悔しくて冬
わたしは今までわりと発音を褒められてきて、正しい文法で話せば言いたいことが通じないこともそんなになかった。
のだけれど、午後に通っている学校の、ひとりの先生にはしょっちゅう聞き返される。
「この小さいアジア人は何を言っているのだ…?」といった表情で、まじまじと口の動きを見られる。
嫌味なんて感じられない純粋な顔で、だからこそわたしは傷つく。
緊張して余計に自信がなくなって、うまく発音できなくなる。
「よければ授業のあとに発音の仕方を教えるわよ」って親切にしてくれるけど、みんなの前でそうやって言われるのがほんとうに耐えられなくて。
それでもちゃんと発音できるようになりたくて、聞きに行った。
悔しくて悔しくて、帰り道、サングラスで顔を隠して泣いた。
わたしからすると、トルコ系の発音のほうがよっぽど何言ってるかわからないのに。
彼女はそれに慣れてるから、アジアの、わたしの発音の癖に戸惑ってるだけだから。
相性もあるし、今は意固地になって伝わらない相手に無理に伝えようとせず、気分よく話せる相手を選んで練習して、もっともっと上手になって、自信つけて、それから誰とでも話せるようになればいいんだ。
作文だって文字だってアイディアだって、よく褒めてもらえるんだから。
なんて納得させようとしたってぜんぜん楽になんてならない。つらい。
こうやって書いててもまた泣いちゃう。
だから家でひとりで一時間音読をした。
泣きながら音読をした。
次の日に発言したら
「間接話法は"Er sagt"がないとだめよ」
って返されて、もう嫌になっちゃった。
わたしはちゃんと言ったのに、なんでわたしの声だけ聞き取ってもらえないんだろうって。
わかってる、大きな声出せてないのも、ちゃんと喋れてないのも、ぜんぶ。
それでもどうしても悔しくて、もうぜったい喋らないと決めた。
それが昨日のこと。
そんな午後のインテンシブコースが、さっき終わった。
昨日決めたとおりわたしは今日の授業で一言も発さず、友達とMessengerで死やインターネットや差別やカフェインについてぐちゃぐちゃ話した。本を読んだ。教室を抜け出して冷たい風にあたった。
休憩時間に先生が修了証明書にコメントとサインをしているのを見た。
印象悪くなったかな、よくないこと書かれるかなって心配して、でもちゃんとしてない自分が悪いしって思って、頑張れないのが嫌で、悔しくて、苦しくて、もう別にいいよなんでもって目を背けた。
おしまいになって、
「ほんとうの状況を書いてと頼まれてるからわたしはちゃんと正確にすべてを考慮して書いた。質問があったらあとで聞きに来て」
と前置きした上でその先生は証明書を配った。
「いつも綺麗な文章を書いたわね」という言葉とともに渡されたその紙には「たいへんよい成績(成功)で」と書いてあった。
嘘つくなよ、ふざけんなよ、と怒りがわいた。
冗談抜きで、やめてくれと思った。
悔しくてどうしようもない。
昨日は誕生日だったので、各所でクッキーやタルトをふるまった。
美味しいって言ってもらえるのはもちろん嬉しかったけど、上手だねって褒められても複雑な気持ちになるばかりだった。
タルトを持って電車に乗っていたら知らないみんながニコニコしてくれて、誕生日なのって言ったらみんな握手してくれて、おめでとうって声をかけてくれて、そのうち一組のペアが「わたし(彼)も!」って言うからなんだか嬉しくなって、学校では音楽流して歌って踊ってみんなハグしてくれて、同じクラスじゃない子たちもいっぱい来てくれて、家に帰ったら同居人のおばあちゃんがチューリップの花束をくれた。
ああ嬉しいなっていっぱい思ったけど、夜に日本人とドイツ人の集う会で日本語とドイツ語で文法や単語について議論した時間のほうが居心地がよかった。
やりたいことやるのがいちばんいいね。
バレンタインに薔薇をもらえる人生は羨ましいけど、そんなのなくても私の日々って結構いいじゃん。
この年でまともに働かずに勉強だけしてられるのは贅沢なことなので、がんばって楽しんで悔しくても楽しんで、あと一年くらい頑張ろうかな。
Erfolg hat drei Buchstaben.
TUN!!!
少しの嫌なことですぐに崩れそうになるし、コーヒーなんて飲んだ日にはもうほんとうにダメで、今朝もビザの申請でトラブルって泣いた。隙あらば泣く。
ぜんぜん強くなんてなれない。よわよわのまま。
日本に帰ったらまたよわよわのよわで死のうとして何もできなくなっちゃう気がしてる。ほんとうにこわい。
だけど、
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