運動神経の悪さが落語につながった。言葉と身体を操る落語の面白さ
江戸時代に誕生して以来、4世紀近くもの間、大衆に愛され続ける落語。
『饅頭怖い』『寿限無』などは、落語好きではなくとも、多くの人がなんとなくは知っているのではないだろうか。昨年には、人気シンガーソングライターの米津玄師さんが『死神』という古典落語を題材に楽曲を書いたことでも注目を集めた。
だが、日本に根付いた文化であるにもかかわらず、普通に生活をしていると落語について知ることは少ない。
今回は、落語家として活躍する桂健枝郎さんに、落語の魅力や落語家としての生活について話してもらった。
落語家から感じた生のエネルギー
健枝郎さんは現在、六代目桂文枝一門の落語家として大阪を拠点に活動している。2017年に入門し、桂文枝師匠の付き弟子として修行に取り組む日々を送った。2022年に付き弟子を卒業し、本格的に落語家としての道を歩み始めたばかりだ。
落語の世界に足を踏み入れるきっかけを作ったのは、大学時代に通った寄席だった。
「中学とか高校の時から、お笑い見るのと同じ感覚でたまに落語は見てたんです。それで大学生の時に『暇やし近くにあるから、ちょっと寄席でも行ってみるか』って新宿にある末廣亭ってところに行ったのがきっかけでした。そしたらほんまに面白くてハマってしまったんですよね。そこからは暇さえあればしょっちゅう寄席に通ってました」
寄席に通うなかで、徐々に自分が落語を披露する側になりたいという想いが芽生え始める。その決心は固く、就活をすることなく大学を卒業したのち、桂文枝師匠のもとに入門した。
なぜ、そんなにも落語に魅力を感じたのか。寄席に通い始めた当初はなぜ好きなのかを意識していなかったが、落語に日々触れるなかで、あることに思い当たったという。
「僕、運動神経が壊滅的によくないんですよ。言葉とか考えることは昔から好きなんですけど運動はほんまにだめで。身体が思うように動かせない。でも、じゃあ言葉はうまいこと操れてるかっていうと、そっちも身体よりはマシでも、感じたことや伝えたいことを100%伝えられているとはいえない。身体と言葉っていう簡単に操れそうなふたつのものを全然コントロールできていないことに、コンプレックスみたいなものがずっとあるんです」
どうにもままならない身体と言葉の感覚を、どうにか制御して、ふたつを一致させようとしている。高座で噺を披露する落語家を見ていて、そんな風に感じて、憧れを抱いた。それだけでなく、強烈な生のエネルギーも感じた。
「僕は昔から『うまく生きたい』『生の実感を感じたい』という原始的な欲望を抱いてきたんですが、それを叶えられる気がしました」
たった一文字の違いにも心を配る
師匠に入門してから付き弟子を卒業するまでは、本当にずっと師匠と一緒にいた。毎朝師匠の家を訪問し、時には師匠の仕事に同行したり、時には身の回りのお世話をしたり、師匠に仕事がある日もない日も、一日中行動を共にする。その日々のなかで、師匠の仕事を見て、噺の仕方や仕草などを学びつつ、空いている時間にはネタの練習をした。
「師匠から『このネタやっていいよ』とOKがもらえたネタでないと披露できないんです。だから、自分のやりたいネタを自主練して師匠に『これやりたいから見てもらっていいですか』とお願いして稽古をつけてもらったりしてました。師匠から『このネタやってみ』って言われたものを見てもらうこともありますね、そうやってネタを増やしていくんです」
付き弟子期間中も、師匠の出演する落語会の開口一番として噺を披露することはあったが、現在は、師匠の落語会に限らず、他の人の落語会に出演させてもらったり、自分でも勉強会をしたりしながら、経験を積んでいる。
予定が空いている日は、落語会を見学させてもらうことも多い。舞台袖から先輩たちの噺を見て自分の肥しとしている。見学を機に顔やキャラを覚えてもらえ、落語会に呼んでもらえることもあるのだという。
「もう全部が勉強で修行ですね。ほんまにちょっとした言葉選びや表現でお客さんの反応も全然変わってきたりするので、その言葉の奥深さみたいなものを感じながら仕事してます」
先日、健枝郎さんは自分の噺を聞いていた先輩からあるアドバイスをもらった。
“自分さっき、見えんのか、って言ってたやんか。あれ、見えんのんか、って言った方がええんちゃうかな”
「ん」を入れるか入れないかという本当に些細な違い。聞いている側が意識的に違いを感じることはきっとないだろう。だが、その違いが積み重なって落語自体の印象を変えていく。こうした繊細な違いに心を配ることが難しくもあるが、だからこそ一番楽しいポイントなのだという。
新しいものも古いものも、すべて自分の武器に
落語のネタは、師匠が弟子に語り継ぐことで継承されてきた。つまり語り継がれない不人気のネタは消えていってしまう。健枝郎さんは、そんな不人気のネタに興味を持っているのだという。特に好きなのは『羽織』というネタだ。
「もうほぼ誰もやってなくて、滅びかけてるネタなんです。昔、うちの師匠が若いころに古い師匠から習ったネタで、もううちの師匠くらいしか持ってないんですよ。まあ滅びかけてるのはあんまり面白くないからなんですけど、そういうネタに挑戦していきたいなと思うんですよね。だから修行中に師匠にお願いして教えてもらいました」
落語家がほかの落語家と差別化を図るには、人と違うネタをするか、同じネタでも人とは違う見せ方をするかのふたつのパターンがある。どちらも、これから落語の世界で生き残っていくには必要なことだ。
古典落語と新作落語、どちらも観客にも面白く感じてもらえるように、人と違うネタや人と違う見せ方を考え続ける。そうして噺を自分のものとすることで、自分にしかない武器を作ろうとしているのだ。
彼の挑戦はまだ始まったばかり。
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