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祝福であり呪いであり

100パーセント信じているわけではないが手相占いのページをたまにのぞくのが好きだ。
それで、手相占いのページをのぞいていると、ここ最近の手相界(?)の問題(??)に、「手相では良いとされている相を持っているのに、現実にはそこまで幸福で無い人がいる」問題があったりする。
その言い訳を読むのが好きだったりする。
もちろん言い訳というのは、こちらの見方で、専門家はそれを解釈と呼ぶ。
先の話で言えば、専門家の一人は「対価」という言葉を使ってそれを解釈し、説明している。
良い相を持った人は、それに見合う対価を払う必要がある。つまり、それに見合う努力を行う必要がある。
そういうふうに専門家は説明する。
「手相に沿った生き方」という言葉で説明する人もいる。

一例として、
王様の手相というのがあるそうだ、それは、その相を持っていれば王様になれるというわけでは無く、王様(一国一城の主)として生きなくてはならない手相なのだそうだ。
それが平民として誰かの下に生きようものなら、うだつが上がらない人生になるとのこと。


突然ではあるが、ここで話はドラクエに飛ぶ。

「生まれもっての勇者」っていうドラクエによくみられる概念の話なんですけど、本来なら「世界を救った者が後に勇者と呼ばれる」という順番のはずが「世界に(神に)選ばれし勇者だから世界を救わなければならない」になってるの、どちらかといえば誇りではなく「呪い」に近いんだよな
自らの意思に関係なく「世界を救わなければならない」という義務が強制的に課される「生まれもっての勇者」とかいう概念、マジで地獄すぎてだいすき
ごはんがすすむ

を思い出す。


この流れで言うなら、能力であれ、性格であれ、それらは、祝福であると同時に呪いでもあると言える。災いと言い換えてもよい。
今いる環境の、最類値(一番多く出ている値)から外れていれば、プラスであろうとマイナスであろうと、いずれにせよ普通に暮らすのは苦労するだろう。
でも、苦労しないと、その祝福は得られない。
先の引用で言えば、それは義務でもある


その道の険しさが分かったときに、その道の出発点に立っているのだろう。




野暮を承知で、話をエニアグラムに無理やりつなげると…、

エニアで言えば、日本はタイプ6社会なので、大きく見るとタイプ6が一番暮らしやすいようにできている。そして、その価値観から外れた性格タイプの場合は苦労するようになっている。性格タイプの良さを享受するための苦労が少し多めにかかることになる。
また、性格タイプによっては、その名前に二面性を感じるときがあるが(一例としてタイプ4は、『芸術家』であり『夢想家』)、その性格にいれば、ただそれだけで祝福を得られるなんて思うなよ。という話である。どのタイプであれ、自分の良さを出すには多くの人は苦労することになっている。





「タイプ6も苦労している」と言われそうなので追記
タイプ6はタイプ6で苦労しています。している姿も見ています。
ただ、そのほとんどは受け身の(被害者としての)苦労です。ここが問題だったりします。
私の言う苦労は能動で動いていく苦労であり、自分の手綱(たづな)を握る(自分の動きを制御する)苦労です。
タイプ6であっても、状態が落ちれば生き辛くなります(能力の問題もあるのだけど)。
タイプ6に限らず、受け身の苦労で終わるのは避けたいところです(呪いを受けるだけで終わるなんて)。

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