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帰りの飛行機の中で振り返る。自分のための記録。
あとはこの旅で一番高い出費となったローマのヒルトンホテルで贅沢にも時間を潰し、早朝の飛行機のチェックインを待つだけ。
気の緩みからか、朝起きて喉に違和感を感じる。2週間ろくな食事もせず初めての土地で緊張しながら歩き回っていたら体調も悪化するだろう。
なんとか日本に着くまで持ちこたえて、私の体。
大好きだよ、大丈夫だよ、と自分の体に何度も声をかけながら、三峰神社と東京出雲大社のお守りを握りしめる。
この旅はもともと体調が良くない状態からのスタートだった。
不安になると、ひたすらお守りを握りしめた。日本人の血が確かに流れている。私はひとりじゃない。大いなる神がそばにいる。
飛行機に乗りながら徐々に増す寒気と関節の痛み、本格的に風邪ひいてる。
不思議と不安や精神的な苦痛はない。日本に戻れることへの安心感は絶大である。ぶっ倒れてもなんとかなる。
機内食は珍しいのでミートをしっかり完食。私の体も苦笑い。
ただ、この1年で失われていた、『生きたい』という気持ちが強くなっていることに気づく。
生きたい、生きたい。
わたし、頑張ってくれてありがとう。
かつての境界線、乗り越えられたかな。
あと少し。落ち着いて。大好きだよ。
トルコとイタリア。
日本にないものばかり。
カッパドキアでの感動に期待していたが、どうやら魂の記憶に馴染みがありすぎたようだ。
衝撃だったのはイタリア。
私自身、過去世でもイタリアには行ったことがなかったのだろう。それほどまでに、全てが初めての感覚だった。
日本でもイタリアの風土や美術を感じることができる場所はあるのに、だ。
なんだ、これ。
全然知らない。なにも知らない。
私の中に、通じるものがなにもない。
だからこそ、自分自身と別の角度から向き合える。
私がなにに一番影響を受けていて、なんの血が濃く流れているのか。見えなかったものが、見えてくる。
やはり、自然と神様の存在。
日本の歴史、日本独自の文化、恥ずかしながら、今更ながらに知る“べき”だと感じた。
日本人は特殊だ。日本という国も特殊だ。
なんて尊いのだろう。
日本の精神を決して忘れてはならないと強く思った。
知りたくなったけど、どう頑張っても知識として頭に叩き込むのが出来ない。
言い訳、甘え、かもしれないけど、無理なものは無理。
私はもっと、言葉を捨ててもいいかもしれない。説明できなくてもいい。宇宙に言語など存在しなければ、大昔の人々にも存在しなかったはずだ。けれども感覚で繋がっている。知っている。流れ込んでくる。それが大切なんだ。そして私はそれが出来る表現者だ。
誰かが見つけた知識は入れなくていい、自分の経験を積み重ねて、真理を見つけたい。悟りに近づきたいんだ。
私は自分の意志で旅に出た。
これほどまでに自分を褒められることはないだろう。
客観的に見ればこの一年は順調だったと思う。
今年はなんだかんだ、いろんな経験ができたし、ようやく一歩前に進めたような気がする。
だけど自分の中では、『またこのパターンか。』そんなどうにもならない気持ちで苛まれていた。もう出来ることはやった。望んだ環境はそれなりに手に入れた。。本当はもっと、もっと多くを望んでいるのに、生きる気力も失われていた。(足るを知るとは別の話。)
自分のパターンを抜け出したい。
このままでは一生なにも変わらない。
これからの未知なる人生へ切り替えたい。
確実に自分自身は変化した。
日常に戻ることへの不安と恐怖はある。
カッパドキアのふかふか高級ベッドで大の字になりながら、子どもに戻ったかのように大泣きした日もあった。
楽しいだけじゃないことが、ものすごく意味のあるものになったんじゃないかと思っている。
全部、知ってる気になってるけど
たぶん、本当に知ってる。自分のことはね。
当たり前すぎて埋もれてしまっていることを、たくさん掘り出せた2週間だった。
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