サッカーとタイプ6
日本は、エニアグラムでいうところの、タイプ6の国です。
サッカーの本の中に、日本のタイプ6的な記述があったので、ひろってきました。
『日本サッカーが世界で勝てない本当の理由』岡田康宏 マイコミ新書 より
なぜ日本人はシュートを打たないのか
なぜ日本人はシュートを打たないのか。それは社会的、教育的な問題が大きいといわれています。日本サッカー協会の犬飼基昭会長は、2008年7月17日付の「スポーツ報知」で次のように語っています。
「メキシコの育成で有名なコーチが、中学生になったばかりのU-13(13歳以下)日本代表を見た。『日本にはこんな才能が多いのか。半分はプロになれる。メキシコに連れて帰りたい』と驚いていた。だが、U-14を見ると『何、これ?』とがくぜん。
コーチの手が入ると、当たり障りのないプレーをするようになる。横パスで敵に取られないようにする。シュートを打って失敗するとバツ。横パスならバツはつかない。日本の減点主義社会の延長線上にサッカーもある」
タイプ6は、安心・安全・安定をもっとも大切にします。
そして、安心・安全・安定が少しでも崩れることにストレスを感じます。
そこで、安心・安全・安定が崩れる「失敗(もしくは、失敗の可能性)」に対し、かなり否定的に取り扱うことになります。
安心・安全・安定が大切なので、「間違い」はあってはならないのです。
さらに犬飼会長は、このように続けます。
「何でストライカーが育たないんですか、とよく聞かれるが、日本社会の象徴、と答えるしかない。それは意識の中に絶対ある。エリア内でも横にフリーな選手がいればパスを出してしまう。シュートミスするリスクを自分の中で避けている。だから、小さいころからメンタル面を変える。そうしないと本当の意味でのストライカーやディシジョンメーカーは育たない。世界でもまれるにはスポーツではサッカーが一番。経済がボーダレスになった現在、本当の意味で戦える日本人は少なかった。最高経営責任者には外国人が多い。無難に泳いでいれば役員になれるのが従来の日本社会。サッカー界が率先して、雰囲気を変えなければ人材は育たない。メキシコのコーチの言うように日本人には能力がある。だが、減点主義社会で育ったコーチが型にはめると若手の芽を摘む」
サッカー選手といえども、タイプ6のリスクを避ける安心・安全・安定の志向があるということです。
減点主義社会に関しては、過去に『なぜ、日本は減点主義で権威主義で性善説なのか?』で取り上げています。
同じように日本選手の特徴として、自分自身の頭で判断せず、周囲の顔色をうかがう、自立性や決断力に欠けるというのもよく指摘される課題です。
岡田監督が横浜F・マリノスの監督をしていたときのこと、岡田氏はロジックを使って選手を指導するのが得意です。
例えば攻撃では、相手の守備はまず中央を固めるので、サイドにボールを出すように指示を出す。
そうやって指導していった結果、試合には勝てるようになり横浜FMはJリーグで優勝をしました。
しかし選手たちは、監督のロジックを理解するのではなく、監督の言う通りにすれば勝てると考えるようになり、中央が空いている場合でも選手は何も考えずサイドへボールを出すようになってしまいました。
(この引用は、文章を短く編集しています)
これは、岡田監督の指示をテンプレートとして、思考停止でプレーした結果だと言えます。
タイプ6は、思考センターの否定点です。考えることが苦手です。なので、「監督のロジック」を理解するのも苦手です。
タイプ6のテンプレートは、『タイプ6と「テンプレート」「反復」、そして「ひな形」の話』で取り上げています。
岡田監督は、もしかしたらタイプ1なのかも知れませんね。そして、タイプ1のような「内発」を求めているのかも知れません。
でも、タイプ6社会に「内発」は無いのですよ。
『間違いだらけの少年サッカー』林壮一 光文社新書 より
ボルシア・ドルトムントのマヌエル・ラウルセン
「小学生年代や幼少期は、ヨーロッパも日本も大きな差はないです。皆シュートが好きで、ゴールに胸をときめかせる。ただヨーロッパの子たちのほうが、日本人よりも我侭にゴールに拘ります。ゴールへの意欲が強いため、チームメイトからどう思われようがお構いなし、といったプレーをするんですよ。
日本の子たちは、シュートを外してチームメイトやコーチに怒られることに怯えています。特にミスするとチームメイトに申し訳ないと考える子が、かなり多く見受けられます。また、日本には過剰な上下関係がありますよね。中学生くらいから選手は我慢を強いられますし、怒られるのが嫌なのでシュートを打たなくなってしまいます。そして、安全に安全にプレーするようになります。これは大きな問題です。日本のサッカー界で働く人々は、そこを了知しなければけない。このような現状が創造性の妨げになっていますよ。もっと、ピッチで自由にプレーさせてあげなければ」
安心・安全・安定を求めて、動きが制限されて、結局、安心・安全・安定が損なわれるという、タイプ6のいつものパターンが出始めます。
これらの本を読んでいると、それこそ「小学生年代や幼少期は、ヨーロッパも日本も大きな差はない」ことが分かります。
また、「日本にはこんな才能が多いのか。半分はプロになれる」とメキシコのコーチに言われるほどの才能が日本人にはあることも分かります。
なのに、日本文化の中で、皆、変わっていくのです。
短期間で、同じメキシコのコーチに「何、これ?」と言われるまでに違うものになってしまいます。
日本人は、文化とトレードオフ(一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという状態・関係のこと)で、捨てているものがあるということです。
そして、文化と引き替えに捨てたものが必要になることもあるのです。
今の時代や、サッカーでは、捨てたものが必要になってきているのです。それで、今の時代、混乱しているのです。
『学力の新観点「思考コード」がもたらすもの』で紹介したような「C領域」とか「創造性」とか。日本は、捨てたものを、また取り戻そうとしています。それで、ねじれたことになっています。
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