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主体的な運動会表現指導をめざす

(尊敬する先生の文章を一部参考にしています。)

1.今まで運動会表現の反省

 私が今まで自分が子どもとして体験したり、教師として指導したりしてきた運動会の指導というのは、いわゆる、一律、一斉、一方的な指導でした。

 教師がお手本を示して、一方的に話し、子供を動かす指導です。子どもたちは、ほめられ、満足するので、教師はこれでよかったと思ってしまいがちですが、これではいけないと考えています。

 私がやってきた指導は、今必要とされる授業改善の視点である、主体的・対話的で、深い学びと程遠いもので、受け身的で対話がないものです。個別最適な学びでも協働的な学びでもありませんでした。

 それは自分が経験してきた運動会の指導を再生産してきたからです。そして、今もそれが再生産されています。

 そもそも運動会の表現というのは、本当に体育での表現運動なのかと考えています。今までの表現は、教師が表現したいことを、子供に表現させているだけかもしれないと思います。子どもたちに考えさせて表現させてきたか?ということに、私は自信を持てません。

 曲選びについても、なぜその曲を選んだのか?というのは、単なる教師の主観だった気がします。かっこいいから、流行ってるから、子供が好きそうだから、教師が好きだから、親が喜びそうだから。そんな理由で決めてきた気がします。

 さらに痛快に言うと
 「大勢の前に立って、自分が考えた動きをさせて、完成度を求めて動きをそろえようとし、それが達成できて、気持ちよくなるという教師の自己満足」であるとまで、言えると思います。

 その反省を踏まえて、今年はこうします。

2.今年はこうする

 運動会は10月ですが、すでに動き出しています。
うちの学校は、ブロックごとに表現をします。3クラス×2学年です。そして、中学年ブロックは、民舞と決まっています。これがあらかじめ決まっていることは、悪くはないと思います。民舞を踊ることは、日本の伝統を学ぶという意味でも価値はあると思います。今回、「今までの運動会の指導方法とは全く違うようにやっていきたい。」という私の想いに、先生方が賛同してくれたので、挑戦してみます。

3.子どもが選ぶ

 まずは、どの民舞を踊るかを子どもに選んでもらうために、クラスルームに、民舞の動画をいくつか貼り、説明と共に観てもらいました。フォームでアンケートを取り、結果をまとめました。
 とある休み時間に実行委員と、表現の決定に関わりたい人を集めました。6クラスにつのったところ、約40名ほど集まりました。結果を見せて、「さぁ、どうする?」と投げかけました。色々な意見がでましたが、「全体のアンケートをとった結果、ほぼ半分の人がロックソーランがいいと言っているわけだから、それにした方がいいと思う。」と言った4年生の子の意見に皆が共感し、ロックソーランに決まりました。(少数意見を大切にした方がいいという意見は今回はおいておきます。)
 民舞でなくても、このように子どもたちと共に、何をしたいか、どの曲にすべきかを子どもたちと話し合わないと、「先生が決めた曲を、踊る」という構造から抜け出せないと思います。
 決まったあと、少し時間があまったので、表現のテーマについての意見を出してもらいました。

4.子どもが決める

 後日、各クラスの実行委員(6クラス×2名)を集め、テーマを決めました。前回の話し合いで出てきた意見をもとに話し合いました。色々な意見が出ましたが、
「全力でソーラン節を踊って、見ている人を感動させよう!」
に決まりました。人の全力は、人を感動させる。私もそう思います。個人的にはとても良いテーマだと思っています。

5.子どもが考えて教える

 教師が朝礼台に立って、大声を出して教える。これをやめたいです。主体性とは真逆の、昔ながらの一斉一律の指導です。
 子どもたちが子どもたちに教える。子どもたちで作り上げるを中学年でもめざすことに挑戦します。そのためにまずは、各クラスからダンスリーダーを募りました。ロックソーランの動きを細分化して4つに分け、4つのグループに分かれて、動画を見せながら教えました。動画はクラスルームに貼り、だれもが見られるようにしました。夏休み中に練習して来よう!と声をかけました。こうすると、クラスの中で、「めっちゃ練習してきました!」という子が現れます。ダンスリーダーと練習してきた子たちを中心に練習を進めていけるように計画します。

6.出来栄えや完成度ではなく、自分たちで作り上げたという自信

 まずここで、誓わなくていけないのは、教師は「完成度を求めない」ということ。子どもたちに任せていても、気づくと、「列そろえて」「手しっかりあげて」とか教師が叫んでしまう。だめです。子どもに任せたなら、信じて任せないと!あくまでも大事なのは、「出来栄え」ではなく、「自分たちで作り上げたという自信」です。

7.保護者にも発信

 「出来栄え」を求めるのは、実は教師だけではなく、保護者もまたそうなのです。「今年はそろってて、すごかったね」「なんかバラバラだったね」「うちの子、手が逆だった」など。でも大事なところはそこではないのです。昔ながら指導法、めざすものが違うのです。これをちゃんと伝えないと、そう思ってしまうのも当たり前です。発信します!

 挑戦を楽しみます!




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