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「3人目の出産、産小屋作りました」vol.44

みなさんは子供を授かったらどうしますか?僕は嫁の希望を最大限叶えようとします。 嫁子が安心してお産ができる環境を作るのが男の役割だと考えているからです。


嫁に家が狭いと言えば大きくしなければいけないし、病院で仰向けにされてよく知らないおじさんに赤ん坊を取り上げて欲しくない、と言うなら違う方法を考えます。


一人目のお産は〝綺麗な海のある南の島で産む〟と決めた嫁のお産に立ち会いました。医者も産婆もいない南の島で、ストレスのない自然環境、健康的な食生活の中でお産に向き合いました。


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もちろん緊急用のバックアップ体制、行政との手続き、出産に関する医療本や自然分娩の本を何回も読み込み準備しましたが、お産は嵐のように始まり数時間後には母親の胸に抱かれていました。


安堵と興奮と静けさが絶妙に混ざり合い、神々しい空気が僕らを包んでいました。初めてのお産を本能で成し遂げた嫁は、もう何年も母親をしてきたような表情で赤ん坊を胸に抱き、僕はというと父親の実感もまだ掴めないもどかしさを感じていました。


それでも、生まれるまでの十月十日間、そしてお産という特別な時に妻子と寄り添えたことは人生における、かけがえのない時間だと思うのです。


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〝家族になる〟というのはこういう事なのかと腑に落ちると言うか、これ以上に大事なことなんてほとんどないように思うのです。それなのに一般的な旦那は仕事を優先したり、妊娠中にも呑みに行ったりで、妻子の身体や心の変化に向き合おうともせず、出産は仕事の合間に顔出しに行く。


「先生取り上げてくれてありがとう!」なんて世界観が当然のようにまかり通っているのは非常にナンセンスだと言いたい。


子供が生まれたら父親になれるわけじゃないし、この世界に子供を迎え入れる姿勢というものが父親にもあるのじゃないかと思うわけです。


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ただ、二人目の息子を自宅で出産した時は、父親としての面子が危うく粉々に吹き飛ぶところでした。


当時、僕ら家族はまだサイハテ村に住んでおらず、奄美大島に家を借りて暮らしていたのですが、予定日よりも一週間も早く陣痛が始まったのです。早朝だったせいもあり、僕は頭がはっきりしないままお産の準備に取り掛かりました。


というのも、一人目の出産が陣痛から3時間という速さだった事もあり、動けるうちに準備をする必要があったのです。ただ、トイレで陣痛の間隔を測る妻を横目で見ながら考えていたのは、自分の下腹部から押し寄せる強烈な便意でした。


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「やばいなぁ〜、このままお産が始まったらトイレなんて行っている余裕はないんだけど、妻がトイレで産気づいているのに、ウンコしたいからどいて、なんて言える空気じゃないしなぁ〜どうしようかなぁ〜。。」


荒波のように押し寄せる僕の便通が先か、次男誕生が先か、はたまた同じタイミングになるのか、頭の中がウンコのことで一杯になっていう事に気付いた僕は、このままじゃいかんと意を決して、妻に便意を伝えることにしました。


「あの〜実はおれもウンコしたいんだけど...。」お産とウンコが同じレイヤーで扱われた事に怒ったのか、あまりのアホさ加減に怒ったのかは分かりませんが、「あんたは外でしてこい!!」と怒鳴られてしまいました。


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野グソで検索一位になったとは言え、TPOというものがあるだろうと思いながら、近くの公共施設を借りて戻ってくると、今度は当時4歳の⻑男が玄関の前で「父ちゃん〜!赤ちゃん生まれるよ〜!」と叫んでいます。


陣痛が始まってまだ40分。近所迷惑にならないように、⻑男を家に戻しつつトイレに目をやると、なんともう頭が出かかっているじゃないですか!


頭が一瞬で真っ白になりながら、トイレと寝室を行ったり来たりする事3回、見かねた嫁に「毛布持ってきて!!」と言われハッと我に変えり、寝室から毛布を運んだ次の瞬間には、僕の手に赤ん坊が収まっていました。


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無事に生まれた安堵感と、あと5分ウンコが⻑かったら、嫁と子に死ぬまで愚痴られただろう未来を回避出来た事の安堵感に浸りながら、新しい命の誕生を家族で迎え入れられた事を祝福しました。


そんな次男の誕生を機にサイハテ村に移住した僕ら家族が、サイハテ村の暮らしに慣れた頃、妻のお腹には3人目の命が宿っていました。


妻からの指令は〝安心してお産ができるように寝室を作る事〟寝室と言っても、今住んでいる家の横に 寝室を増設する大掛かりな工事になります。大工の知識も技術もなければ、資金もありません。


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しかし、妻からの指令に〝できない〟という選択肢はありません。生まれて初めて実家の親父に150万円の借金をし、サイハテ村のクラシアンこと福島ゆうじを棟梁に2人で産小屋づくりを始めました。


ユンボで整地し基礎を作り、棟梁は本を片手に木材を加工し見事に上棟(元々は服飾デザイナーなのに、、)。内装が終わったのはお産の5日前、ギリギリ出産に間に合うことができました。


愛情込めて作った清潔な寝室、⻑男と次男が気持ち良さそうに寝ている側で、深夜陣痛の痛みに耐える妻、お産が始まった事に気づかずクライマックスで起きた僕。赤子をキャッチしたのは寝起き10分後でした。(陣痛から30分で出産。)


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今回も無事に生まれた安堵感と、あと10分起きるのが遅かったら、一生嫁と子に言われただろう未来を回避できた安堵感に浸りながら、家族の絆が深まるのを感じたのでした。


思い返すと〝赤ちゃんは病院でお医者さんに取り上げてもらうもの〟という常識はここ数十年のもので、人類は何万年も家族とともに命を繋いできました。他の生き物もそうです。


僕らは便利な生活と引き換えに沢山の大事なものを見失っているのかもしれません。

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サイハテ村で産まれた子供はうちの子で3人目だったのですが、サイハテ村のママたちが毎日のように産後のケアをしにきてくれたり、村の子供達も新しい弟が見たくて集まってくる光景は、まさにコミュニティの原点であり、失ってはいけないものだと感じたのです。


次回は、vol.45「村づくりおじさんとコミュニティ疲れ」です。フォロー、スキ、シェアしてくれると励みにります!^ ^

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