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2.Enjoy the silence 鴨のスモーク

フランス料理の1皿の攻撃力は本当に破壊的だ。それは時に人の価値観や常識を破壊することがあると思う。僕にとっての鴨のスモークがそういった料理だ。

質の良い鴨の胸肉に塩こしょうをして焼き、スモークチップで軽く燻す、ただそれだけだ。
もちろんフランス料理として昇華させる為に、ドライアプリコット、ゴルゴンゾーラ、無花果、カシスのソース、フランス産きのこ、紫キャベツのピクルス、オレンジ、大根、とうもろこし....あらゆる食材と合わせて塩加減、甘酸っぱさ、飾りを調整してゆく。完成するのは完全に皿の上だけだ。その為の部品をひたすら作り上げてゆく。

もしかすると、加工されたパストラミやハムによって鴨の価値が下がっているのかもしれない。もちろん商品化され流通してる鴨の加工品はどれも高いレベルだと思う。だけど鴨の良さを生かしてるとも思えない。生の鴨の戦慄の美味しさとは別物だ。僕にとって鴨は破壊的な美味しさでなければならない。

人は鴨が好きだ。その美味しさを人生のどこかの地点で把握する。だけど多くの人はそれを忘れてゆく。金や人付き合い、家事や育児や仕事によって鴨のことなど忘れてゆく。スーパーに並ぶ牛、豚、鶏......鴨が優先されることなどある訳がない。ルーティンワーク?惰性?なんとでも言えば良いけど、非日常を取り入れることに恐怖を覚える。変化して変化して思考が停止してゆく。

店を出した。夢が叶った。お金を考える。お客様を考える。従業員を考える。店の商品を考える。企画を考える。お金を考える。能率的な思考は疲労で消えてゆく。笑い声に溢れた空虚な時間。幸せなのか不幸なのか判断がつかない。賞賛と金銭で成り立つ愛情。
愛情を注ぐ。愛情を受け取る。金銭と集客への恐れがすべてを無に帰し、疲労して時間だけが消えてゆく。思考が停止する。停止した思考で思考する。沈黙を楽しめなくなる...

夢が叶ったね...おめでとう....でもこうなりたかったの?
こうなりたかった....自分にしか出来ない仕事をして認められて、お前は特別な存在なんだと言われたかった......
それは良かったね。ほら、あなたが欲しいものが手に入ったんでしょ......夢が叶ったんでしょ?どうしてそんな暗い顔してるの?どうして孤独なの?どうして泣いてるの?...笑いなさいよ、もっと笑いなさいよ。
....お前は本当によく喋るね...
そのようにして僕は鴨のスモークが自分にとってどれだけ特別な料理だったかを忘れていった。

コンフィ、カスレ、パイ包み、パスタ、ロティ、赤ワイン煮....数ある鴨料理だけど、弱点はロッシーニ、ブイヤベース、ポトフ、マリアカラスなどのアイコン的な料理がないところじゃないだろうか?いや、正確にはトゥールダルジャンの鴨ロティ血のソースになるんだろうけど、それは日本では誰も知らないアイコンだ。
血のソースがアイコンになってはならないのだ。
だったら作ればいいじゃないかと、やはり数多くのシェフが挑戦している。考えることは皆同じでスペシャリテが鴨のお店は多い。鴨は破壊的な美味しさだからだ。

もしもまた自分のお店を経営するとなったら、やはりスペシャリテは鴨になると思う。いつ思考が停止してもいいようにあらかじめルールを決める。沢山のルールを決める。思考停止への対応策はそれしかない。そしてルールによって人は思考が停止する。僕達は無呼吸で生きて、自動化し、社会性ゾンビになり、気が狂わないように思考を停止させる。オートマティックゾンビ....幸せはオートマティックに運ばれて、ゾンビになることで完成する。


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