ジャニーズ事務所が故ジャニー喜多川氏による所属タレントらへの性加害の事実を認め謝罪したので、動きが出ています。
『ジャニーズ事務所の藤島社長、故喜多川氏の性加害を認めて引責辞任 後任に東山紀之氏』
『三谷幸喜、ジャニーズ事務所の会見受け“3つの問題点”挙げる 今後への教訓も「忖度せず向かい合うことができるか」』
ヤフコメ
国連の他にもバレーとかね。
『「性加害問題に参加国が“NO”」ジャニーズ Aぇ! GroupがバレーW杯から排除された!《川合俊一会長は、直撃取材に…》 | 文春オンライン』
大まかに言って、このヤフコメの言う通りなんですよね。
ただ、BBC、国連、バレーでもマスコミは動かなかったと見ていて、この部分は今回の話の後半で取り上げます。
日本は安心・安全・安定が大切なエニアグラムのタイプ6の国です。
それで通常は安心・安全・安定な環境を作ろうと頑張るのですが、
向かう相手が強固だと、その混沌に対応している時間の長さをストレスに感じて、「見て見ぬふりをする」「見ざる聞かざる言わざる」「長い物には巻かれよ」「臭い物に蓋をする」となるのですよね。
「出る杭は打たれる」と言いますが、「出過ぎた杭」は、強固な混沌なので、打たれないことになってしまうのです。
礼儀にうるさい日本において、非礼なヤクザが存在できる理由がここにあります。
ジャニーズ問題は、それに関わると混沌が大きくなるので、皆、スルーして関わらないことにしていたわけです。
ところが、海外で問題にされ、混沌が起きてきた。それは沈静化しなかった。
普通は、時間が経って静かになれば、あえて混沌には手をつけたがらないタイプ6な日本なのですが、
海外がそれを(結果的に)許さなかった。
「BBCをきっかけに事実がおおっぴらになり、外堀を埋められて、避けて通れなくなって、叩かずにすまされない」状態になってきた。
ジャニーズ問題という混沌と、海外からの問題から逃げていると非難される混沌とがあって、後者の混沌が大きくなって「外堀を埋められて」、「避けて通れなくなって」。
つまり日本においては、スジとか倫理(道徳・モラル)とかではなくて、今回の場合は、2つの選択肢における混沌の大小を比べて動いているだけだと私は見ています。
「二つの問題を天秤にかけて決めた」ということです。
別に正義とか、そんなの関係無い。
後で書きますが、その天秤すら正常に動かせなかったとも私は見ています。
ジャニーズ問題の初期対応はこうでした。
『ジャニーズ事務所の長期的な弱体化は不可避 松谷創一郎氏 書き起こし』
この「圧力」という表現ですが、
要は、「うちのタレントを出さない」という混沌を匂わされ、その混沌に屈したということです。
また、これを「美談」としていますけど、これも大きく見ればグルーミングです。
また、今回のジャニーズ問題においては、追加情報として作曲家・服部良一氏の次男のかたを始めとしていろいろな人が声を出し始めて、それらも含めて「叩いても怖くない、安心して叩ける状況になった」ところも大きいでしょう。
今回の問題は、別にマスコミが自発的・内発的に動いてきたわけでも無いのです。
BBCが報じた直後だって、なかなかマスコミは動かなかった。
4月12日、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏(26、当時は岡本カウアン名義)が日本外国特派員協会で記者会見を行ったという記事のヤフコメが以下のもの。
その後、NHKは、夕方のニュースで取り上げたという話がありました。
メディアは、BBCやカウアン・オカモト氏の記者会見では動かなかった。多くがスルーしました。
だけども、ジャニーズ事務所の動きには忠実に反応しました。
今回の話も、
ジャニーズ事務所が故ジャニー喜多川氏による所属タレントらへの性加害の事実を認め謝罪したから
次の段階に進めたということです。
結局、
「BBCをきっかけに事実がおおっぴらになり、外堀を埋められて、避けて通れなくなって、叩かずにすまされない、あるいは叩いても怖くない、安心して叩ける状況になったから叩いているだけ」
でも無かった。
BBCは関係無かった。
ジャニーズ事務所が「性加害の事実を認め謝罪した」から「安心して叩ける状況」となり次の段階へ行けた。
ジャニーズ事務所が認めたので、やっと、テレビ局も、関係する企業も次の行動を取ることができた。
つまり、主導権は今でもジャニーズ事務所が握っている。
こうして見て行くと分かってくるのですが、
外堀を埋められたのは、マスコミでは無く、ジャニーズ事務所だったということです。
今回の件でマスメディアは深刻ぶって取り上げていますが、それは張り子のトラのごとく、張り子のジャーナリズムであって、
マスコミは、単にジャニーズ事務所の発言にくっついていく金魚のフンのようなものであり、そこに主体性はありません。
自ら報道の判断や決断ができず、ジャニーズ事務所の言動に左右され、それは依存的とも表現できるものです。