エニアグラムの客観視の話

自分から見た自分である『自己像(自己で行う診断の結果を含む)』で上手くいかないとき、
他人から見た自分に向き合う必要が出てくるのかも知れない。
もしくは計測できる数値や実績で客観視する必要が出てくるのかも知れない。

と8月3日に書いたのですが、それに関してもう少し書いてみます。

数値等で客観視は、難しい話です。
そもそもセンターの動きは数値化できないし・・・(もしかしたら、そういった質問項目はあったかも知れない。ならばできるけど、それが正確かと言えば、たぶんそうではない。なぜなら、皆、頭を使っているし、心も使っているから)。
それに例えばタイプ2が親切だからって、親切をかぞえればタイプ2が分かるわけでもない。どのタイプだってそれなりに親切。裏にある動機を知る必要がある。

創造性で言えば、連載をかかえている作家や漫画家が突然書けなくなるときだってある。
こういう場合は過去であっても実績があれば、それを認めるべきでしょう。リソ&ハドでもタイプ4ウイング5は早く燃え尽きるという意味のことを書いているし。
だからと言って、創造性があればタイプ4というわけでもないし、創造性がなければタイプ4でないわけでもない。

実績はあくまで目安でしかない。
リソ&ハドソンを読むと、タイプ1なら「自己批判的」「時間厳守」「道を説く」などあり、その目安を重ねていくほどにタイプが特定できる項目が紹介されてはいますが、これでも間違いは起こる。それに、自身をそのタイプだと思っている人なら、これに沿った主張をするので、判断ができなくなる。
数値的に計測できるものがあれば良いとも思うが、現在それらしいものは、「質問に対する答えの数」くらいしかない。

そこで、「他人から見た自分」となるのですが、これにも誤認がある。

そして、この上に、blue1984さん指摘の、
「その評価をフィードバックするのも主観的な私というジレンマ」
が入る。

お手上げですね。

本当は、
健康だと言っている人が血液検査などで客観視することが大事なように、エニアグラムでも何か客観視できるものがあれば活用して欲しいとは思うのだけど、そもそもエニアグラムにおいてそれが無い。


私の経験から言えば、その人の性格タイプが正しく分かったときは、「広がる」し、「予言性を帯びる」。そういうことが起きます(私がnoteで、相手の性格タイプを指摘するときに、相手が語っていない行動まで指摘しているのは、この「予言」を使って、それが正しいか、判断しているからです。だから、あえて踏み込んだことまで書いています)。
また、その負の面を相手に指摘すると、相手は嫌がります(ええ、ええ、何度もやりましたとも。今は反省しています。でも、たぶん今もやっています)。場合によっては負の面では無いつもりでも相手は嫌がる。
自分であった場合は、痛みを感じる。



ここで、脇道にそれたことを書けば、
だけども自分に向き合うのがきつければ、誤認でもいいかな。とも思っています。

少なくとも、エニアグラムで性格判断をしているのであれば「自分と違う性格がある」という事実までは受け入れている。

当人の自己申告と、私から見たものが違う場合、そこを詰めたい気持ちが常にあるけど、それをやると去っていくから、どうしたものかなと、これは私の課題となっています。
放っておけばいいのに、そこが気になる私がいます。間違いは正したいし、問題ははっきりさせたい。この部分は私の問題です。


話を戻せば、
だからこそ
「自分から見た自分である『自己像(自己で行う診断の結果を含む)』で上手くいかないとき」
が自分を見つめるチャンスだと思うのだけど。

・・・と、唐突に話はここで終わる(というか、次回に続く)。

蛇足
まあ、正確に分かれば、果実を得られるわけでも無いのだけど。
⇒ 『祝福であり呪いであり

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