「記憶力お化け」の正体は、主体性だった話
「思い出に残っている卒業式は?」
こう聞かれた時に何を思い浮かべますか?
ない。いや、思いつかない。
ちょっと待ってくださいね。…小学校の頃は、あぁ覚えてないや。中学校は…?そもそも中高一貫校だったから、中学校って卒業式あったんだっけ?えーっと高校は…、なんかよくわからない茶話会みたいのあった気がするけど…いや、それは中学校の時?本当に忘れてる…。
と、パッと思いつかないものなんですよ。
「なんだったっけ…?」と思い出せない。
「そうだったっけ…?」という記憶ちがい。
自分のことなのに、こうも正確に思い出せないものかと絶望する。
この無邪気な質問で、軽い自己嫌悪に陥ります。
この無邪気な質問をされたのは数年前。
買い物で街を歩いていると、ススっと近づく影。
「あ、すいませーん。少しお時間いいですか?」
「雑誌のアンケートで、ちょっとお話を…」
屈託のない笑顔と、高級壺を売る勢いの饒舌さ。
どこの雑誌の、なんの特集なんだ。
冷静に思い返すと。
で、さっきの質問です。
ない。いや、思いつかない。
だからって、なぜ見ず知らずのインタビュアーに
「かわいそうな学生時代を過ごしたのね」
的な表情をされなければならないのか。
これは
自分の記憶力が悲しいレベルになっているのか。
それとも本当にかわいそうな学生時代だったのか。
確かめないといけない。
インタビューを受けた当時は
通信制高校の職員だったので、
確かめる方法はこれしかない!とばかりに
卒業生が訪ねてくると、
「卒業式にはどんな思い出がある?」
と8割程の確率で聞いていきました。
それが10割じゃない時点で、
聞くことすら忘れてしまう程の記憶力では?
と思った方は「目の付けどころがシャープ」です。うん、少し古い。
話を戻します。
次々と卒業生たちに同じ質問を投げかけます。
すると、
卒業証書ってもらいましたっけ?
(一人ずつ渡してるよ!)
校舎が会場でしたよね?
(外の公民館借りたんだよ!)
親は来てたっけなぁ…。
(一緒に写真映ってるよ!)
……いや、ひどい。
想定外にひどい(笑)。
忘れてるパターンもあるが、改ざんもかなり多い。
一番笑ったのは
卒業式のお知らせが届いてなかったことを主張する卒業生。
参加しているのに、もはや全てを無かったことにするとは予想だにしませんでした。元担任に面と向かって、そんな主張ができる度胸を持っていたなんて。私が受け持った一昔前の生徒は、たくましく育っている。よし。
というわけで、覚えていない子、あやふやな子が結構いたのです。このヒアリングのおかげで記憶力不信が解消され、さらにかわいそうな高校時代ではなかったという気づきも貰えました。意気揚々とヒアリングを続けられます。
しかし、ついに出会ってしまうのです。
ずば抜けた記憶力お化けに。
卒業生代表の答辞をした生徒だったので、はっきりと覚えているだろうというのは容易に想像できました。しかし「祝辞」の内容や、式典終了後の談話、誰がどのタイミングで来場したかまで、こと細かに覚えていたのです。
ふつう覚えてます?校長先生のお祝いのスピーチ内容を。私の場合、顔すらちょっと怪しいくらいだというのに。
すげーや。
この一言に尽きます。
この後、こんな記憶力お化けは何人も登場してきました。出来れば、こういう子たちにインタビューに答えてもらいたかった。
できるならば、あの日にかえりたい。
…完全に思いつき。素晴らしい曲なので、ぜひ。
さて、こうした一連の流れから、
卒業生たちと話すことで、ふと気づいたのです。
それは
だれかのために主体的にやったことは、芯の強い記憶になる。
ということ。
言い訳に聞こえるかもしれませんが、実は、
インタビューには、即答できました。
でも、しませんでした。
すぐに頭に思い浮かんだのは運営する側として参加した卒業式。つまり先生として参加したものです。先生という身分をわざわざインタビュアーに明かす必要はないなと自制しました。
なんとなく話したくないんですよね。
この感覚わかる人いますかね?
だから、学生時代の記憶を探しました。
私自身の卒業式は、本当に記憶の彼方。それを思い出そうと粘った末、ドツボにはまりました。
…はい、言い訳です。
自分の卒業式は「自分のため」なのですが、没入しきれず「他人ごと」になっていたのだと思います。
しかし、先生になってからの卒業式は、意味合いが変わります。
当然「自分のため」ではありません。
「生徒のため」
ここに至るまでを支え続けた「保護者のため」
違う視点から生徒を見守った「来賓のため」
その場にいる全員のために、感動の空間を作る。
相手への想いを起点にして、準備や練習そして本番を迎えます。多くの人に満足してもらうために「ジブンゴト」として主体的に没入するのです。
そうすることで、
単発の一時的な記憶ではなく、
今までの経緯全てが詰まった芯の強い記憶
になっていきました。
これが、気づかぬうちに芯の強い記憶を作る「公式」なのです。
「記憶力お化け」には「だれかのために」というマインドがありました。
答辞をした子は、その原稿に友人・先生・家族への感謝の想いを綴り、堂々とスピーチする。式典運営を手伝うボランティアの後輩たちに感謝と励ましの声をかけ続ける。祝辞の内容を覚えてたのは、後で当日風邪をひいて参加できなかった後輩ボランティアに話そうと思ったから。
卒業式までに寄せ書きを集め、当日お世話になった先生に渡す子たち。
三送会(3年生を送る会)で、後輩たちのために出し物をした子たち。
卒業式に来賓(お世話になった先生)を招き、エスコートした子たち。
話してくれたエピソードの中心は、全て
「誰かのために何かをしたこと」だったのです。
これが「記憶力お化け」の秘密だと理解しました。
卒業生たちのヒアリングから、こんな素晴らしいことに気づけるなんて。
だから共育は楽しい。
いや、本当のきっかけは高級壺を売る勢いのインタビュアーだったかもしれないですね。あの表情だけは思い出したくないけど。
記憶力を高める一番の方法は、
人を喜ばせることに、主体的に力を注ぐこと
なのかもしれませんね。
日常の中で、誰かを喜ばせていますか?
巡り巡って自分に何かいいことが返ってくるなんて、なんてラッキー。
まずは気軽なところから。
これくらいのマインドで始めるのがいいでしょう。
それが自分の大切な財産に代わっていくのだから。
とりあえず私は、バーミヤンで食事した時には、お皿を片づけやすいように種類ごとにまとめ、机の上をキレイにしてから立ち去ることを続けますね。
あなたのちょっとした「喜ばせ」は、意外なところで必ず自分に返ってきますから。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ご覧いただき、ありがとうございました。
”スキ”は『気分の高揚』に
”コメント”は『創作意欲の向上』に
ぜひよろしくお願いします!
※コメントは遅れてでも、必ず返します!
【今後の展開】
𝕏(旧twitter)では、日々の雑感を短めに
instagramでは、お役立ち内容の発信を(構築中)