日本の「子育て罰」の話を少し読んでの感想
『子どもを産むと年収が7割も減る…世界が反面教師にする日本の「子育て罰」のあまりに厳しい現状』
を少し読んでの感想です。
「そのズレっぷり」で思ったのですけど、
最近私が取り上げた上げた文章の中に、
強盗殺人が起こった市が、補助金や監視カメラなどの対策を掲げていたのはいいのですが、
それをすれば(していれば)、本当に昼間にあった宅配業者を装ったと見られる強盗殺人の防止につながるのかは私から見ると疑問だという話と共通点を感じます(あの手の犯罪はセコムでも突破できそうだし)。
つまりこれは、「やっている」感と、ふわふわとした「安心・安全」感の提供です。
何と言えば良いのだろう
例えば、『マイナ事業、84%無競争 カード発行法人の発注』というニュースで関連したニュースのコメントを読んでいたら、
と書かれていたり、
『マイナンバー、システムが古すぎて「1年でコスト2.6倍」の愚…SNSでは「不安すぎる」「無謀すぎる」の声|smartFLASH』では、
「財務省が提出した資料によると、マイナンバーカードの関連予算は、2021年度に113億円だったが、2022年度は2.6倍の290億円に増えた。2023年度以降も費用の増加が見込まれる」
と書かれていたりで、
自民党という党が、世襲議員クラブになっているので、現実感が無いのかも知れませんけど、
「そのズレっぷり」は、お金の使い方にも表れていて、
ふわふわしていて、現実感の無いまま費用が膨れたりして、
最近でも海外にお金をばらまいてますし。
それでも お金を取るほうだけはしっかりと考えているらしく、
マイナンバーも「不同意がなければ、(年金振込先の)預貯金口座をマイナンバーにひもづける方針」なんてものを、今年に決定しようとしていて、このニュースだけ見ると、何が悪いのだか分からない人も多いでしょうけど(私も分からなかった)、数年前の新聞記事を読めば「新規口座だけでなく、既存の口座も含めたすべての口座のひも付け義務化を目指す」ということで、今回の話はその入り口であって、今回は任意と言ってますが始めてしまえば結局義務化して(マイナンバーカードもそうですよね)、将来的に「実現すれば、政府は国民の資産状況を正確に把握することが可能となり、必要に応じて給付などに活用するほか、徴税の強化を図る方針だ」だなんて、お金を取るほうはしっかり制度を固めようとしているわけです(毎日新聞の記事だそうです。頑張ってはる)。
蛇足で書いてしまえば、
いくつかの市町村において(大坂とか福岡とか鹿児島とか、とかとか)、
「除外申請をしないと、本人の同意なく若者の個人情報が自衛隊に提供される」
現状を考えると、
「徴税の強化を図る方針」
が
「徴兵の強化を図る方針」
に空見できたり。
話をお金に戻せば、
取り上げるほうに力を入れていて、
使うほうは、いい加減に見えてしまうのですよね。
本文を読んでいると
「政府も何もやってこなかったわけではないが、効果を上げていないとすれば、場当たり的で小手先の対策が繰り返され、本質的な問題が解決されていないからだ」
とあって、それが人気取りの、その場しのぎの、なんとなくの政策になっているということです。
それは今も同じで、岸田首相も「異次元の少子化対策をやる」なんて、よく分からないけど大きなことを言っているわけです。
ただ、これはたぶん、国民のほうも、場当たり的に政治に求めているのが一因としてあると思っています。
「保育園落ちた日本死ね!!!」
が話題になったときに、
この問題がなぜ解決しないかを解説した人がいて、
それは、
「直前まで興味をもっていない」「興味をもったころには遅い」「急な対応はできない」「対応を求めようとする間に、この期間を脱してしまう」なので、何も解決しない。
そのうえ「持続して問題に関わる人はまずいない」それで、問題が継続され、残ってしまう。
関係ないことでも興味を持つ。私たちに、これができていないからではないでしょうか?
例えばこの文章を書いたかたは、少子化以外にも問題意識をもってニュースを見てるのでしょうか?
自分だけの安心・安全・安定で、皆、精一杯になっている。
「今だけ金だけ自分だけ」ではないですが、
時間軸も今だけになっている。これは「老害」なんて言葉が出てくることからも分かります。子供をうるさがる大人もそうです。
「子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」とならない。
想像力が広がらない。
再度書きますが、自分だけの安心・安全・安定で、皆、精一杯になっている。
そういった流れで、個別の問題が、「今」苦労している人だけの問題となっている。
それで、国民のほうも、そのときになってはじめて、場当たり的に政治に求めていて、
政治家のほうも、場当たり的に自分の立場を良く見せるために、その場しのぎ的に対応している。
さらに書けば、その場当たり対応を、その時に、藁にも縋りたい国民は、藁かどうか精査をせずに高めに評価してしまう。とにかく迅速に対応してくれたことに感謝する。
これは、個々の対策で、初期評価と後期評価(特に専門家を入れた評価)の違いを知りたくはあります。始めは、何が正しいのか皆分からないので、迅速に対応したのであれば、初期評価は高くなりがちだと想像します。
あとは、当事者でも無ければ、評価が難しいこともあって、動いている政治家を、とにかく高めに評価してしまう傾向はあると思います。
過去の
『大衆が誰かを支持するときに出てくる「ヨシ!」な行動(エニア話ではなく)』
でも取り上げた話ですけど、
名前を知られるほど政治家は投票される傾向があるようです。
ならば、名前を知られれば、政策の内容はあまり関係なくなるわけです。
それで、すこしでも好意的な反応があれば、それを見て政治家もそれで満足してしまう。
基本、日本は他人軸の社会なので、周りから一定の評価が入ってくれば、政治家はそれ以上のことはしようとはしないでしょう。
今、岸田政権が慌てているのは、対策を言った先から批判されているからです。
「きっちり検証」ですか
できるのでしょうか「きっちり検証」なんて
例えば、オリンピックの検証はどこまでするのでしょうかね。
『東京オリンピック組織委、3月に完全消滅へ…汚職事件解明待たずに清算法人が業務終了|読売新聞』
のヤフコメでは、
なんてものがありました。
検証が日本は苦手です。
振り返って反省することができません。
反省とは「当事者」になることだからそれができません。
反省とは「混沌」に向き合うことだからそれができません。
過ぎたこと終わったことは、もう振り向かない。そうやって「責任」から逃げています。
でもって、第三者が検証することに意義があるにせよ、それがたとえできたとしても該当者にまで届くことは無いです。
なぜって、先ほど書いた通りの理由で、
「当事者」になりたいくない。
今さら「混沌」に向き合いたくない。
過ぎたこと終わったことにして、もう振り返りたくない。
「責任」から逃げたい。
・・・からです。
日本は、安心・安全・安定が大切なエニアグラムのタイプ6な国民性です。
タイプ6は、安心・安全・安定が大切ですが、それゆえに、通常、安心・安全・安定が崩れた状態となる、未知や混沌、不安、責任、当事者であること、を避けようとします。
安心・安全・安定が崩れた状態はストレスなので、不安を無視し、大丈夫だと言い、矮小化し、その場しのぎ、当座しのぎで誤魔化そうとします。
さあ、ここまでは説明できるのですけど、
これをどうしましょうか?
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