読み手を想定する難しさ
エニアグラムに関する文章を書いていて、読み手を想定する難しさがあることに気が付きました。
エニアグラム上級者は、性格タイプを数字のみで語りますし、その数字を聞けば、大凡(おおよそ)の人物像を浮かべることができます。
ですが、初心者は、数字だけでは分からないので、一般的なその性格タイプの説明を必要とします。それがステレオタイプであったとしても、無いよりは足掛かりとなるでしょう。
ですが、そういったものは、上級者からすれば邪魔なものです。
センターによっても理解のしかたが違います。
知の人は、頭を使っているので、文章の間を埋めることが得意です。
これは、知の人以外であっても学校の勉強を通してある程度修正され、できるようになるとは思っています。が、知の人のほうが説明を省いても比較的分かっています。
こういう省略があるとき、他のセンター、特に意の人になると、傾向として説明を省いた部分を埋めることをしません。
これは、何も文章だけでは無く、意の人は、「バカ」と言われれば「バカにされている」と言葉の通りに受け取る傾向が強いです。
相手が情の人であれば、その意味するところが「好き」である場合だってあるのに、表情や雰囲気を加味しないで、文字面だけで理解しようとするところがあります。
そういえば、理系の人は、「もっと分かり易く、抽象的に言ってください」と言う、なんて笑い話があったりします。
私は、ここで書くときは、「もっと分かり易く、具体的に言う」ことを心がけています。
ほかにも、
文章を書くときには、使う言葉にも気を遣います。
この文章の始めのほうで、「大凡(おおよそ)」とひらがなを振ったのは私自身が読めないからです。
ですが、noteで自ら文章を書いている人は、語彙も豊富でしょうから、余計なお世話かも知れないと思い始めています。
とは言いながらも、読者層はそこそこ広くとりたいので、悩ましいところです。
今回は、グダグダと書いてしまいました。
※ 知情意という言葉を使った場合、「知情意のエニアグラム」でまとめていきます。
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