっちゃありがたい仕組みだな?!

ちなみに明日のメニューは
・里芋とレンコンのコロッケ
・大豆肉団子の春雨スープ
・チョコレートと紅茶のプリン
です。
材料費は8.5€!
(わー!エンデちゃんってばお料理じょうずー!)

ただ昨日フランクに
「あのヌードルもすごく美味しかったよ!いいお嫁さんになるね!」
と言われたのだけはマジで許さんぞと思った。
やれやれ、どこの国にもウザウザというものは存在しますね。

最近のマイブームはオットーレンギである。

イスラエル出身、ロンドン在住。ちなみにゲイ(ってスイスのパパが言ってた)。
四ヶ月前(もうそんなに!)に教えてもらって以来、けっこう虜なのだ。

中東と地中海のミックス、さらに味噌などを自由に使うレシピは、目にも美味しい。

来週はこのRiced potatoes with anchovy butterを作ろうかな。

見れば見るほどレシピ本を買いそうになる。本屋さんも全部閉まってるけど………。



(H/K)
(これは「話変わるけど」の略である。中学生の頃にお手紙交換をしている子たちがよく使っていた。わたしにはお手紙交換をする文化がなかった/相手がいなかった/暇がなかったので使ったのは初めてである。)

わたしの家にはそこそこ立派なピアノがある。
引っ越してから3回くらいしか触っていないけれど、最近は家にいる時間が多いので、これは練習するチャンスなのでは?と思い、昨日の昼に蓋を開けた。
20年前に習った記憶を引っ張り出して、でも譜面なんてぜんぜんすらすら読めなくて、指遣いもどうしていいか全くもってわからなかった。
Keine Ahnung!である。

そこでわたしは名案を思いついた。
そうだ、妙子さんに習おう!
彼女は日本で藝大を出て、ドイツの院にきて、クラリネット奏者としてオーケストラに参加していたハイパーすごすご人間である。
もうわたしの親と同じくらいの年齢なのだけれど、とても元気でテキパキと働く。
ときどきピアノを弾いているのが聴こえて、ああわたしは贅沢な時間を過ごしているなあとうっとりする。

そんなすごすご人間にレッスンをお願いするなんておこがましいナァと思いつつ、話があると呼ばれたので、ついでに「週一回でもレッスンしてもらえないかなあ」と打診してみた。

すると、楽譜とか探しとくね!と快く引き受けてくれて、は〜〜わたしってほんとこういうところは最高に運がよくて巡りがいいよな〜!とウキウキした。

ちゃんとレッスン代を払うあるいは料理と引き換えに、と言ったのだけれど
「でも今現金必要でしょ?あった方がいいでしょ?」
などと返され、ほんとにほんとにできた人すぎて申し訳なくなるのも忘れるくらい呆気にとられた。
何かしらの形で恩を返したいものである。できれば仇とかではなく。

そして、話というのは、以下のようなものであった。
わたしの同居人(エルザ・仮名)はもう86歳。
普段はまあ元気に自分のことは全部自分でできるけど、コロナだし外出してほしくない。
けど、頑固だから何度言ってもわからない。勝手にスーパーに行く。
そこで、週四日、わたしが簡単なスープでも作ってあげる。
するとエルザが買い物に行くことも減るだろう。
わたしは材料費も含めて週50€もらう。
エルザの姪で後見人のエミリ(仮名)がわたしの口座に送金する。

はいいいいいいい?
めちゃ好条件では…?
「いいかなあ、引き受けてくれる?そしたらみんな嬉しくてありがたいんだけど…」なんて妙子さんは言ったけれど、こちらこそ
「え…?いいんですか…?」という気分である。
最高な暮らし!


妙子さんに限らず、すごい人が多くて羨ましいなあ、と思う。
すごい人というのは、別に妙子さんみたいにわかりやすく秀でた才能を持った人ばかりではなく、自分の人生の定めがわかっていて、それが持続可能で、その定め以上のことはあまり望まなくて、つまり自分の手の中に自分の人生があるタイプの人々である。

最近出会った例でいうと、
「ドイツのパンって最高じゃんって思ったからパン屋さんで修行したいなと思って!」
とか
「料理が好きで料理の専門学校に通って、日本食最高だし世界一美味しいと思ってるけどスペイン好きだからスペイン料理と融合させていずれはスペインにお店を持ちたいなあ」
とか
「サッカーができればあとはなんでもいいです!サッカー最高!プロになります!なれなくてもライセンス取ってスクール立ち上げます!」
とか。

実にサスティナブルな人生である。
軸がぶれないし、実現可能な範囲でちょっと背伸びした感じである。
(ラウフェンモスルモンさんの人生も、どちらかというとそっちだ。ああ羨ましい)

8歳の頃からわたしはわたしの人生を習い事に全振りしたのだけれど、そうすると大人たちは口々に
「それだけのめり込めることがあるなんていいわね」
「早くから好きなことが見つけられて羨ましい」
と言った。

確かに、わたしはやりたいことを全力でやれるという点においてはとても恵まれていたけれど、別にそれだけに全振りしたかったわけではない。
わたしの性格や環境、能力などを鑑みたら、あの場にいるには
「多くのこと」などではなく「その他のあらゆること」そして「すべてのこと」を犠牲にしなければならなかったというだけだ。
上を見たらキリがないのだけれど、わたしと同等以上のレベルで競技に打ち込みながら勉強も社会生活も疎かにせず人並みにマンガを読みアニメを観て育った仲間だってたくさんいる。
さらには恋愛まで嗜む猛者もいた。信じられん。

ハイパー人間たちのことは置いておいて、わたしが生活を一つのことに没入させたのは、そうせざるを得なかったからであって、どうしてもそれだけを全力でやりたかったわけではない。
そこまでの思いがあったのなら、わたしはもうちょっといい成績を残せたはずである。
(いろんな人が期待してくれていたのに頑張れなくて申し訳なかったな、という気持ちがいつまでもある。ごめんなさい。)

つまり、わたしの生き方は羨ましがられるに値するものではないのだ。

けどまあ、違う世界で人生を手中に収めている人々にたくさん出会ったら
「やりたいことが明確で羨ましいよ」がどういう意味かはよくわかった。
彼らの道も、それなりに険しくて、そこそこハードだろうけれど、やりたいことのない人生の方がよっぽどハードである。
道しるべや率いるものがないと、人間は生きられない。

なんにもできないのになんでもできちゃって、だからなんにもできなくなっちゃったね。
資本主義社会のモンスター、ここに現れり。


(H/K)
わたしのことが好きなのであれば、わたしのために、あるいはわたしを手に入れるために、もっと言えばわたしの気をひくために、ありとあらゆることをするのが当たり前だと思っていたし、今でもまあまあそう思っているので、わたしが要求したことに飛びついてこない人を見ると不安になってしまう。
わたしが喜ぶのであればなんでもするのが普通では…?という気持ちである。
マジヤバですか?
いいえただのシンデレラコンプレックスです。

そういえば、わたしは自分の親を自分と同じかそれ以上にマジヤバだと思っている。
だから下北沢家の人々でもできたことができない人をみると
「マジヤバのヤバじゃん」と思ってしまう。

別に能力的なことではなく。
この一年くらいずっっっっと「意味わからん」と思っていることを例として挙げる。

わたしはときどき仕事で長距離移動をする。
車で五時間。
会社の人が運転し、わたしはひたすら寝たり同僚をいじったり文句を言ったりする係である。
それはまあ置いておいて、問題は到着時である。

あの辺りはだいたい駐車スペースが見つからない。
どう考えても、運転手以外は目的地の目の前で降りた方がいい。
荷物を降ろして、手続きなどもさっさと済ませたいじゃん?
なのに、彼らは全員で駐車スペースまで行き、全員でまた目的地まで歩き(荷物も運んで!)、それから手続きやらを始めるのである。

効率悪すぎない…?
え、、これはなに……?という気持ちになる。
毎度毎度困惑する。
え、これはデートなの…?(男4人プラスわたし)
というハテナがたくさん飛ぶ。
それから「マジヤバのヤバ…?」と認知が飛躍する。
そして「これが世の普通なの…?もしかしてやっぱりわたしだけがマジヤバのヤバ…?」となる。


何が言いたいかよくわからなくなった。

つまり、仕事もほとんどなく、午前中はオンラインで授業を受け、ときどき散歩がてら買い物し、試したかったレシピをどんどん試し、チャート式をゴリゴリ進め、寝る前は本を読む、という最高に贅沢な時間を過ごしている。
これからはピアノも暮らしに入り込む。最高か?

全人類に「おかげさまで」という気持ちでいっぱいになるけれど、ひとりひとりを取り上げると「は?ウゼー」とかいう気持ちが湧いてきたりもする。
人間とは矛盾をたっぷりぎっしりみっちり詰め込んだ存在!これでもかっ!

もちろんこの生活がいつまで続くのかわからなくてたまにちょっぴり辛くもなるけれど、好きなだけ外出ができて好きなだけハグができて好きなだけパーティができる、そんな日がまたくることを想像して今は今で楽しむことにしている。

「コロナとかあったね。制限は多かったけど贅沢な暮らしができたな。ちょっとだけ羨ましい」なんて微笑みながら懐かしむ日がきっとくるからね。
(でもこの夏はベラルーシとパリとベルリンとアテネに行きたいんだわたしは〜〜〜!ああわたしのイースター……うぅっうっうっ。)

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