中東を砂漠旅行した日本人から聞いた話から、日本の失速を考える
私としては、前回のつづきとしてこの話を書いています。
ある人(日本人)の講演を聴いたときの内容です。
その人が中東の砂漠(の史跡?)を旅行したときのこと、
同じく旅行している他の人々(日本人では無い)が代わる代わるその人のところに話しにやって来ていたそうです。
それであるとき「お前はなぜ、皆がお前と話したがっているのかが分かっているか?」と訊かれたそうです。
「それは、お前と話していると、その発想が面白いからだ。だから皆がお前と話したがる。そして、それを独り占めするのは良くないことだから、他の皆が同じようにお前と話せるようにと、皆、お前と少し話すと立ち去って次の人に代わっているのだ」
確かに講演ができるくらいの人ですし、その内容が私から見ても面白かったのは事実です。
ですが、日本人がここまでの好奇心を持っているかといえば疑問に思います。
砂漠の旅行で会った人々は、自分とは異なるものに対する好奇心があったのではないでしょうか?
以前、『「日本のどこがダメなのか?」 中国人が指摘する日本についての感想』において引用した
の中にはこんな言葉がありました。
中国人は通常、「井戸の外」の景色を見ることを好み、外に出ていこうと考えて、世界に対して純粋な好奇心を持っている
日本人はこうした純粋さや勇敢さや「ものごとをもっと知りたい」という冒険心をまったく失っていて、自分たちの世界の狭さを感じるときがあっても「まあ仕方ないや」と自分を慰めるだけで終わる
好奇心を失い、
異質を嫌い、新奇を嫌い、変化を嫌う姿勢は、安定を求める社会の中では必要でしょう。そのほうが安定を維持できます。
ですが、現代のような変化が加速している社会の中では、それらが足かせとなります。
そうなると、変化が加速する時代において、異質に対する好奇心を持たない日本は失速していくことになってしまいます(事実、失速中です)。
エニアグラムから見たタイプ6日本人をいろいろ書いてます。
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