小説が書けないと言う人と、オランダ教育

本当に考えたの?
で紹介した森 博嗣(もり ひろし)氏の文章

 「どうしても、思いどおりに小説が書けません。どうしたら、良いでしょうか?」と尋ねられることも少なくないのだが、そういうときは、「思いどおりに書けなかった小説を見せて下さい。何作くらいあるんですか?」ときき返す。1作も書けていない人が多い。1作も書いてないのに、どうして思いどおり書けないなんて言うのだろうか? 書いてから悩めば良いではないか。書けない書けないと悩む人がいるけれど、書けないなんてことはない、なにかは必ず書ける。幼稚園児だって書ける。100時間も1000時間も悩めば、必ず書けるだろう。5作くらい書けば、自分の才能が小説に向いているか向いていないか、多少はわかるのではないか。

森 博嗣 氏の文章の後に「オランダ教育」を読むと、また違った感想が出てきます。

『教科書がない。宿題が出ない。「オランダ教育」について思うこと |Michiko Amsterdam』

もちろん、算数、語学(英語・オランダ語)、理科、歴史などの課題が出るのと同時に、クリエーティブな課題がとても多い印象でした。

例えば、「自然・草花」に関するアートワークを自由に創作してください。アウトプットは自由で、ドローイング、ダンス、動画、ゲーム、料理、などなど、子供たちは、自分の好きなものに落とし込んで、アウトプットしようとします。担任の先生も、「僕はこんな表現にしました」といった参考ムービーを作り、みんなにシェアします。
印象に残っている課題はたくさんあるのですが、後は「宇宙・惑星」について、各自調べてプレゼンテーションシートにまとめる、というもの。内容は自由で、惑星にフォーカスしても、宇宙飛行士にフォーカスしても、どこを切り取って、まとめるかはその子次第、という課題でした。

一見、とても自由で楽しそうなのですが、、、、まず、この「縛りがない」「自由に」という状態を楽しめるかどうか、子供のマインド次第だなと、逆に怖さも感じたわけです。

自分がやってきた広告の仕事や、その他の職種もそうですが、まさに「仕事」に通じるものを感じ、表現を突き詰める、精度をあげていく、企画書の完成度をプレゼンまでにあげていく、つまりどこで終わらせるのかは、その人次第。正解がないので、その完成度にものすごい差が生じてしまうわけです。もちろん、人と比べる必要はないのですが。


こういう教育を受けた人ならば、もしかすると、森 博嗣 氏に対してそのような質問自体をしなかったのではないか? と思ってしまうのです。

日本の国民性はエニアグラムのタイプ6と言われていて、タイプ6は通常レベルで依存的だと言われています。
だから、先生を欲しがり、何かを教えてもらおうとする。

この態度に辟易している人は、『「そんなの知らないよ」夜回り先生と厚切りジェイソン』で取り上げたように、それなりに存在します。森 博嗣 氏もその一人かも知れません。

外山 滋比古さんは、『思考の整理学』において、日本の教育を先生が引っ張るグライダーに例えました。
引用した「オランダ教育」は自立した飛行機のようです。

自発的に何かをしていくには、飛行機教育のほうが良いのでしょうけども、
これを日本に導入する場合は、「鶏が先か卵が先か」みたいになりそうだとも思いました。
本気で導入するなら、明治のときみたいに外国人から教えをこう必用があるのかも知れない、とも思いました。

たった一つの正解が無い、答えの分からないものに取り組むのが苦手だから、未知や混沌が嫌いなタイプ6日本には起業も少ないですよね。

全然まとまっていない文書を書いていますが、いろいろ考えさせられました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?