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最近、フェンスの取り外しが多すぎる

なぜフェンスが建てられたのかわかるまで、決してフェンスをとりはずしてはならない

というチェスタートンの言葉があるそうです。

思考停止(思考センターの否定点という意味で)のエニアグラムのタイプ6の国民性である日本では、こういったことに対して、今までは、
前例や踏襲を用いて対応してきました。
つまり、フェンスはそのままにしておきました。

ただ、最近、理由も分からず、単に、「改革 イコール 正義」のような動きがあることに、不安を覚えます。

まず、何かの慣例や法があるとする。 簡単に説明するために、それを、道をさえぎって立てられたフェンスか門だとしよう。 進歩的な改革者がそこにやってきて、「私にはこれの使い道が分からない。撤去してしまおう」と大々的に宣言する。

そのようなことが日本で起きています。

元々、タイプ6日本は変化が嫌いな国民性です。
それが、ここまで安直に変化していくのは、外圧・・・、もっと正確に言えば、アメリカの圧力があると私は思っています。
民泊あたりがそうだし、18歳選挙権や18歳成人なんかもそうだし、カジノ法案もそうだし、

さらに諸々、今、日本が矢継ぎ早に変えられています。

こういうことに対して、早い変化への対応ができないタイプ6日本人は、リアクションが取れず放っておいています。
もし文句を言うとしたら、ず~~~っと後、「え、いまさら!?」という時になって文句を言い出すのでしょう。

ちなみに、堤未果さんの本なんかがそのようなこと取り扱っているのでしょうけども、
こういう文章を書いている私は読まなくてはいけないのかなあ(あのかたの本は読むのが大変そうで・・)。

一方でこういう話もあります。

より

(略)アメリカでは奨励されている「なぜ」と聞く文化を、日本で行うと、敵対的に見られ、さらに、説明を受けても聞く前よりさらに困惑することになる(以下略)
「(略)大抵、『なぜ』と聞くと、『これが日本のスタイル』という答えが返ってくるだろう」と文化の違いについてパットンは語る。

 「これは、彼らが質問に完全に答える理由を持っていないことさえも意味する。私は、日本で行われる大抵のことは、歴史や伝統への尊敬から、常にそのようにされてきたから行われていると結論付けた」

別に、「歴史や伝統への尊敬から」という訳でも無く、
今行なわれている政策の多くも、「なぜ」に答えられないものは多いです。

つまり、いつできたか分からないフェンスだけではなくて、
フェンスを取り外す理由も「なぜ」に答えられないものが日本には多いです。


そして、このような状況の中で、無自覚に日本人は流されて行くという。


なぜフェンスが建てられたのかわかるまで、決してフェンスをとりはずしてはならない
にチェスタートンの日本語訳があります(今回確認し直したら、削除されたようです)。

その後半部分から

このパラドックスは常識に基づいている。すなわち、門やフェンスは勝手に生えないし、 夢遊病者が眠りながら立てるものではないし、 病院から逃げた狂人が無目的に立てるとは、ほとんど考えられない。

誰かが何かの理由で、誰かのために良かれと思って立てたのである。 そしてその理由が分かるまでは、それが我々にとって妥当な理由かどうか判断できない。 我々と同じ人間が作ったものがまったく無意味で不可思議に見えているのは、 ある重要な側面をまるごと見逃していたのが原因だった、ということは極めて高い可能性でありえることである。

ある種の改革者は、祖先がすべてバカだったとみなすことによって、この困難をやりすごしてしまう。 本気でそうだと言う人には、その愚かさは遺伝病ではないかといいたい。 本当は、その社会的慣習が歴史の遺物だと分かるまでは、破壊する義務はだれにもない。 その成り立ちを知り、何の目的に供されたかを知ってはじめて、その目的が間違っていた、それが間違った目的になってしまった、満たす必要のない目的になってしまった、などということができる。 しかし改革者が、なぜか道に飛び出してきている奇怪な物体としてそのフェンスを眺めているだけだったならば、 幻想にとらわれているのはその改革者自身であって、保守主義者ではない。

選挙制度が変わって、例えば自民党で言えば一選挙区から立候補するのが一候補者になったため、自民党から党内野党というか、異なる見解が無くなった。という話を読んだことがあって、これは、以前からあった制度をとにかく変えてみたところ、問題が出て、以前の制度の良さが分かったという話です。
今後、このような話が増えてくるのではないでしょうか?

種子法、水道民営化あたりが気になるところですが、一部の人しか気にしていない状況です。

著作権70年化問題もそこに戦略が見えません。著作権は逆に短くしたほうがサイクルが速まって良作が増えるとさえ思っているのですが。
著作権切れの書籍化の際に一定の割合でお金を徴収して基金を作り、
良作を書き、なおかつ、売れていない作家を補助するとか、ノンフィクションの取材の補助をするとかできると思うのですが。
今の日本では、現状の著作権について「『なぜ』と聞くと、『これが日本のスタイル』という答えが返ってくる」のかも知れません。


過去にも、エニアグラムを通したタイプ6日本人論をいろいろと書いています。よろしかったら読んでみてください。

センターとか否定点とか、エニアグラムの用語が分からないかたは、こちらを見てください。

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