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出来る人が、出来ることを、出来ることから。

つい、最近のこと。

「恩」という言葉に、とても感動してしまいました。恩返し、恩は忘れず、、感謝と恩との関連性。恩を感じる人間の特性。
恩の対象は、親や兄弟姉妹、友人、先生、近所のおばさん、企業、、いろいろあるようですが。

心の中に、恩を感じて、いつかは恩返しをしたいと念じる人と、恩など、ないなぁ!と言う人と。

育ち方や、育った環境、出会ってきた人々により、恩の感じ方は千差万別でしょうが。

私自身は、両親は勿論のこと、出会ってきた多くの人に感謝や恩は感じています。
恩返しをしなくてはとの強い思いはありませんが。静かな気持ちとして、悲しませることはしたくない、恩ある人々に喜んでもらえるような生き方をしたいと願っています。

 私はいまだ未熟者ですから、寄付をする、陰ながら応援する的な行為はあっても、積極的に困っている人を助けたということは、公けに出来るほどはありません。

 ただ親族の中には、何人も何人も、そのような人助けをしてきた人はいるのですね。そのような人助けを、金銭で推し量ってはならないでしょうが、大小さまざまな形で、行われてきたようです。出来る人がする、出来ることをするという言葉が親族の間では家訓となっています。

 私の母方のおばあちゃんは、祖母と表記するより、平仮名表記で、おばあちゃんイメージの人です。
昔流には、オキャンな人、エキゾチックな人、などと言われた人で、おばあちゃんがいなかったら、私の母は札幌には来なかっただろうし、札幌の父と結婚することもなかったはずで。

1度旅行に来て、気に入ったので、札幌に土地を買おうなどと思いつき、すぐ実行してしまう行動力のある女性だったのですね祖母は。
反面は、我儘、マイペース、苦労知らずのお嬢さん育ち、などなど、多々言われたようですが。

 そのおばあちゃんは、私と同じクラスのある男子生徒のご両親にお金を渡していたとか。
それは人助けとしては小さな行為だったからか、家族も親族も知らない話でした。
おばあちゃんにすると、単純にお餞別だったようですが、先方では、ありがたく感謝していたようです。

 
 私は、中学校から札幌を離れて、祖母の元から通学していたのですが、2年生の夏休みに入る前日だったはずですが、
同じクラスで、家も近かったM君が、
1人帰宅を急いでいる私の横に走ってきて並び、

「なーちゃん、勉強がんばってね、ぼく、2学期にはいない、、僕、なーちゃんに負けないように勉強はする、、」

そのようなことを、話すと、ワァーとすごいスピードで走って行ってしまい、視界から消えたのですが。
転校などでしたら、先生からクラス全員に話すはずですから、なんだろ?!くらいの軽い気持ちで帰宅した私です。
Mくんは、おちびさんの私から見るとキリンさんみたいにノッポさんで、勉強も良く出来たはずです。
理数系は絶対に誰にも負けない私でしたが、M君は社会科に強い人で、特に地理や歴史に関しては、知識が豊富で、いつも凄いなぁと思っていました。


 帰宅して、母屋にいるのは、元気で賑やかな祖母だけです。
制服を脱いで、部屋着に着替えて、リビングに行くと、祖母が、

「なーちゃん、スイカ食べましょうね!よく冷やしてあるから、美味しいわよ!」

その時の光景ををよく覚えています、
お皿に一切れとって、スブーンで種をとりながら、何気にM君の言った言葉を祖母に話すと、
スイカが何よりも好物の祖母が血相を変えて立ち上がり、今まさに食べようとしていたスイカを、そのままにして、家を飛び出して行ったのです。
私といえば、おばあちゃんは、せかせかと一体何処に行ったのかしらと思いつつ、のん気に、ゆっくりゆっくり種をスブーンでとって、一口一口冷えたスイカを食べていたはずです。


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 M君の家は、事業に失敗したとか、債権者が押し寄せているとか、祖母はご近所の情報通ですので、内々に噂はきいていたらしく、さて、さて、いよいよ夜逃げか!?と考えたとか。

 何はともあれと、祖母が自由に出来るお金は、ある意味でたかが知れています。
百万円を銀行から下ろし、走ったそうです。
男の子が2人いる家、夜逃げするにしても、
子供に食べさせてやってほしい、なんとか学校は行かせてほしい、これっぽっちしかないけど、子供にひもじい思いはさせないでほしいと、M君の両親に、無理やりお金が入っている銀行の封筒を渡したとか。
中学生だったM君は、その様子をよく覚えているそうです。
祖母にすると、ちょっと多めのお餞別だったようですが。


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そうです。つい最近、私はM君に会いました。立派な男性になっていました。


祖母を訪ね、きっちり百万円を返しに来たそうです。
祖母は、興奮して、歓喜して。なぜって、オキャンで我儘でマイペースのおばあちゃんは、すっかりそのお金のことは、忘れていたのですから。
人間すてたものじゃない、心根の素晴らしい人間がいる!
おばあちゃんは嬉しかったのですね。
その日、私は父の代理で関西にいました。

「すぐ、戻りなさい、、なーちゃん、Mくんよ、Mくん、、覚えていない?  中学で一緒だったでしょ、、この地域では、M君だけだったでしょう、、、 あのね、札幌に戻る前に、こっちに寄って!、、Mくん、明日はまだ東京にいるそうだから、、、わかった?!」

興奮している様子が電話でも、よく伝わりました。祖母に逆らうわけにもいきませんので、次の日、祖母の元へ。そして、2人でM君が泊まっているホテルへ。


「変わんない、変わらないね! なーちゃんは、変わらない!」

M君の開口一番は、変わらないでした。
進歩無し?と、ツッコミたいところですが、同い年とは思えない、落ち着きのある立派な男性になっていました。

世の中が、長い時間会食も出来ない状況ですから、約1時間、食事をしながら、話して。

「いつか、必ず、いつかきっと恩返しをしなければ、、お金だけは、必ず返さなきゃ、、あの日から、それを目標に頑張ってきました。」


M君一家は、2年前に日本に戻ったそうです。M君も、弟さんも海外で教育を受けたとか。苦労されたのか、お父様はすでに亡くなったとか。お父様が亡くなり、お母様の強い希望で日本に戻ったそうです。


同じクラスであっても、あまり誰彼とおしゃべりをしない私でしたから、M君はなぜ私に町を去ることを話したのか、不思議といえば不思議ですが。

これも、縁でしょうか。M君の選択。夜逃げですから、誰にも言ってはいけないはずですが、
変わり者で、クラスで一人だけの同じ町内の私に、ちょっとだけ言いおいた。つい、口を滑らせたのかもしれませんが。

縁の選択でしょうか。

チャキチャキのワガママおばあちゃんは、


「そんなん、返さなくていい、お餞別やから、、、お母さんと弟さんに、喜ぶもの買って帰ってやって、、」

M君は、それは出来ません、これを返すために、僕は頑張ってきたんです、お願いです、納めて下さい、、!!


祖母は、やっと了承したらしいですが。


M君は、

「なーちゃんは、やっぱり小さいんだ、、、」


その一言だけは、

チクリと、刺さっていますが。

恩ということを、深く考えさせられました。


「出来ることをする、今、自分が出来ることから、誠心誠意片付けていく、、僕はそうやって生きてきたんだ。
なーちゃんは、世間に流されないでほしい、忙しいだろうけど、流されないで、なーちゃんらしく生きていてほしい。」

別れ際のM君の言葉は、私の心に深く刻まれました。

私の親族の家訓、出来ることをする、出来る人がする、、使い方は、微妙に違いますが、

M君は出来ることから、出来ることをしてきた。

出来る人が出来ることを。共通する何かを感じます。

恩を感じて、恩返しをしなければと願って生きるとしたら、力が宿るのかもしれません。