障害は個性だと母は言っていた
私を産んで、母は半身不随になった。
彼女が私の母だったのは、たった半年間。
母の人生において、私は一体なんだったのだろう。
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障害は個性だ、と母は言っていた。
直接聞いたわけではないけれど、確かに言っていたことを知っている。母は、第2回NHKハート展に寄稿した詩の中で、何度も「障害は個性だ」と語っていたから。
でもそれはきっと強がりだったのではないかと、ずっと思っていた。
離婚することが私を生む前から決まっていたため、私を生んだときに彼女は一気にひとりぼっちになった。それなのに、ひとりで満足に生きていくには不自由な体になってしまった。
その境遇は、人が聞けば彼女を憂うに余りあるものだと思う。
もちろん私を生んだのは彼女の勝手だし、離婚したのも彼女の責任だ。それでもやっぱり、「障害は個性だ」なんて強がらなければやっていられないのだろうと、詩を読んだとき子供ながらに同情したことを覚えている。
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年に1度、施設で暮らす母から、育ての両親に宛てて届く手紙。そこには、
「いつも円がお世話になっています」
と、動かなくなった利き手をかばって左手で一生懸命書いた下手な字があった。
子供は残酷だ。その手紙を見て私は、「何様のつもりだ」と感じていた。けれど一方で、私を産まなければきっと別の人生があっただろうに、と思うのだ。
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でも、大人になって思う。
親にとって、いわば体を張って子を守ったという事実は、このうえない誉れなのかもしれない。
私はまだ人の親ではないし、結婚もしていないから、母の気持ちはわからない。子を授かったとしても、それは結局わからないのかもしれない。
男だからわからないのかもしれないし、他人だからわからないのかもしれない。しかし、母は母で満たされていたのかもしれない、と前向きに考えられるくらいには視野が広がった。
大人になったからそう思えるようになったのか、そう思えるようになったから大人になったと言えるのか。
顔も声も知らない母だけれど、あなたは確かに私の母で、私は確かにあなたの子だ。
二度と会えなくなる前に、一度くらい会いに行こう。
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