イノベーターはいるのだけども(エニア話ではなく)

『日本人にイノベーターは多い !? 世界標準のテストから分かった意外な事実 – SAKISIRU(サキシル)』
https://sakisiru.jp/1850
によると、
「イノベイターDNA診断」というものを日本で行うと、イノベーターが25%いるのだそうです。

ここで少し説明を入れます。
イノベーターDNA診断:“企業と人”のイノベーションをつくる ビズジンアカデミー』
https://event.shoeisha.jp/bza/dna/

によると、
「イノベイターDNA診断」におけるイノベーターの説明は以下の通りです。

機会発見志向で、実行力が低いタイプ。
イノベータはさまざまな製品、サービス、プロセスに関する革新的で、破壊的な価値あるアイデアを創出します。通常の実現性を超えてアイデアを発想することが多いため、周囲のメンバーがイノベータのアイデアを理解できないことが起きます。イノベータの発想を具現化する力のある「デベロッパー(D)」や「イノベーティブ・エクゼキュータ(E+i)」と協力し、力を補完したときに最も能力が発揮されます。「エクゼキュータ(E)」との協力が困難もありますが、アイデアを具現化する協力者と協力しあうことで最も成功します。

この真逆に位置するのがエクゼキュータで、

実行力志向で、発見力が低いタイプ。
エクゼキュータはものごとを継続的に成し遂げることで成功します。根気強い実行を、革新的なアイデアよりも重視しすぎる(以下略)

また、イノベーターとエクゼキュータの間に、3つのタイプを置いています。
両者の真ん中に位置するのが、デベロッパーです。

デベロッパーは発見力・実行力をバランスよく備えています。
つまり多くの場合、純粋な「イノベータ」ほど発見力は強くなく、「エクゼキュータ」ほど実行力は強くありません。デベロッパーは組織の「翻訳者」として、カギとなる役割を果たします。(以下略)

ここまで軽く用語説明した上で、先ほどの話に戻します。

日本では、イノベーターが25%いるのだそうです。
つまり日本人の四分の一は、イノベーターだそうです。意外に多くイノベーターが日本にはいます。
そして、その反対のエクゼキュータは26%だそうです。
これも、ほぼ四分の一、イノベーターよりエクゼキュータが少し多いくらいだそうです。

ところが、

ところが ところが、

50人以上の組織でテストを受けた人になると、イノベータータイプは19%とグッと減って、実行力に強いエグゼキュータータータイプが38%と、4割近くにのぼったのだという。

つまり大きな組織では、イノベーター・タイプの数は比率として少なくなるのだそうです。

前回紹介した『アリ型思考とキリギリス型思考』においては、
「ざっくりと言ってしまえば、世の中の9割以上はアリで成り立っていると言ってもよい」
と書かれていましたが、これは「世の中にはアリが多くいる」ではなく、「キリギリスを排除している」ということなのかも知れません。それでアリが有利な世の中で、キリギリスもアリのふりをしている可能性も出て来ます。

「大企業では確立したビジネスモデルの遂行が重視され、日常業務を遂行するスキル、つまり実行力の高いメンバーに偏っている。やるべきことばかりに意識が向けられ、新たに解決すべき課題の発見がおろそかになっている」と同社。

「口を動かすな!手を動かせ!」「今ある仕事を猛烈にこなせ!」ということです。
そういうときには、実行力のあるエクゼキュータが求められるわけです。

また、

(イノベーターの説明にある)“機会発見志向で実行力が低いタイプ。(略)通常の実現性を超えてアイデアを創出することが多いため、周囲のメンバーがイノベーターのアイデアを理解できないことがおきます。”

こうした一長一短あるような人物像はまさに、日本の組織では排除されやすいタイプではないだろうか。夢ばかり語って実行が苦手な人だとも読み取れ、日本の組織では嫌われがちな人物像だともいえる。

こういったことから、日本の組織においてはイノベーターは受け入れられず、
実行力のあるエクゼキュータを主力に業務が遂行されているわけです。

これが上手く行っていれば、増益するでしょう。
ただ、別の何かが必要になったとき市場に変化が起きたときに、このような組織は行き詰るわけです。
それで、こうなったときにイノベーターを使おうにも、
(夢ばかり語って実行が苦手な)イノベーターの使いかたも、その評価のしかたも分かっていないし、こういったことに関しての積み上げが(現実に対応できるほど)無いので、たとえ組織の中にイノベーターがいたとしても役に立てられないわけです。

もしも価値あるイノベーターが社内に眠っていたとしても、それを使いこなせないのだとしたら「豚に真珠」「猫に小判」じゃないですか!?


この話を読んでいると、関連した話として、
『あなたの会社は「天才」を飼い殺しにしていないか? 社内に埋もれた「天才」を、活かせる組織に変える法 | JBpress(日本ビジネスプレス)』http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55607
の話を思い出します。


あなたの会社は「天才」を飼い殺しにしていないか?
企業にイノベーションは必要なはずなのに、なぜイノベーションを起こせる人材が十分に活躍できなくなるのはなぜでしょうか? 実はその秘密を北野唯我さんが『天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ』(日本経済新聞出版社)の中で鮮やかに描き、話題になっています。同書の一部を引用しつつ、解説してみましょう。

天才:独創的な考えや着眼点を持ち、人々が思いつかないプロセスで物事を進められる人

秀才:論理的に物事を考えシステムや数学、秩序を大事にし、堅実に物事を進められる人

凡人:感情やその場の空気を敏感に読み、相手の反応を予想しながら助ける人

 組織はざっくりいうとこの3タイプの人材にわかれます。

新しいビジネスモデルを描く、イノベーションを起こすのは「天才」です。
「仕組み化」が得意なのは「秀才」です。
(略)社員の皆様は「凡人」。秀才が描いたプロセスに沿って堅実に仕事をする役割です。お父さん世代のサラリーマンが「金太郎飴」とか「会社の歯車」と表現されたのはそのためです。

社員の皆様は「凡人」とあります。これがエクゼキュータに該当するようです。つまり、「ものごとを継続的に成し遂げることで成功する」「根気強い」「実行力のある」人を指しています。
エクゼキュータは、「秀才が描いたプロセスに沿って堅実に仕事をする役割」を担(にな)います。


「凡人」、「秀才」、「天才」は基本的に理解し合えません。物事の良し悪しを判断する「軸」が違うからです。


(前略)一方で凡人は、(略)成果を出す前の天才のことは「コミュニティの和を乱す異物」程度にしか認識していません。なんとなく不気味で怖いから、彼らもまた天才を排斥しようとします。

この文章では、「独創的な考えや着眼点を持ち、人々が思いつかないプロセスで物事を進められる人」を「天才」と表現し、
一般社員からは「コミュニティの和を乱す異物」と認識されると書かれています。

これは、始めの文章で取り上げたイノベーターの説明にある、
「通常の実現性を超えてアイデアを発想することが多いため、周囲のメンバーがイノベータのアイデアを理解できないことが起きます」
と重なります。


実はコンサルティングの実務の中も「イノベーター探し」はよく行います。(略)窓際や閉職の中から「元天才」が発掘されることは少なくありません。周囲からは「えっ。あいつが?」と眉間に皺寄せられるような人物であることが大半です。

それがイノベーターなら、「一長一短あるような人物」「夢ばかり語って実行が苦手な人」なので、
発掘されたイノベーターが、「周囲からは『えっ。あいつが?』と眉間に皺寄せられるような人物」となるのも うなずけます。


 事業ライフサイクルで考えるとわかりやすいです。導入期は一人の「天才」がキーです。天才は、まだ世にない新しい価値をゼロから生み出すことが出来ます。そこで市場の掴み方が分かり、一発当たると成長期に入ります。ここからは秀才の出番です。仕組み化して組織を大きくしていくのです。そして安定期になると完全に秀才と凡人の世界です。改善や改良はあるとして、ビジネスモデルが固まり、それを安定的に回して効率化し、生産性向上を行うのが理にかなっているからです。この時期には天才は“異端”になります。多数決という刃物で天才の提案を切り刻み、その存在ですら殺そうとします。実際に閉職や退職に追いやられた天才は数えきれません。縦・横の根回しが必要になるのはこの段階です。そして、天才を失った組織は急速に老化していきます。

 そう、組織は成長もしますが、老化もするのです。老化を遅らせることはできますが、年齢を若くすることはできないと同じです。組織も老化するともとには戻れないのです。人間が美容整形で表面的に若くできても、内臓も一緒に20代の姿に戻せないのと一緒です。

これを読みながら、最近ネットで話題だった

『女王亡き後の群れのゆくえ | 東京ズーネット』
https://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=&link_num=26838
を思い出しました。。

 2021年5月下旬、現在展示している群れのハキリアリの女王が死亡しました。昆虫園(多摩動物昆虫園)におけるハキリアリの飼育は20年近く続いていますが、過去飼育していた群れの女王はおおむね5年以内で死亡しています。この群れは2014年に来園したので、女王は少なくとも6年半以上は生きたことになります。昆虫園としてはもっとも長く生きた女王ですが、まだ群れに勢いがあり女王も若かったころを知るものとしては、やはり死亡してしまうのはさびしいものです。

ここで説明を入れます。

ハキリアリは、植物の葉をかじりとり、もちあげて運ぶアリ。葉を巣に持ちこんで、こまかく噛みくだき、葉で菌類を栽培します。この菌類がアリの食料になります。

https://www.tokyo-zoo.net/movie/mov_book/0303_05/index.html

南北アメリカの熱帯、亜熱帯の森林に分布しているアリで、日本にはいません。


多摩動物昆虫園のハキリアリの女王死亡の話を続けます。


 女王がいなくなり、群れもいっしょに消滅してしまったのかというとまったくそんなことはなく、多数の働きアリたちが、現在も展示ケースの中で菌園とともに生き続けています。
 さて、なぜ群れがまだ続いているのかと疑問に感じる方もいるかもしれませんが、これは今までと同じ生活を維持するために、働きアリがそれぞれの作業をこなし続けているからです。
 このまま働きアリだけでくらしを継続していければよいのですが、(略)ハキリアリの場合、身近に見られるアリのように、減ってしまった働きアリの仕事を他の個体が協力して肩代わり、ということがスムーズにいきません。ハキリアリはキノコを栽培するという難度の高い生活をしていくために、働きアリの大きさを細かく変え、大きさに応じた分業をするという進化をしてきました。流れ作業のような連携で生活が成り立っているため、どこかの担当が欠け始めると総崩れにつながってしまいます。過去の記事でも働きアリはまだ数多くいるのに、「葉を切らなくなった」などの記述が出現するのはそのためです。
数年に一度しかない、群れの終焉。ぜひ、終わりまでの日々の変化を見届けに来てください。

※ 注意 2021年6月4日(金)から当面の間、多摩動物公園(東京都日野市程久保7-1-1)への入園には整理券の予約が必要となっています。

日本で生きたハキリアリを展示しているのは、多摩動物公園だけだそうです。


そう、組織は成長もしますが、老化もする。そして、ハキリアリに似て、継続して活動はするものの、ある役割をする人がいないと、どこかの時点で総崩れする。

蛇足ですが、この元の文章には、私が引用するときに省いた、キノコの出現だとか他にも書かれていて、
それに対する はてな でのコメントも良かったです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=&link_num=26838

「亡き女王のためのパヴァーヌ」というコメントがあり、その名の曲を思い浮かべている人がいて、そういう曲があるのを初めてしりました。
「フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが1899年に作曲したピアノ曲、および1910年にラヴェル自身が編曲した管弦楽曲」だそうです。

ちなみに「パヴァーヌ」とは、「16世紀ヨーロッパに普及した行列舞踏」だそうです。
たしかに今のハキリアリは「亡き女王のためのパヴァーヌ」を踊っているかのようです。

「最近、山一證券の精算処理をする社員に迫るドキュメント見てたんだけど、死にゆく組織の清算のために「それが仕事だから」と働く社員の方々を見てなんとも言えない気持ちになったんだけど、それに通ずる…」
と、私と同じように組織に置き換えた感想を持つ人もいるようです。

個人的は、
「 社会維持の役割ごとに子アリの大きさが違うのすっごいな〜 女王はどういう仕組みで適切な数を生み分けてるのだろう…」と同じことを真っ先に考えました。

たぶん、「産み分け」ではなくて、ハチと同じで育てる過程で分かれる「育て分け」だと想像します(女王バチを育てるには特別な場所でローヤルゼリーを与える、みたいな)(たぶん・・・全ての受精は、一度きりの結婚飛行で行われていると思うので)。
だとしたら、今、幼虫段階のアリがいたら、現場からの何らかのフィードバックを受けてギリギリまで補充されるように思えるのですが、どうなのでしょうか? そもそも、適切な数をどうやって維持していたのか?(フィードバックの仕組みが知りたい) これらは、ハキリアリの本でも読めば書かているようにも思えます。あとは、葉切り係がどうやってエサを食べているのかも知りたい(あの大きな顎では無理みたいなので、口移しかも知れない)。

それと、
「 働きアリが今まで通り作業していることと、女王死亡時に(すぐに)キノコが発生したことは矛盾しているように読めるので、何か説明されていないことがありそう」
というコメント。
※ ()の説明は私が入れています。
これ、するどいと思いました。
タイプ5・レベル2の「当を得た基本的な疑問を提起」かな?と思いました。

(2021/06/16追記 私なりに考えてみたことを記しておきます。 女王アリが死亡して卵係や女王の世話係の混乱が伝播したのか、死亡した女王アリを取り出したみたいだから女王が消えたと思われ群れに動揺が広がったのか)

※ 『タイプ5・レベル2の「当を得た基本的な疑問を提起」の、一例(たぶん)

話がずいぶんと脇道にそれました。
話を戻します。


 天才を失った組織は老化します。では、もしも自分の組織にもう天才が存在しない状況になっていたならどうすればよいのでしょうか。

 そのまま、ゆっくり衰退期に向けて死にゆくのを待つのは寂しすぎます。かといって、秀才は天才にはなれません。外資系コンサルタントが経営者にはなれても、世にない新しい価値をゼロから生み出せたりしないのと一緒です。

これを読んで何か気が付きませんでしたか?

最近の日本企業で業績が悪化すると、リストラだとか、事業縮小だとか、たぶん秀才型の人(たち)が、
「論理的に物事を考え、システムや数学、秩序を大事にしながら、堅実に物事を進め」、こういう対応をしているのだと思います。
そして、この秀才型の人は、老化し衰退期に入った組織において「仕組み」で対応することはできても、「世にない新しい価値をゼロから生み出せたり」することはできないわけです。つまり衰退期の根本的な解決はできないということです。
前回の話の中で出てきたアインシュタインの言葉「われわれの直面する重要な問題はその問題を作ったときと同じレベルの考えで解決することはできない」が思い浮かびます。

それで皆で「創造去りし衰退期のパヴァーヌ」を踊っているわけです。
秀才型がその得意分野で勝負しようとすれば、当然そうなります。良くも悪くも秀才型は秀才型として対応するしかないわけです。

この組織の老化については、前回紹介した細谷 功 氏の著書『会社の老化は止められない。-宿命にどう立ち向かうか-』 (日経ビジネス人文庫)において詳しく書かれていたと記憶しています。


日本は、秀才の仕組み化のもと、一般社員のエクゼキュータの実行力でこれまで発展してきました。
そういった価値観でやってきました。
その上で、日本は、変化が苦手なので、世の中の変化なり何かあっても(一度確立された)今ある動きの強化で乗り越えようとします。
人員を動員して、それこそ、エクゼキュータの実行力に頼って乗り越えようとします。
「勤勉」「働きバチ(アリ)」「エコノミックアニマル」。


そして、これは日本の、勝ちパターンでもあるし、負けパターンでもある。ということです。


※ エコノミック‐アニマル(economic animal)
経済的利潤の追求を第一として活動する人を批判した語。昭和40年(1965)、パキスタンのブット外相が日本の経済進出のあり方について言ったもの。(小学館デジタル大辞泉)
高度成長期の日本人に対して欧米人が呼んだ語。(略)主として東南アジア諸国への日本の経済進出に対する反発から日本人への蔑称となった。(精選版 日本国語大辞典)

参考
なぜ日本には戦術があっても戦略が無いのか?
関連度は弱いですが『日本のITは何故弱いか
注意力が散漫で、忘れっぽくって、部屋が散らかっているあなたには「創造性」があるかも(拡散思考と収束思考の話)

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