仏記者の酷評を読んで思ったこと

『【菅義偉】仏記者が酷評「菅首相は本当の記者会見をしたことがない」|日刊ゲンダイDIGITAL』

日本は、戦争で負けて、明治維新で行った脱亜入欧を再び加速させて、欧米の一員であろうとしたわけです。
そこにタイプ6日本としては、安心・安全・安定を見出したわけです。

でも、その精神までは取り入れられなかった。“ごっこ”をしているわけです。“ふり”をしているわけです。それは今にいたるまで続いています。
いや、当人としては、本当に欧米の一員であり価値観も共有しているつもりなんです。タイプ6は自分の所属する集団に価値観を合わせその一員であろうとします。

でも違う。なにかあるとタイプ6らしさが出てしまう。


この記事にはこう書かれています。

 本当にうんざりしています。真正面から答えない側の逃げ得を許すことになる。記者の「知る権利」を閉ざすもので、再質問禁止は報道の自由を侵害しています。ただ、記者側にも問題があります。
 首相の答えが不十分だった場合、次の記者が突っ込めばいい。ちゃんと答えるまで、記者が繰り返し問えば、逃げられない。記者も準備通りの質問に終始し、アドリブがない。首相も記者も台本通りという印象です。

どちらも、予定が決まっているほうが安心・安全・安定なんですよ。
これは共犯と言ってもいいものです。
そしてこれはタイプ6日本の価値観でもあるのです。

「知る権利」を語るということは、主張を行うことになります。ですが主張を行うことはタイプ6が好きな安心・安全・安定が崩れる不安定な行為となるのです。もちろんその権利が金科玉条(絶対的ルール)として機能するのであれば、虎の威を借りて、それに依存して安全に主張するのでしょうが。
タイプ6としては絶対安全がないと動けないのです。内発的に動くことのできない性格タイプなので。

 一番印象に残っているのは、私が別室で音声のみ傍聴した2回目のグループインタビューです。日本学術会議問題が主題でしたが、菅首相は10回以上、繰り返し事前に用意したメモを読みました。質問に窮して、答えられなかったのです。異様な光景でした。この場面が最大のハイライトなのに、ほとんどのメディアは、発言内容を伝えるだけで、首相の困惑ぶりを報じなかった。

これは、メディアの問題です。けども、それを支えている国民の問題でもあります。
スポーツだと、下手なプレーをする選手がいると、ファンから文句が出ますよね。
外食でも、お客が味を作るわけです(専門家や評論家は、あくまでも、その結果に対し何か言うだけです)(漫画『美味しんぼ』で出てくる海原雄山のような人をつれてきても店の味は変わりません)。不味さ美味さの基準は客が作ります。
そして、それはマスメディアでも同じです。

たしかに、海外(今回インタビューを受けている人の国はフランス)と比べるのは、現状に満足できない人にとっての手っ取り早い解決策なのだろう、とは思います。でも外国人の意見で、虎の威を借りて日本の問題を正そうとするのであれば、これもタイプ6が行う依存のひとつとなります。
だからたとえ変わったように見えても、それは表面的なもので終わるでしょう。

ここが難しいところです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?