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サーチライトは何本持っててもいい

もうすぐ新年度。この空白期間は知識の充電期間,ってことにします。

でも,補充する分野はあまり教育とは関係ないです。いろんな分野に侵入しては,おいしいところだけを食べて帰ります。作者の皆さんからすると,「そこ前菜だから」とお叱りを受けそうですが。



最近この本を読んでいますが,勉強になることが多いです。

この本の内容から私が考えたことを整理していきます。




パーソンズのサーチライト


科学の分野において,「概念」あるいは「理論」を使って対象を考えることで,見えてくる「現実」がある。


社会学者のパーソンズは,サーチライトを使って例えました。


現実は”暗闇”。
何も見えない。私たちは何もわかっていない。

しかし,概念というサーチライトを使って照らすことで,現実が見えてくる。今まで明らかにされていなかった現実を照らすのが”概念”であると。

そしてパーソンズは,まだ概念が照らしていない現実のことを「残余部門」(残余カテゴリー)と呼びました。


目の見えない人たちのゾウの話の教訓

あるところに目の見えない人たちがゾウがどのようなものかを話していました。実際に触ってみた3人はそれぞれにこう話します。

鼻を触ったAさん 「あれは大蛇のようなもんだ。」

尻尾を触ったBさん「細長い縄だな。」

足を触ったCさん 「太い丸太だよ。」


だれも全体像をつかむことができないようです。でも誰も嘘はついてません。

ここから,「人間はだれしも物事に対し,偏った観点しか持てない。だからすべてを知っている気になってはいけない」という教訓が見えてきます。


サーチライトで照らした部分にだけを見て,すべてを知ったつもりになるのではなく,照らされた外側の暗闇にも何かがあるかもしれないという,謙虚な姿勢で考えることが必要ってことですね。


マートンの中範囲の理論


世の中は残余カテゴリーに囲まれている。つまり一つひとつの概念や理論が世界のすべてを「照らす」=「説明する」ことはできない。とも言えます。

世界全体を説明できてしまう「一般理論」を構築することは難しい。

ならば,実証的な研究によって部分的にでも説明できる概念や理論を積み重ねていくことが大事であることを,社会学者ロバート・マートンは主張しました。

これを「中範囲の理論」と呼んでいます。


多様なサーチライトで照らしてみます。


ここからは私の読んだ感想なんですが。


頭の中に「木を見て森を見ず」が浮かんできました。

・小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことのたとえ

・一部や細部にとらわれすぎて全体に注意を向けず、物事をおろそかにしている状況


木だけにしか目がいかない状態は,自分の中のこだわってる概念であったり,印象の強い一般理論,個人的な経験や偏見などが頭の中を占領している状態であると思います。

森すら見ようとしない,謎のわがままが発動することも,条件がそろえばあり得ます。


学校の中で起こる様々な問題。

いろんな先生がそれぞれに意見言いますが,

「めっちゃ本質見抜いてるぅぅぅ。」って先生は,

やっぱり”森”を見てるのかなと思います。多様なサーチライトを持っているし,そもそもサーチライトの照らし方がうまい。

本質の見抜き方。


最後に


「コミュニティの幸福論」は,個人化が進んだ現代社会で,どのように人と人はつながり,コミュニティをつくり,幸せになることができるのかを前提に,現実をさまざまなサーチライト=概念で照らしつつ,中範囲の理論を整理し読者に伝えてくれています。

参考資料にマンガを多数引用しているのも,わかりやすいと思いました。

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