たしかに日本人の傾向とは思うけども ― 『期待値』の話 ―

『コンビニの日本人店員が「外国人の名札」を着けたら…客の態度に劇的変化(弁護士ドットコムニュース) - Yahoo!ニュース』
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3e2af51cbe2618e59363653978aca75a6ec8ae9

派遣スタッフとして100軒以上のコンビニを渡り歩いてきた男性Aさん。客から怒鳴られることは珍しくないという。

「たばこの注文で、『(銘柄ではなく)番号でお願いできますか』と言っただけでキレられたり、声が小さくて、『もう一度お願いします』と聞き返したら、店の外にいても聞こえるような大声を出されたり」

(略)

さて、そのAさん、ある勤務先で、以前勤務していたとみられる外国人の名前が入った名札を渡されたことがある。片言で話し、「外国人留学生のふり」をして接客したところ、客からの「過剰な要求」が消えたという。

「たとえば、箸やスプーンを何本つけるかとか、1秒でもレジを待たされると怒り出すとか――。普段は『黙っていても分かれよ』というようなスタンスで接してくるお客さんが少なくありません。
でも、こっちが『外国人』だと何も言ってこなくて、大体はマニュアル通りの対応で済みました。お客さんも過剰に『日本人』に期待しすぎているのかもしれないですね」

ただし、少数ではあるが、外国人の名札をつけることで、差別的な言動をとられたり、「日本人(店員を)出せ」と言われたりしたこともあったという。


ヤフコメより

井上智介 精神科医/産業医

(略)
そこには店員への期待値が関わっています。記事でもあるように、店員が外国人と分かれば一気に期待値が下がるのです。ほかのケースとして、エプロンをつけて接客していると『何でもしてくれる人』と期待値が上がるので、エプロンを外して接客するようになってから、カスハラが減った事例もあります。

「なるほど」と思いました。『期待値』ですか・・・。
これ、日本企業のサービスには文句を言う日本人が、外国企業のサービスの悪さに黙っている構図と重なります。
「アップルに修理を頼んだら、防水機能が無くなっていた」「永久ライセンスで使っていたアドビ製品を再インストールしたら、古いバージョンだったので、いつのまにか認証サーバーがストップしていて、さらには問題対応期間も終了していた(連絡が無いから本人は知らなかった)(ちなみに私もそのような話は知りませんでした・・orz)。それで使えなくなった」「アマゾンから商品が届いたと思っていたらカラだった」「ツイッターで問題発言している人へのツイッター社の対応がおかしいと思うときがある。なぜそのままなのか?」「電話やメールで文句を言っても、なしのつぶて」あたりでしょうか? いろいろ不満はあっても、日本企業ほどの炎上はしていないです。

この部分が上手く説明できません。
あえてタイプ6日本で説明すれば、
「これ以上言っても、安心・安全・安定が得られないのであれば、もしくは一定以上の負荷がかかるのであれば、それを見ないことにする」
といった態度でしょうか?
さらには、未知なる存在の『外国』に対峙して問題を解決していくスタミナが無いのかも。
大抵の場合は、国の機関なりを通して文句を言うことができますが、それが機能しない場合だと、依存先が無くなるので、そこで諦めてしまうのかも。

こういった解決困難な場合に、その状態を受け入れる態度は、ウィズの話と通じるものがあるかも知れません。

※ 『ウィズ・コロナに危険を感じるわけ


ネットを読んでいたら、メルカリがユーザーの問題をガン無視していた話が載っていました。

『メルカリの売上金13万円を何の説明もなく没収されかけた件 - Engadget 日本版』
https://japanese.engadget.com/mercari-merpay-083556554.html

ただこれがネットに話題になるということは、メルカリに対する『期待値』は高いわけです。たぶん海外の企業に比べたら高いということです。期待してしまうから、文句も出るわけです。

この『期待値』の高さ、もしくは低さを良い意味において活かすすべはないものか? と思ってしまいます。


蛇足として思ったことを書きます。

・サロン系は、この『期待値』をどう扱っているのか気になりました。「そこに集まりお金を出す人は、何に期待をしているのだろうか?」なんて思ってしまいます。まったく分からないです。そして「サロンは、その人たちの期待に対し、どう応えているだろうか?」なんてことも思ってしまいました。
・もしかすると、日本企業の経営者が日本人であるかぎり、従業員はある種の期待や依存を止められないのでは? なんてことを考えてしまいました。外国人経営者だと、厳しい改革でもあきらめるのかも知れないとも思いました。
経営者である場合、期待を寄せ付けないキャラクター作りが必要となるのでしょうが、創業者であればいざ知らず、社内を出世する中では、これは無理なことなのではないか? とも思いました。
あなたの職場ではキャラの濃い人や期待を受け付けない人は出世していますか?
・ヤフコメを見ていたら、コンビニの店員さんに同情的なコメントが多く。経験者の多さが同情の多さになっているのだろう、と想像しました。私が仕事の中で学んだことに、「お客さんは、やらせる立場になると高い基準を要求するが、自分がやる立場だと低い基準でも受け入れる」というものがあります。椅子イスひとつでも買うとなれば、徹底的に良いものを選びますが、日曜大工で自分が作るとなれば、基準も低くなるようなものです。もしくは、料理にしても、買うものと自分が作るものの質には違いが出るような話です。
これも他人であれば『期待値』が上がるという話なのかも知れません。
ただ、自分に対して『期待値』を下げない努力も必用で、それは難しいことなのだとも思っています。
つまり「他人に期待しないで(=60点で満足する)、自分に期待すること(=満点を目指す)」が難しいと言っているのです。

これに関連して浜松ホトニクスの晝馬ひるま輝夫てるお氏の書籍より引用します。

(略)こうしたことから言えば、人の話などが相手に完全に伝わらないのは当たり前であると言ってもいいでしょう。たとえば私なども、従業員たちにああだこうだと一生懸命話をするのですが、私が思っているとおりに受け取っている社員は一人もいない。これも当然なのかもしれません。
 わが社がその精神を受け継いでいるテレビの父・高柳健次郎氏も、かつて「人と人とのあいだのコミュニケーションは、どんなにていねいにやっても結局は六十パーセントくらいしか伝わらないし、それ以上は無理だ」と言っていました。
(略)
 だから、「他人にものを頼んで100パーセントを期待するときには自分でやりなさい」というのが持論でした。
 こうしたことからいっても、社長が部長に何かを指示し、それを受けた部長が課長に指示し、課長が係長に指示し、さらに係長が現場の担当者に指示するなどという命令系統では、最終的には何も伝わらないのとほとんど同じです。

※ 『浜松ホトニクスの晝馬輝夫の性格タイプ その1

・カスハラ(カスタマーハラスメント)が起こる背景ですが、こういった客は、自分の仕事においてのストレスをコンビニなどで発散させている可能性を考えています。怒られ馬鹿にされ蔑まされた状況を、今度は自分がする方になって再演している可能性を考えているのです。だとすると、カスハラを無くしても、そのストレスは はけ口を求めるでしょう。
その出口がどこにも無いときに、アメリカのトランプさんのような人が出てきたら・・・なんてことまで想像してしまいます。
もしかすると、それが別の形の事件につながるかも知れません。本来関係の無い人が巻き添えを食らう形の事件になってしまうのかも知れません。

・今回の話はコンビニの話ですが、もしも安いコンビニで外国人接客もしくは無人接客、高いコンビニで日本人接客となって客層が変わっていくことがあれば、これは何をもたらすのだろうか? なんてことも考えました。都会のスーパーなどでは一部においてすでにこうなっているのかも知れませんが、これが広がった先に何をもたらすのかまでは、まだ私には想像が付きません。
過去の日本(あえて過去と書きました)が、分け隔てなく、高いサービスを隅々にまで供給していたのだと、だんだんと理解され出すのではないか? なんて考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?