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逃げ出したくなるリアル―重松清『見張り塔からずっと』とは

私にとってこの小説は、生まれて初めて憂鬱を感じさせてくれた作品であり、文章だけで人はこんなにも辛く悲しい気持ちになれるのか、と衝撃を受けた作品でもある。言葉を大切にする職業に就いたきっかけの一端が、間違いなくこの物語の中にある。

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発展の望みを絶たれ、憂鬱なムードの漂うニュータウンに暮らす一家がいる。1歳の息子を突然失い、空虚を抱える夫婦がいる。18歳で結婚したが、夫にも義母にもまともに扱ってもらえない若妻がいる……。3組の家族、ひとりひとりの理想が、現実に侵食される。だが、どんなにそれが重くとも、目をそらさずに生きる、僕たちの物語――。「カラス」 「扉を開けて」「陽だまりの猫」。(引用―新潮社)

あらすじから、すでに漂う陰鬱さ。実写作品で重松清さんを知った人は、彼を「心温まる物語を紡ぐ作家」として認識しているだろう。本書のレビューの中には、「本当に他の作品と同じ作家が書いた物語か?」なんてものも見かけられた。その気持ちはわからないでもない。

「ナイフ」や「ビタミンF」で描かれていた、無垢な悪意による子供のいじめとは違う。社会性を持った人間だからこそ考え至ってしまう、大人のいじめという本物の悪意が、「見張り塔からずっと」には描かれている。

重松清、という作家を知っている人でも、この作品を知っている人は少ないと思う。検索してみると、「重松清おすすめ作品ランキング」なんて記事の中でも本書は紹介されていない。それがそのまま知名度の低さの証明とは言えないけれど、少なくとも彼の代表作と呼ぶべき作品でないことは確かだろう。

しかし代表作ではないけれど、作家「重松清」にとって重要な作品であることは間違いない。それは、本人が文庫版のあとがきに寄せている内容からも明らかだ。

「もとより加害者にも被害者にもなれないのなら、せめて目撃者でありたい」(「文庫版のための(少し長い)あとがき」より)

目撃者であり続けることを本書で覚悟し、重松さんは以降の作品を書き続けているのだ。

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そもそも何がきっかけだったろう。母が持っていたのだ、これを。きっとそれ以上の理由はなかった。タイトルに惹かれたわけでもないし、カバーに惹かれたわけでもない。

なにせ当時中学生だ。このタイトルとイラストに惹かれろというほうが無理がある。ただ、この本で重松清という作家を知ったことだけは確かだ。

以降、いくつか著書を拝読し、いずれも感動し涙を流すこともあったけれど、「見張り塔からずっと」の衝撃を超えることはなかった。それは重松清さんの作品に限らず、他のあらゆる小説も同じだ。

何がそんなに心に響いたのか。きっとリアルさだ。本作では、本当に悪質な大人のいじめを描いている。けれど、理解できるのだ。ある程度社会を知った人間なら、誰もがその感情を少なからず理解できてしまう。物語の中で狂気に身を焦がす彼らの醜さと、それにわずかでも共感を覚えてしまう自分の心の醜さに、当時中学生だった私は面食らってしまった。

「カラス」で、ある夫婦はいじめに加担したことをきっかけに、夜の営みを取り戻す。その背徳感が、嫌という程に伝わるのだ。フィクションであるはずなのに、きっとどこかであった、あるいはこれからどこかで起こる話なのだろうと思わずにはいられない。


一読の価値ありと自信を持って推せる。読後の後味の悪さは約束できる。そして最悪を味わったあとは、少しだけ人に優しくなれる気がするのだ。

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