”教育”を改めて考えてみる。
いよいよ教育の在り方が変わる。
教員とは?働き方とは?そして有るべき姿とは?
令和の時代に、そしてこれからの未来社会のための教育へ。
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少し前の記事になりますが、本日も”ニュースの学び”から。
『教員を取り巻く環境は国の未来を左右しかねない危機的状況』
中教審というのは、中央教育審議会の略称で、文部科学省に設置された審議会のことです。
その中教審で、上述内容のような議論が行われているとのことでした。
そしてその緊急提言では、以下の内容が述べられています。
上述の内容を見ると、基本方向性は、
・教員の業務負担の軽減策として
①業務内容の見直し
②業務分担の見直し
がメインとなっているように感じられる。
本質的な議論とは何か?
一見、上述内容は非常に教員の方にとって、労働負担が減るような方向性に見えるものかと思う。
ただ、ニュース記事の断片的なもので物を言うのは、多少憚られるが、”核”をついていないように感じる。
一番、再定義しなければならないのは、
『”教員”とは、何をする仕事であるのか?』
が、十分に議論されていないように感じるのである。
例えば、「モンスターペアレント」と呼ばれる保護者への対応に関しては、教育委員会への対応委託というのは、ある意味
教員は(ちょっと厄介な)保護者対応は、教育委員会に任せていいからね
ということにならないだろうか?
正直、どのレベルになったら、どこが対応すべきというような、エスカレーションの方法・道筋を決めておけばよい話ではないかという気もする。
※個人的な経験として、その類に当て余りそうな保護者と、私は何十回も対峙してきた経験があるので、これはむしろ教務がやるべき仕事ではないかと感じる。
つまり枝葉の部分ではなく、幹の部分を考え抜くことが必要だろう。
そもそも教員とは?教員の業務とは?
これを考え、言語化していく先に、本当に大事なものが見えてくるのであはないだろうか。
文科省は3つのテーマとしてまとめる
中教審の提言を受けて、文科省は以下の内容にテーマを絞ったとのことです。
やはりポイントは(1)でしょう。
学校とは何か?
教師とは何か?
というこの根幹を見直し、行うべき業務の適正化を図ることが重要である。
一連の流れや、関連する記事を見ていると、どうも本質論に至っている議論が少ないように感じられる。
授業時間数はどうする?
学級閉鎖などの事態では、どう調整する?
学校行事を削減する?
これは、枝葉の部分。
本来、学校・教育では子どもたちに何を学んでいてほしいのだろう。
授業時間数という時間でもなく、体育祭・運動会というイベントを経験してほしいわけではないはず。
その先にある”なに”を学ばせたいのかを明確にしないと、この枝葉の議論がずっと続くのである。
教育に携わる人間は、
一生学び続ける、そして考え続ける存在でなければならないと改めて感じさせられる。
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