会社の事業再生の話に、日本という国を重ねる

『世界に勝てる企業に変えるしか日本企業復活の道はない…事業再生のプロが見た「業績不振企業」の共通点 ―
日本人の給料が上がらない本当の理由』

「なぜ日本人の給料が上がらないのか」という疑問への答えは明白です。

報酬とは引き受けたリスクに対応するものです。日本企業が世界的に見て高成長を狙う積極経営を狙わずに守りの経営をしている限り、元気にあふれ、成長し、従業員に高い給料を支払える会社がたくさんでてくる国にはなれません。

最初のうちは悪化の原因がはっきりとわかります。しかし、それを早いうちに直さないでずるずると惰性で事業を続けていくうちに、ひとつの問題が次の問題を生み、原因と結果が複雑に絡まっていく。長期にわたり不振に陥ってきた会社は、例えて言えばぐしゃぐしゃにもつれた毛玉のようなものです。
(略)
社員も不振な状態に慣れてしまって、「こんなものだ」と感じるようになっている。自分に与えられた仕事だけをこなし、会社の不振は「他の部署が悪い」「経営トップが悪い」と考えて済ませてしまうのです。そんな会社で社員が危機感を持てないのは自然ではないでしょうか。

これは、エニアグラムのタイプ6の国、日本で説明できるものです。
安心・安全・安定が大切なタイプ6は、ストレスがかかるほど、安心・安全・安定に籠ります。
そして未知や混沌から逃げます。

「報酬とは引き受けたリスクに対応するもの」
と言う、このかたの話が本当であれば、
未知や混沌を恐れリスクを嫌う日本人の報酬が少ないのも当たり前の結果となってしまいます。

「最初のうちは悪化の原因がはっきりとわかります。しかし、それを早いうちに直さないで」
でいえば、日本社会も多くの問題が指摘されても、それを放置してきました。
それで日本の問題は「ぐしゃぐしゃにもつれた毛玉のような」状態になっています。

このかたは日本の会社の話をしていますが、これは日本社会にも通ずる話です。

文中にある「こんなものだ」もそうです。
リソ&ハドソンのタイプ6の記述に、

極端に党派的かつ権威主義的であり、他者を「自分に従う」人と「自分に逆らう」人とに厳密に分ける。すべての人が、われわれ対彼ら、部外者対部内者、友人対敵というように遠慮会釈なく二つの分岐にくくられる。「良くも悪くも私の国(権威、指導者、信念)だ」というのが彼らの態度である。誰かが彼らの信念に異議を唱えれば、自分の生き方そのものへの攻撃とみなす。

この「良くも悪くも」が、「こんなものだ」に対応します。

「他の部署が悪い」「経営トップが悪い」もそうです。
タイプ6は物事の当事者になりたがりません。
問題を混沌として嫌い、「ひとごと」でいたい性格です。
そういった国民性が出ている部分です。
国家で言えば「与党が悪い」「野党が悪い」で終始して、自分が当事者になることから逃げている一般人の姿がそれに当たります。

このかたは「社員が危機感を持てない」として、

「自分もまずかった」と思ってもらえるように、因果の糸を紐解いていかなければなりません。これはたいへんな作業ですが、改革では最初にやらなければならないことなのです。

これは正しいことなのですが、
同時に大変難しいことでもあります。

なぜなら、社員であろうと日本国民であろうと、それは積極的に当事者から逃げているからです。「ひとごと」で済ませたいからです。

例えば、
自民党が問題となるたびに、内閣支持率は落ち、自民支持率も落ちているのに、野党の支持が上がらないのはなぜか? という話にも共通した問題です。
変化は嫌いで、現状維持で、本当は自民のままでもいいのだけども、現政権がおかしなことをしてくれるから、支持ができなくなってくる。自民支持のままだと問題の当事者にもなるから、そこから逃れるために無党派層に逃げる。
でも、変化は嫌いで、現状維持だから、別の党を支持することは無い。
支持政党を正すのが嫌だという理由の無党派なのです。「ひとごと」で済ませたいから無党派なのです。

再びリソ&ハドソンから、

健全なタイプ6は、自分のまわりで何か不適切なことが起きていることを感じ取ったり、自分が関与している組織の中で他者が力を悪用していることを察知したりすれば、怖れずに疑問を提起する。(略)しかし、これから見ていくように、通常のタイプ6はこういった状況になると怖じ気づき、(以下略)

リソとハドソンは、エニアグラムにレベルを持ち込んだ人です。
各タイプのレベル別の状態を説明しています。
そして、便利なことに、タイプ6の説明の多くは日本人の説明として有効です。

日本人も健全であれば、組織をメンテナスできるのです。
でも、いつもの日本人は、それができず「長い物には巻かれろ」「臭い物に蓋をする」で火中の栗を拾うことから逃げます。

ここから先は会社再建の話からの引用です。

何が不振の真の原因なのかを見抜き、改革シナリオを作成していく。その改革はそれまでの社内常識の外にあるものなので、苦しいし、成功の保証もありません。だから、抵抗が起きます。

この中で気になったのが、「成功の保証もありません」の箇所。
タイプ6は、未知や混沌を嫌い、安心・安全・安定を求めます。
ですから、間違いの無い正解を求めるのがタイプ6というものです。
「成功の保証もありません」が日本人に受け入れられるはずが無いと思いました。


誰もが「自分ではなく他の人間に会社の不振の原因がある」と思っています。他人事なのです。しかし、繰り返しますが事業不振の原因に、自分個人がどう関わっているのか、個人的な因果関係が見えなければ、社員が痛みを覚えられないのは自然ではないでしょうか。

それを変えるために、「あなた自身にも責任がある」と視覚的に示し、気づいてもらう必要があるのです。

そのためには緻密な調査、膨大な分析、正確なロジックが必要です。事業全体の悪さを「論理的に分解」して、各部署にいる個人の役割と責任にまで「ひも付け」をしていく。この「強烈な反省論」の作成は至難の業ですが、やらなければなりません。

読んでいると、個人が自分の責任に気が付けば、物事が好転するとでも考えているように見えます。
ですが、
私はタイプ6に対する性善説にもほどがあると感じました。
信頼しすぎてますよ。相手のことを。

ストレスがかかるほどに、自分の責任から逃げるのがタイプ6というものです。
「ひとごと」に持って行きたいのがタイプ6というものです。

このかたは、売上高1兆円企業の事業再生の話を書いているのですが、元々、売上高1兆円企業だからなのか、働いている人たちがかなり優秀なのではないか? という気がしてきました。
ただし能力的にいくら優秀でも、それがタイプ6ならば、そうとう当事者になるのが難しいはずなのに・・。この部分が本当のノウハウなのかも知れないと思いました。
と思っていたら次のページでノウハウらしきことが書かれていました。

不振の本質を引きずり出して視覚化し、皆にプレゼンテーションします。それをまずは経営トップの前で行い、追って社内の各部門に出向いて、プレゼンをして回ります。

すべての従業員の前で「自分たちの事業は今こういう状態なのだ」「その責任は他人ではなく自分にあるのだ」ということを、グウの音も出ないデータを見せることで気づいてもらう。すると、社員たちは「自分は業績破綻の被害者ではなく、加害者であったのか」と考え込み、「自分もまずかった」と思います。個人の痛みを感じ、自省の念を抱くのです。

ここに至るまでが改革の天王山です。この天王山は、実際に具体的な改革の行動に着手するより前に来ます。

「強烈な反省論」が示され、部署内部のほとんどの個人がそれぞれ「自分もまずかった」と思うことが起きたら、その痛みは部署全体の反省論として共有されたようになります。そして「これはまずい。自分も改善しなければ」と思い、「何とかしよう」と互いに話し、それが部署の大勢になれば、その部署は改革に向かって動き始めます。これが全部署に広がれば、全社的に「何とかしなければ」の前向きの姿勢が広がることになるのです。

「不振の本質を引きずり出して視覚化し、皆にプレゼンテーションします。それをまずは経営トップの前で行い…」
とあります。

これが日本社会でできれば、と思うと同時に、
その日本のトップが息子を首相秘書官にしてたのですから。
トップからプレゼンすいるのであれば
日本だと、あの人がまず難関なわけです。

トップの問題が目立つわけです。
以前のトップも、モリカケサクラに統一ですから。
それで、エッフェル塔の人たちなどにも、自覚をもってもらって、
そんな政治家を許してきた国民にまで降りてくるのにずいぶんと時間がかかりそうではあります。


人は真に危機感を覚えると一生懸命やろうとします。そして、戦略を実行した結果がプラスの形で出てくると、次第に熱くなってくるのです。その熱さにより新たなプラスの結果が生まれ、事業が良い方向に向かって動き回り始めます。こうなれば改革は軌道に乗る。逆にそれができないと改革は失速してしまいます。

それで日本という国で見ると、失速していると。

自分の加害性に気付く、もしくは当事者になることが再生への条件だという点に対しては、同意します。その上で、これがほとんど無理なくらい難しいことだとも思っています。この後半の部分はこのかたとの意見の相違点です。



蛇足

言いたいことは書いたので、
文章の後の箇所の感想を少し書いて終わります。

それにしても、日本企業では、リスクをとった者への報酬が不当に低いことが多すぎます。会社全体を救うために、不振事業の再生を賭けて決死の奮闘をした改革メンバーが人事処遇面でも報われなかったという話を聞くと、やるせなくなります。

「報酬が不当に低い」に関して、
「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」
という言葉を思い出しました。

終わります。

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