「我々はチェスのプレイヤーの方じゃない」話を読んで

個人的に非常なショックがありました。僕が大学生だった2003年にイラク戦争があったのですが、あのときに日本のリベラル層は「アメリカはけしからん」「帝国主義的である」という批判を展開しました。その意味では今回、ロシアがやっているウクライナでの戦争も、アメリカがイラクを侵略したのと同じぐらい理不尽だし、もっと非人道的だし、アメリカよりも遥かに責められるべきじゃないかと私は思うんです。

ところが逆に、今回の戦争に関しては日本のリベラル層は、ロシアを擁護する人が妙に多いんです。「アメリカのウクライナ政策にこそ問題がある」といった論調ですね。これを私は残念に思っています。まずは「侵略している側、つまり相手を殴りつけて人を殺している側を非難して止める」というのを最優先に考えるべきです。本にまとめる中で「いろいろな理由があるにせよ、今回のロシアの戦争は擁護できない」という話がしたかったんです。

「リベラル層は、ロシアを擁護する人が妙に多い」
とのことですが、
左右に関係無く、日本では「ロシアを擁護する人が妙に多い」です。
橋下徹さん鈴木宗男さんは「日本維新の会」の関係者です。
テリー伊藤さんは右と左どちらだろう、本人が右でも左でもないと発言すればそれこそ、日本人の中からまんべんなくロシア派が出ていることになります。

下は「テリー伊藤」と「ウクライナ」で検索をかけてみたもの。参考までに。


ということで、左右に関係無く日本人の中に「ロシアを擁護する人が妙に多い」ということになります。


今から言うことがどこまで正しいか分かりませんが、
日本は、安心・安全・安定が大切なエニアグラムのタイプ6の国です。
そして、タイプ6は安心・安全・安定が崩れた状態の未知や混沌を嫌がります。

2003年にイラク戦争があったときは、まだ日本が安心・安全・安定であって、ストレスがかかっていなかったので、比較的まともな議論ができたのではないでしょうか?

それに比べ、今回は、戦争を行っている片方の国が隣国です。また、その他の状況としては、日本はどんどんと落ちぶれていっている状態で、そんなわけでストレスがかかっている状態です。
それで、手っ取り早く未知や混沌を見ないようにするために、近くにあるそれっぽい理屈の中で自分が安全そうなものに飛びついているのではないでしょうか?
タイプ6な文化の上で、未知や混沌を見ない方向に話が広がり易い傾向にあるとは思います。
たぶん、ここでロシアに敵対したら混沌に長く付き合うはめになって、それを嫌がっている層がある程度いると想像しています。


別の言い方をすると日本人は「当事者にはなりたくない」んです。

「日本政府は、中国の香港や新疆ウイグル自治区などの人権問題について、欧米と足並みをそろえて批判はするものの、人権問題を理由とする経済制裁には慎重」という話があったじゃないですか。
あれも同じで「当事者にはなりたくない」んです。

今のところ日本人の多くは左右に関係なくウクライナ側に立っていると思います。日本人の大多数はウクライナ側です。
ただし、これは、ウイグル問題と同じで、
「欧米と足並みをそろえて批判はするものの、この問題を理由とする制裁には慎重」
となる可能性を含んでいるものです。
なぜって「当事者にはなりたくない」から。

これ、戦争や人権問題だけじゃないです。
「日本はこのままじゃだめだ。これからの時代は若者に期待をしたい」
なんて言説も、当事者になりたくない日本人の姿です。
自分は当事者にはなりたくない。若者なり政治家なりに期待して自分は決して当事者になろうとはしない。

タイプ6は依存的と言われています。ですので、自分が当事者になることを避ける傾向があります。これはストレスがかかるほどそうなります。


ただ僕は感情的にロシアを擁護する人に対しても、あるいは戦略論的に「ウクライナが抵抗を諦めて緩衝地帯になれば平和が保たれる」という話をする人に対しても、一言申し上げたいことがあります。それは、「我々はチェスのプレイヤーの方じゃないですよ、明らかに我々はチェスの駒ですよ」ということですね。

だからモスクワとか、ワシントンD.C.とか北京からの視点で「チェス盤の上のどの駒を取った、取られた」「この国は緩衝地帯にしよう」といった言説があるわけですが、明らかに日本はチェスをプレイするポジションの国ではないです。特に我々のような一般庶民はチェスをプレイする側ではなく、プレイヤーが動かす駒の側なんですね。

だからこそ、日本が超大国間の都合で「もう日本はアメリカと中国の間の緩衝地帯ね」みたいなことを勝手に決められたり、それに日本が逆らった結果として、どこか別の国が攻めてきて、我々が兵隊として戦わなければいけなくなったり、我々の生活が破壊されたりすることになった場合を想定してみましょう。そのとき、本当に「それが冷徹なリアリズムだよね」と言い切れるかというのは、僕は大変に疑問なんですよね。

そもそも決断ができないタイプ6な日本国民と官僚と政治家がチェスのプレイヤーになれるはずもなく。またそういったものを求めてはおらず。
タイプ6は依存体質ですから。内発的に行動できないんですよ。
同時にタイプ6は横を見る性格で、横を見て比べる中で自身をネガティブにとらえることを嫌がるので、チェスの駒だという現実には向き合いたくもないのです。周りがプレイヤーだと、自分もプレイヤーであると思いたい。
そんなわけで根拠のない「大丈夫」の夢を見始めます。状況が悪いほどに。


もし仮に日本が他国から攻撃を受けた場合でも「もう抵抗やめなさいよ、相手の軍門に下れば戦闘が止まるんだから」「世界経済にも迷惑かけるからやめなさい」みたいなことを他国から言われても、おかしくないと思うんですね。でも私はそうは言われたくありません。その意味で、今この場で、我々がウクライナを支えておくということに意味があると思っています。そういう意味で、この戦争は他人ごとではないという思いを強く持っているんです。

この部分には同意します。
実際に、2014年の新年を迎えてすぐに日中の駐英大使がBBCの看板番組『ニュースの夜』で、舌戦を繰り広げたとき、その中で

パックスマン氏は林大使に「尖閣を中国にあげれば?」、「地域全体、世界全体を危険に陥れるほどの価値が尖閣にあるの?」と難問を浴びせたあと、「日本が軍国主義を復活させようとしているのか?」と付け加えた。

https://newsphere.jp/politics/20140110-8/

とのこと。

ただ、前回も書いた通り、こういうネガティブな考えを避けるのがタイプ6な日本人だから。




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