タイプ8島田紳助の「勝つための教科書」作り
前回『タイプ5と「能力」、タイプ3と「能力」、タイプ8と「能力」』の おさらいをしつつ書きます。
エニアグラムのタイプ8は、エニアグラム9タイプの中でも、最も闘争的な性格タイプで『統率者(ドン・リチャード・リソ)』『ボス(ヘレン・パーマー)』『主張する人(レニー・バロン/エリザベス・ウエイゲル)』などのあだ名を持つ人です。
このタイプ8の中には、世の中で勝つために、自分の「能力」を磨く人がいます。
昔、テレビで活躍した島田紳助さんも、そのようなタイプ8の一人です。
今回は、その著書から、タイプ8の「能力」の磨きかた、すなわちタイプ8の「勝ち方」を勉強してみたいと思います。
『自己プロデュース力』より
僕がまずしたのは「教科書」をつくることでした。
漫才には教科書がない。だからこそ、僕は十八歳でこの世界に入った時、自分で教科書をつくろうと思ったんです。
「これで勉強したら、絶対売れる」という「教科書」を。
僕は自分が「オモロイ!」と思った漫才師の漫才を、片っ端からカセット・テープに録音していきました。その頃は、録音機材といったら大きなラジカセしかなかったから、それをテレビの前に置いてね。劇場まで持って行ったこともありました。普通に持って行ったら怒られるから、鞄に忍ばせて。
そうやって録音した漫才を、今度は繰り返し再生して紙に書き出していく。書き出すことで、なぜ「オモロイ!」のかが段々とわかってきたんです。
例えば、海原千里・万里さん。同い年だけど、高校生からスターだった。何でこんなに若いのに人気があるのか、何でこんなに面白いのか。それが不思議で、鞄に録音機材を忍ばせて舞台を観に行って、家に帰ってから そのテープを書き起こしてみました。
それで、なるほどと思いましたね。オチのパターンが八割一緒なんです。(略)(そして)得意のパターンのオチを引き立てるために、そうじゃないパターンのオチも入れていたんです。
今はお笑いも細分化されている。でも、僕らの時代は違いました。
「漫才は子供からおじいちゃんおばあちゃんまで笑わさなければいけない」
「誰でも笑わすことができるのがいい漫才」という定義があって、そう教育されてきました。
でも、僕は「これからはそうじゃない」と教科書を書き換えた。
例えば、当時、アリスのレコードがすごく売れていた。でも、アリスが日本人全員に支持されいたかというと、そうではなかった。一部に強く支持されていただけなんです。
一方で、日本人全員に支持されていた演歌なんかは下火になりかけていた。それで、僕は「漫才も音楽と一緒になる」と思ったんですよね。「老若男女を笑わせようとするのはもう古い。僕たちは一部に強く支持される漫才をしよう」と。
たくさん漫才を観ていくうちに、笑いにはいろんな種類があるということがわかってくるだろうと思います。
そして「面白い!」と思う漫才には大きく分けてふたつの種類があるということがわかってくるだろうと思います。
ひとつは「面白いけど、自分にはできないな」というもの。
もうひとつは「これ、俺と一緒だ」というもの。
すべきことは、「これ、俺と一緒だ」と思う漫才をいくつも発見していくこと。
今の漫才だけを観ていても駄目ですよ。 僕が漫才をやっていた三十年前ぐらいのマンザイ・ブーム以降はだいたい映像が残ってますし、それより前のものでも、レコードがあります。それを全部観られるだけ観る。聴けるだけ聴く。そして、その時代時代にどんな人が売れていたのか、どんな笑いがウケていたのか、それがどういう風に移り変わっていったのか、あるいはずっと共通しているものがあるのか、徹底的に調べるんです。
島田紳助さんは、このようにして徹底して勉強していったようです。
タイプ8の中には、たまに、このような人がいます。
島田紳助さんの、もうひとつ凄いところは、この教科書を元に、相方である竜介さんを教育したところです。
私は、あるタイプ8を知っているのですが、このかたも、自分が自主的に学んできた技術を人に教えることができるかたでした。
タイプによっては教えるのが下手なタイプもいるので、こういった「人に教えることができる」ということは、タイプ8の特性なのかも知れません。
ただ、教える姿勢は、くどくしつこく繰り返し、また、厳しかったそうです。これも私の知っているタイプ8の人と共通しています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?