新一万円札で思っていること

新一万円札のデザインがダサいという話題が出ています。

「ユニバーサルを意識するとダサくなる」という話もありますが、本当にそうでしょうか?
デザイン的にはそのうち慣れると思っています。ですが、周りとの関係性を構築して生きるタイプ6な日本人として、一番言われたくないのが、外国人からマイナスの評判が上がることだと予想しています。もしも、そのようなマイナスな評価が出てきたら、その混沌に冷静に対応できず、かなり感情的な反発や、動揺からの日本下げが出てくると予想しています。

それでなのですが、
今からでも、デザインを修正することはできると思います。
ネットには知見が集まるので、各々のデザイナーやデザイナーの卵、素人まで含めて、デザインを出し合えば良いと思っています。
どこに気を付けているのか、どういう注文に応えているのか説明を入れながら、各自発表すれば良いのではないでしょうか?
私は、日本人にはデザイン・センスが無いなんて思ってやしません。必ず、現状を超える素晴らしい案が出てくることと信じています。

ですが、ここでさらに予想を言ってしまえば、どんなに好評なデザインが出てきても、それを“絶対”行政は採用しないと見ています。

これは、日本の過去を見れば分かります。
以前、公募なのに、「高輪ゲートウェイ」になったという話がありました。

6万4000件を超える応募において、第1位は「高輪」、第2位は「芝浦」、第3位は「芝浜」という結果だったのに、
130位の「高輪ゲートウェイ」に決まったという話がありました。

どんなに一般に好評で良いデザインであろうとも、現在の日本では、
「高輪ゲートウェイ」なデザインに落ち着く可能性が、とても、とても、高い。と私は見ています。


であるならば、先ほど提案した、市井の人々を含めた新紙幣のデザイン提案が無駄になるか? と言えば、そうは思っていなくて、
あえて、そういった行動をやるべきだと思っています。
それは、今の日本には「内発」や「自発」が必要だと思っているからです。エニアグラムのタイプ6な国民性の日本人は判断が苦手で「依存」体質です。だからこそ、これの反対の行動として、「内発」や「自発」の動きを日頃からしておいたほうが良いと考えているからです。
付け加えて言えば、近くか遠い将来、日本がまたゼロになったときのために、こういったものは準備運動として必要だと思っているからです。日本が明治維新や昭和の戦後のようにゼロになれば、いくつかの箍(たが)が外れるはずです。箍が外れれば、風通しよく自由にできることも増えるでしょう。そのときのための予行練習として、今から、こうした「内発」「自発」行動をとっておいたほうが良いと、私は思っているからです。


参考
なぜ「高輪ゲートウェイ」駅になったのか
タイプ6日本の「無限責任」と「無責任」について

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